スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  
Posted by ミリタリーブログ at

2017年03月25日

ユーゴスラビア人民軍内務細則(1)君の名は

Yahoo!知恵袋 - 旧日本軍の上官の呼び方について
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1273286422

はあはあ、ナルホド。

■ということで本日はユーゴスラビア人民軍において軍人がとるべきと定められた数々のマナーの中から基本中の基本、お互いの呼び方についてかんたんなメモを記して参りたいと思います。

サバゲ畑(私もですが)の方には少々退屈かもしれませんが、これがわかるとボスニア199Xもぐっと幅のあるロールプレイを楽しめるようになってきます。
暫くの間お付き合いください。

**************************************

「諸君らはいま同志ヨシップ・ブロズ・ティトーに献花を行うため墓所にいるとしよう。ご存知だろうか、軍人はたとえ何の用事でそこにいようが、基本的に市民からは歓迎されないものなのだ・・・」


jiji
こんな書き出しで始まる人民軍歩兵科向け野戦教本(1990年度版)の内務細則。

「パレードのためだろうが、車両移動中だろうが、補給のために立ち寄ったのであろうが、保養のために束の間の休暇を満喫している間であろうがetc,etc.」だいたい兵隊というものは「市民から見れば日常生活を脅かすもの」だとはっきり書いてあります。

baba

国民の大半が兵役を経験する旧ユーゴスラビアのような国であっても、ひとたび軍人となって制服に袖を通した者はそれをかさに着て尊大に振る舞うことがあります。
たまにツイッターで炎上する現職とか元の人みたいなカンジでしょうか。
おそらく実態としてはもう少し可愛げがないものであったろうと思いますが。

かつての古き良き「豊かなユーゴスラビア」の時代を経て1970年代から1990年代にはティトーの死と75年憲法の制定、経済や政治の混乱により大規模な暴動が頻発するようになっていました。


内戦前夜の1990年、執筆者の論旨はおそらくそれを読む新兵たちにも自然と納得のいくものだったのではないでしょうか。

oppai
「諸君らが街や村で剃髪や買い物(略)何をしているときでも、ただ歩いていてすら通りの窓から、道の向かい側から市民らは諸君らの一挙手一投足を常に注視している。したがって我々は常に油断せず礼儀正しく振る舞い、これにより彼等を『社会主義化』しなければならない」

さて、そのように振る舞うにはどうすべきだと書かれているでしょうか。


■まずお互いの呼び方。

friends
<隊友に対して>

階級が同格または下級の軍人に対しては「ティ(きみ、おまえ、貴様)」を用いてよい。

上官、上司、古兵など上位者に対しては「ヴィ(あなた)」を用いなくてはならない。

おそらくともに兵舎を同じくする班員に限られる話と思われます。

隊外の軍人に対しては「同志(ドゥルージェ)」と呼びかけるべきであると定められています。
複数形は「同志たち(ドゥルガリツェ)」です。

「同志」はとても便利なことばです。
相手が下位・上位・階級不明者、民間人、誰であっても使えます。

自衛隊式の「ハンチョー」とくらべても汎用性がジャパリパ●ク並の広大さを誇る敬称ですね!
以下はその応用となります。

<士官/下士官に対して>

「同志マルコ・マクシモヴィッチ(姓名)」・・・・・かならず姓名を揃えて呼びます。

「同志少佐(階級名)」・・・・・・日本語の「~殿」のような敬称は特にありません。
姓名と併用可能です。

<兵卒に対して>

「同志コスチティッチ(姓)」 ・・・・・言うなれば呼び捨てですね。

「同志ダルコ(名)」・・・・・よりフランクです。

「同志兵士(階級名)」・・・・・ドゥルージェ・ヴォイニチェ。いちばんカンタンですね。


megane

<上官に出頭する>

上官の求めに応じて出頭する際は以下のように申請します。

「同志大尉、兵卒スティッペ・ユリッチ!(=です、出頭しました)」・・・・・同志+階級名(=呼びかけ)+自分の官姓名

「同志少佐、伍長ペタル・マクシモヴィッチ、第1分隊長!」・・・・・相手への呼びかけ + 自分の階級・姓名・職名


軍隊には領土防衛隊内務省などの政府関係機関、民間業者などさまざまな関係者が出入りしますので、人民軍軍装の再現者は上記の原則を適宜応用して失礼のないようにしましょう。

なおなんらかの理由により降格、懲戒処分を受けたのち原隊に復帰、または軍刑務所での刑期、軍病院での長期入院等を終えて戻ってきた上司や上官、また軍籍を剥奪され既に民間人となったものに会ったときも、以前と同様失礼のないよう接するように・・・などとも書かれています。
誰でもよけいな厄介事はごめんですものね。

<ちなみに>
少なくともスルプスカ共和国軍やクライナ・セルビア人軍では(しばしばジョークの種にもなりますが)人民軍式の規則を継承していました。
母体が同じなのだから当たり前といえば当たり前ですね。

これはボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍でも元人民軍の将軍が率いる軍団では建軍後暫くの間は遵守されたようですが、ある元サラエヴォ警察署特殊部隊員の証言によると「誰がいつ始めたのか定かではないが」自然とお互いに友達か仕事仲間のように呼び捨ての口語で話し合うようになり、人民軍式の礼儀作法は守られないようになっていった・・・まるで羽根が生えたかのような自由を感じた、といいます。

クロアチア等ではどうだったのでしょうか?
ロブ・クロット「傭兵 狼たちの戦場」を読むと、外国人傭兵が率いた部隊でも指揮官によって大変な差があったことがわかります。
おそらく他の旧ユーゴ諸国の武装組織でも部隊によって大きく異なる規則・習慣が守られていた(and破られまくっていた)のではないでしょうか。

本日はここまでです・・・


***********************

明日は浅草の軍装品物販イベント「バラホルカ」に出席いたします。
手持ちのため些少ですが、ユーゴスラビアの品を中心にお持ちする予定です。

クロアチア防衛評議会軍の袖章や、帽章つきのベレー帽もあります。
ぜひご来場下さいませ。  

2013年08月10日

M80"ゾーリャ"64mm対戦車ロケット(二)



先日ZEEKケイホビー定例会にて、サバイバルゲームの合間に撮影して頂いた写真。



コソボ紛争時ユーゴスラヴィア連邦軍 地上軍憲兵装備をイメージした出で立ちで臨んだのですが、ゲーム中実際にメインアームにしていたMP5A2やかぶっていた黒ベレーはゲーム前に慌ただしく自撮りしたブレブレ写メのみにて省略。
要するにM80ゾーリャを構えたかっただけなので・・・。

■装備リスト
・M89ケブラーヘルメット
・M93迷彩服上下
・M77コンバットブーツ
・MD97ナイロントラウザーベルト
・MD97ウェブベルト+ホルスター
・MD97アサルトベスト
・M80ゾーリャ対戦車ロケット

いずれも官給品実物。






今後はスルプスカ軍やユーゴ警察装備、ボスニア軍などにも使い回したいですね。
(※画像はボスニア軍第5軍団の歩兵。1995年9月、ボスニア西部)



※追記:あす日曜のC84二日目、M80ゾーリャをコスプレ広場に持ち込んでみようと思います。
たぶんユーゴ軍M77夏季野戦軍装かテキトーにアルカン・タイガースの格好でもしていると思いますので、ゾーリャに触ってみたい方はどうぞ声をかけてやって下さい。  

2013年08月02日

M80"ゾーリャ"64mm対戦車ロケット(一)


ユーゴスラビア製の携帯式対戦車兵器といえばパンツァーファウストの直系子孫たるM57及びM58、仏製89 mm LRAC F1対戦車ロケットの改良版M79オサ、RPG-18の改良版M80ゾーリャ、それにM90ストルシュレンですが、


当ブログの主セルビやんはそのうちの一種類だけ、M80ゾーリャを所有しています。



・・・もちろん発射済の無稼働品ですが(笑)

日本語ウィキペディアにも項目がないので、以下簡単にどんなものか御紹介してみたいと思います。
文章構成はLAW M72ウィキのほぼ丸パクリです。



正式名称:64mm無反動砲M80
愛称:ゾーリャ
開発国:ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
開発時期:1980年

かつての製造国:ユーゴスラビア
現在の製造国:セルビア、マケドニア
現在のメーカー:オクトーバー11 ユーロコンポジット(マケドニア)

使用国:
ボスニア・ヘルツェゴビナ
クロアチア
インドネシア
モンテネグロ
セルビア
シンガポール
スロベニア



M80ゾーリャ(Zolja=セルビア・クロアチア語「スズメバチ」)は、1発の成形炸薬弾を、2本の筒を1列につなげた発射器で梱包した構成である。
ソ連製RPG-18やチェコスロバキア製RPG-75同様、米国製LAW M72の影響を受けて開発された対戦車ロケット弾だ。



運搬状態では、ファイバーグラス製の発射器後部は同じくファイバーグラス製の前部発射器の中に収納されている。この状態では、発射器は防水容器の機能を持ち、また弾薬の点火系列は遮断されて安全に運搬できる。



発射器前部には上部に押し込み式のトリガー、折り畳み式の照星と照門、下部に後部ガス噴射口カバーがつく。発射器後部には点火装置が設けられている。

発射手順は以下のとおり。



(一)砲口カバーの口金を外す。ばね仕掛けにより自動的に照星が立ち上がる
(二)後部ガス噴射口の口金を外す
(三)後部を引き伸ばして展開する。このとき同時に照星カバーに押さえ付けられていた照星がばね仕掛けで立ち上がる。また、この時点で正常な装填状態になっていれば後部は引き出し限界位置で固定される。
(四)後部を肩に乗せ射撃姿勢をとる。照門と目との距離は10~15cm離す。
(五)照門後方の安全装置を引き出し解除する。
(六)標的に照準する
(七)照門前方の点火系接続ボタンを押す。これにより初めて発射可能な状態となる
(八)点火系接続ボタンの前方にある発射ボタンを押し、ロケット弾発射!



弾薬は口径64mmの成形炸薬弾で、PIBD信管と弾道を安定させる6枚の翼がある固定弾である。翼は弾底部にあり、ヒンジを介して前方に折り畳まれた状態で装填されている。射入角90度で最大300mmの鋼板を貫通する能力を持つ。自爆機能が備えられており、目標に命中しなかった場合飛行時間4~6秒で爆発する。



照準は、25m毎の目盛がついたプラスチック製照星を照門から覗き込んで行う。トリガーの前にある安全装置を解除し、トリガーを押し込むと弾薬に内蔵されている推進薬が燃焼して約760℃のガスを後方に噴射し、ほぼ無反動で発射される。



後方危険地域は軸線後方の左右30°距離40mの範囲で、発射時にはこの範囲に高温のガスを噴射する。一度射撃した発射器は次弾の再装填はできず廃棄される使い切り式である。



ユーゴ内戦ではユーゴスラビア軍及びユーゴスラビア軍から派生したスルプスカ軍、同じくユーゴスラビア軍から武器供給を受けていたクライナ軍及びその傘下の民兵集団は勿論、スロベニアやクロアチア、ボスニア、コソボ各民族の独立勢力も鹵獲及び購入(※セルビア人側の民兵集団は一部が大規模な武器横流しに携わっていた)優勢な機甲戦力を持つユーゴスラビア軍に対し多数を投入した。



現在でも旧ユーゴ圏やかつての非同盟諸国を中心に使用され続けている。


諸元
口径          64 mm
総重量(弾薬含む) 3.00 kg
重量(弾薬除く)   1.58 kg
弾薬重量       1.42 kg
運搬時全長     860 mm
発射時全長     1200 mm
最大貫通装甲厚  300 mm
最大射程 1280 m
有効射程(移動目標) 250m
有効射程(固定目標) 400m
銃口初速 190m/s


LAW M72に比べるとかなり長くて重いですね。


【民間での使用例】

1999年11月クロアチアでの犯罪組織による使用例(対立するクラン同士の抗争で使用。暗殺目的で発射されるも標的を外れ、無関係の市民1人が犠牲となる)


2003年3月セルビア首相ゾラン・ジンジッチ暗殺事件における使用状況(高速道路で待ち伏せ、首相の車列を狙う計画だったが、実行犯のひとりミレンコヴィチがトラックで車列を停止させる当初の手順を果たせなかったため失敗 ☓)

その他イタリアを中心にヨーロッパ各地で犯罪組織の密輸品が摘発されており、紛争地でもおそらく使用されているものと思われます。

ソースがインターネットの引用ばかりで雑な内容となってしまいました。
いずれユーゴ軍教範の該当項目を翻訳するなどした上で、ユーゴ内戦中の使用例動画や写真資料をもっと数多く集めて再度発表できたらいいなと思っております。

蛇足ですが、2本あっても仕方ないなということで1本はヤフオクに出品中です。
ご興味ありましたら、是非そちらも御覧下さい。


↑ 落札されました。御覧頂いた皆様、ありがとうございました。


おまけ:ボスニアのランボーネジャド・クリチッチさん



そのスネーク邪魔じゃないですかクリチッチさん。
M80ゾーリャ発射シーンは2:16あたりです  

2011年10月16日

M77野戦服(夏季戦闘時)・略装



先週日曜日に、デザートストーム川越の定例会に参加させて頂いた。
さいわい休憩所で同席したのが実に気さくなカップルで、お願いして何枚か写真を撮って頂くことができた。これ幸いと久々の更新に使わせて頂く。



なお数年前からブログの記述にあたってはですます調を文体としてきたが、「●旗」のようで却って居心地が悪いため、今日より改める。
筆者は未だ蒙古斑も消えぬほどの若輩者であるため(←ウソつけ)少々横柄に感じられる向きもあろうが、ご容赦されたい。



(1)ユーゴスラビア人民軍 地上軍 自動車化歩兵 兵卒

・M59/85スチールヘルメット
・旧式ヘルメットカバー
・M77コンバットシャツ
・M77コンバットパンツ
・70年代兵用バックルブーツ
・兵用レザーウェビング
・ツァスタバM57用ホルスター
・LCT製電動RPK(ツァスタバM72代用)

なにぶんサバイバルゲームの休憩時に慌ただしく撮影した写真であるため、腰に提げた車のキー、敵味方識別用に両腕に巻かれたユーゴスラビア軍当直腕章、革手袋などについては見なかった事にして頂けるとありがたい。

また、サバイバルゲームにおける利便性の観点から、ウェビング周りを相当部分省略した。
ユーゴスラビア軍の軍服規定からは大幅に逸脱するが、内戦中実際に見られた装備例に基づいての形式変更であるため、これはこういうものと思ってお許し頂きたい。




ボスニアの反戦映画「ノー・マンズ・ランド」にも、規定どおりにガスマスクポーチ、野戦スコップ等ウェビングを満艦飾にして現れた新兵ニノを古参兵が叱り飛ばし、余分な装備を外させるシーンがあった。
上の動画は別のシーンだが、指導を受けた後のニノ(眼鏡にベレー、M77野戦服の人物)の軽装がよく御覧頂けると思う。


英国BBC製作「ユーゴスラビアの崩壊」より。
4:48で特派員のインタビューに答える気の毒なユーゴ兵は、正に今回筆者が身につけていたのと非常に似た格好をしている。



ただ、この頃(90年代)にはダブルバックルの戦闘靴が主流であり、筆者が履いている70年代の戦闘靴とはバックルの位置が異なる。
画像は1989年度版ユーゴスラビア人民軍軍服規定集より。
フランス軍のものに似た、ダブルバックルブーツが採用されているのがわかる。
もっとも靴底や内張り、全体の形状などを見ればまるで別物なのだが。



M77戦闘服とSMB戦闘服の差異はほとんど誤差の範囲である。
タグの様式が異なる、ロールアップした袖を留めるボタンがないといった程度なので特に詳しい説明は省略する。

生地の色は、画像よりやや暗いフィールドグレー。




画像は実際の着用例。
左から一番目、二番目が十日間戦争時のもの、右は内戦勃発前の写真。
いずれも所属はユーゴスラビア地上軍。
兵科は自動車化狙撃兵=歩兵であり、肩章が示す階級は上等兵である。
手にしている自動小銃はツァスタバM70の折り畳みストックを備えたカービン・モデル、ツァスタバM70AB1だ。

ハンドガードの形状が特異であり、市販のエアーガンで再現するのは困難なため、次善の策として筆者はRPKの電動ガンをツァスタバM72軽機関銃の代用としている。
これもバレルに放熱フィンが設けられている、グリップが黒色の樹脂製であるなどソ連製のRPKとは異なる形状を持つが、M70自動小銃とその原型となったAKMに比べればまだマシだと言える。
というか、現状どうしようもないのでそういう事にしておく。



サバイバルゲームで実際に着用してみた雑感としては、生地が薄く軽快であるため、タイトな見た目に反して非常に動きやすい野戦服だと感じた。
反面後世のM89迷彩戦闘服に比べれば、耐久性には問題があったのだろう。
ボスニア内戦も半ばを過ぎると、正規軍の前線部隊では瞬く間に姿を消していった。

さて、SMB野戦服/M77野戦服には(当然ながら)野戦ジャケットやパーカーも存在する。
筆者の手元には両方持ち合わせがあるにはあるのだが、撮影日は暑かったので、持って行かなかった。
また別の機会にご紹介したい。

次回は、M89/M93迷彩について取り上げる。

  

2011年07月07日

ユーゴスラビア軍M89ケブラーヘルメット


ユーゴスラビア軍M89ケブラーヘルメット。
赤星のペイントを隠すように貼り付けられた「JA=ユーゴ軍」のヘルメットデカールは、1991年~1993年のごく短い期間に使用されたものです。


背景の国旗がソ連でスミマセン。
この写真を撮影した頃はユーゴやセルビアの国旗を持っていなかったもので・・・。


ライナーもキレイですね!
友人は米海兵隊のヘルメットライナーと換装して「ヤポニスタン軍ケブラーヘルメット」とかいう謎の存在に魔改造していました(酷)。


使用例。
正確な年代は忘れましたが、1992~1993年頃のスルプスカ共和国軍だと思います。



こちらは2001年プレシェヴォ渓谷危機、ユーゴ連邦軍の兵士達。
地雷ほじってますね。
ほか、後のコソヴォ紛争を経て現在でも二線級の部隊では未だ使用されているようです。


M89迷彩(MD89迷彩)のヘルメットカバー。
本来より肉の薄いM56スチールヘルメット用なので、すこしキツいです。
地上軍及び防空軍用。


同じく迷彩ヘルメットカバー。
こちらは軍ではなくMUPの治安部隊用です。

ほか、NATO迷彩(ウッドランド)のヘルメットカバーも存在します。
やはり2001年頃から現在まで使用されていますが、ユーゴ固有ではない=つまらない迷彩柄なので手放してしまいました(笑)。
PCのどこかを探せば画像くらい出てくると思いますが・・・。