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Posted by ミリタリーブログ at

2015年06月14日

ボスニア軍装基本のキ!(七)JNA各種野戦服

■ユーゴスラヴィア人民軍の遺産

M89

ARBiHでは内務省リザード迷彩以外にも、旧体制下で製作された被服が使用されていました。

M77

しかしM55ウール野戦服やM77コットン野戦服、M87迷彩、M89迷彩をボスニア紛争テーマのヒストリカルゲームで着用する際には、敵味方の識別が可能なように極力コーディネートを工夫する必要があります。



例えばこの部隊は全員がM77野戦服を着用していますが、大きな部隊章を腕や胸に縫い付けていることがわかります。

エポレットにイスラム教で礼拝に用いる数珠「タスビーフ」を提げる、ヘルメットにボスニアの国章や部隊章を大きくペイントする、ウッドランド迷彩などより「ボスニア軍らしい」迷彩の被服とミックスするのも良いでしょう。

16.MOZ冬季迷彩服



そうした旧ユーゴ製の軍服の中で、一風変わった地位を占めているのがMOZ冬季迷彩戦闘服です。



ボスニア内戦における交戦3勢力すべて、そしてクロアチア紛争やコソボ紛争においても雪中戦闘時の偽装目的で多用されていた被服ですが、ARBiHにおいてはやや異なる役割も担っていました。
プロパガンダです。

MOZahideen

民族融和を強調した欧米先進諸国向けの宣伝とは裏腹に、ボシュニャク人のアイデンティティーを強化しイスラム諸国からの支援を取り付けるためボスニア政府はイスラム化政策を推進しました。


第1ムスリム歩兵旅団、第4ムスリム・スラブ旅団、第7ムスリム旅団、第737ムスリム旅団などイスラム教徒だけで構成された(※実際にはそうとも限らなかったようですが)ムスリム部隊を創設するなど「聖戦」イメージを利用していく中で、また「エル・ムジャヒッド」と呼ばれたイスラム諸国からの義勇兵達からの文化的影響を受け、パーカーのフードを鉢巻で留めて「イスラム聖戦士」風に装う軍人達が登場します。



フードつきで白い色、おまけに冬季以外は無用の長物であったMOZ冬季迷彩服は、スカーフを垂らし長衣を身に纏った英雄的なムジャヒディーンの「コスプレ」にはうってつけの手軽な衣装でした。

こうした「ムジャヒディーン」達の雄姿はTV番組などのメディアを通じてしきりに喧伝されていたため、今でも写真や録画映像で容易にその様子を知ることができます。



Balkan Wars Living History Group 著

セルビやんこと林鳥巣 編訳 


■ちなみに

今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込は以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。  

2015年06月14日

ボスニア軍装基本のキ!(六)その他諸外国の軍服

■その他諸外国の軍服

米国製ウッドランド迷彩については既に述べました
これからARBiHが使用したその他諸外国の戦闘服について紹介したいと思います。

ARBiHにおいては、非正規の民兵部隊と正規軍であるとを問わず、手に入る被服なら何でも使用されていたのが実情だったと言えます。
これらの非殺傷性軍需物資は、国連の禁輸措置下においても殆ど実効性のある制限を受けずに流入していました。
あまつさえ、一部は中立であるべき国連防護軍の現地部隊からもたらされたものさえあったとされています。

9 ブルガリア「スプリンター」迷彩



ブルガリア軍の迷彩服は、ボスニア紛争においては殆どARBiHでしか使用例が確認されていません。
ズボンの他、ジャケットを分解して製作されたチェストリグなどが記録に残っています。

このブルガリアスプリンター迷彩チェストリグは、のちにコソボ紛争においてもコソボ解放軍などの反乱勢力によって使用されたことがわかっています(※混同を避けるため、此処では画像を省略します)。
ボスニア内戦には、ムスリムの同胞を救うためコソボ自治州やアルバニア本国から多数のアルバニア人が義勇兵として参戦していました。
他にもボスニア内戦に特有の特徴を備えたローカルメイドのチェストリグやアサルトベストがコソボにおいても頻繁に登場していることから、現地製造の他、ボスニア政府や民間の支援団体からコソボの反乱勢力に対する軍需物資の支援があったと見るのが自然と思われます。

10 東独レインドロップ迷彩

raindrop

ドイツ統一により不要となった旧東ドイツの軍服や装備品は、世界の他の紛争地域と同様90年代のボスニアでも使用されていました。
東ドイツ製レインドロップ迷彩服は紛争初期のクロアチア国民防衛隊同様、ARBiHでも主に防寒衣として利用されていたものと思われます。

11 西ドイツOD野戦服




迷彩服ではありませんが、西ドイツ製の単色野戦服も利用されていました。
主にセーターなどの着用例が確認されています。

12 オーストリア軍ピーカモ

aus

余り一般的とは言えませんが、一応は着用例が記録に残っています。
この写真ではカモパーカーの裾を切除してあるようです。

13 スロベニアM91迷彩

M91

これもレアケースです。
それなりに着用例はあるものの、やはり一般的とは言えません。

14 ドイツ連邦軍フレクターン迷彩

wg


迷彩カバーオールなどの着用がごく稀に見られます。
紛争のごく終盤から登場する被服であるため、雰囲気を重視するならばヒストリカルゲームなどでの着用は余り推奨できません。

15 ギリシャリザード迷彩

g

レアケースです。
ギリシャ国家情報庁の支援を受けていたスルプスカ共和国軍からの鹵獲品である可能性が高いと推測されます。




Balkan Wars Living History Group 著

セルビやんこと林鳥巣 編訳 


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2015年06月14日

ボスニア軍装基本のキ!(五) ボスニア独自の迷彩パターン

■ボスニア独自の迷彩パターン

ボスニア紛争期、ARBiHでは数種類の独自にデザイン・製造された迷彩服が使用されていました。
これらの多くは外国製サープラス品に比べると供給数が少なく、局地的にしか着用例が認められないものが多い傾向にあります。


5. ビハチ「フロッグスキン」迷彩

bihac1

VRS包囲下のビハチにおいて、ARBiH側で多く見られた迷彩服です。


6.フロッグスキン迷彩派生型



ビハチのものと似てはいますが、別の地域でも使用が見られる迷彩服です。
テクスチャー同士の重なりがないのが特徴です。


7.ローカルメイド「ブロット」迷彩

blot


いつ何処からもたらされたものか、この迷彩については殆ど何もわかっていません。
シャツの他、同柄のコンバットパンツも製造されていたようです。





Balkan Wars Living History Group 著

セルビやんこと林鳥巣 編訳 


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2015年06月14日

ボスニア軍装基本のキ!(四)社会主義ユーゴ及び鹵獲セルビアリザード迷彩

4. 社会主義ユーゴ及びセルビアリザード迷彩

liz

ARBiHも主敵・スルプスカ共和国軍(VRS)と同様にリザード迷彩柄の戦闘服を着用していました。

内戦勃発以前のボスニア・ヘルツェゴヴィナ社会主義共和国では各地の警察署や内務省関連の私設でリザード迷彩を対テロ部隊の迷彩服として備蓄していましたから、何ら不思議はありません。

liz1

また社会主義時代のものに比べれば少数ではありますが、VRSからの鹵獲品を着用している例も戦場写真や映像で確認されています。



Balkan Wars Living History Group 著

セルビやんこと林鳥巣 編訳 


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