2015年06月19日
セルビア軍装基本のキ!追補(二)VRSの軍靴
■追補(二)VRSの軍靴
ボスニア内戦の全期間を通じて、スルプスカ共和国軍の将兵は様々な軍靴を履いて戦場を駆け抜けました。
大多数が入手の容易な旧いユーゴスラヴィア人民軍官給品を使い続ける一方で、外国製品や民生品を選ぶ者も少なくなかったようです。
最も広汎に使用されたのは1970年代にJNAへ導入されたダブルバックルブーツです。
日本で入手しやすい代用品としてはフランス軍のダブルバックルブーツか、ミドリ安全などの安全靴を選ぶとよいでしょう。
バックルベルトのハトメの有無や基本構造・靴底のパターンなど形状の違いを挙げればキリがありませんが、一応は黒い革製の長靴で二本のバックルベルトがついている・・・という最低限の条件は満たしてくれています。
より旧型のM55ブーツも極めてよく見られる軍靴のひとつです。
経済的に余裕のある軍人は、競って外国製の軍靴を求めました。
いちばん人気が高かったのは、言うまでもなくアメリカ製のミリタリーブーツです。
他にも殆ど全ての欧州諸国からサープラス品が流入していました。
履きやすく質の高い民生品のレザーブーツ、それにハイキングブーツの類いも好んで選ばれていたようです。
クロアチア側の義勇兵であった邦人の著書にも同様の記述があり、事実HVOやARBiHでも同様の例が写真や動画で確認できます。
足元事情については、ボスニア内戦3勢力全て概ね似通った状況にあったと言えるでしょう。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込は以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
ボスニア内戦の全期間を通じて、スルプスカ共和国軍の将兵は様々な軍靴を履いて戦場を駆け抜けました。
大多数が入手の容易な旧いユーゴスラヴィア人民軍官給品を使い続ける一方で、外国製品や民生品を選ぶ者も少なくなかったようです。
最も広汎に使用されたのは1970年代にJNAへ導入されたダブルバックルブーツです。
日本で入手しやすい代用品としてはフランス軍のダブルバックルブーツか、ミドリ安全などの安全靴を選ぶとよいでしょう。
バックルベルトのハトメの有無や基本構造・靴底のパターンなど形状の違いを挙げればキリがありませんが、一応は黒い革製の長靴で二本のバックルベルトがついている・・・という最低限の条件は満たしてくれています。
より旧型のM55ブーツも極めてよく見られる軍靴のひとつです。
経済的に余裕のある軍人は、競って外国製の軍靴を求めました。
いちばん人気が高かったのは、言うまでもなくアメリカ製のミリタリーブーツです。
他にも殆ど全ての欧州諸国からサープラス品が流入していました。
履きやすく質の高い民生品のレザーブーツ、それにハイキングブーツの類いも好んで選ばれていたようです。
クロアチア側の義勇兵であった邦人の著書にも同様の記述があり、事実HVOやARBiHでも同様の例が写真や動画で確認できます。
足元事情については、ボスニア内戦3勢力全て概ね似通った状況にあったと言えるでしょう。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
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2015年06月18日
セルビア軍装基本のキ!追補(一)外国人義勇兵の軍装
以前UPしたセルビア軍装基本のキ!ですが、いくつか抜けている箇所がありましたので、これから追加の説明を行ってゆきたいと思います。
■追補(一)外国人義勇兵の軍装
・ロシア人義勇兵
ボスニア紛争では、ロシア人を中心とした旧ソ連出身者によるロシア義勇兵団(РДО)が活動していました。
РДОについては以前ミリブロでも簡単に触れましたので、覚えておいでの方もいらっしゃるかと存じます。
一部にはVSR迷彩、KKO迷彩、時にはKLMK迷彩など、自国から持ち込んだ旧ソ連/ロシア軍の戦闘服を着用する義勇コサックもいました。
現地調達されたユーゴ/スルプスカ製戦闘服にマブタ戦闘帽やパパーハなどの自国の帽子や小物を組み合わせる例もしばしば確認されています。
彼らの写真集や記録映像を眺めてみると、現在80年代ソ連~90年代ロシア軍装を楽しんでいるマニアの皆さんがあまり費用をかけず、気軽にスルプスカ軍装を楽しむにはうってつけの軍装例がいくつか見つかるはずです。
各自、収集活動の困難さを乗り越える鍵を探してみてください。
РДОそのものは1993年後半~1994年初め頃に解散しましたが、その後もボスニアに残留し、個人レベルでスラブ同胞のため戦い続けたコサック達も少なくなかったようです。
・ギリシャ人義勇兵
セルビア同様正教徒が多く、ロシアよりずっと地理的に近いバルカン諸国の一員、ギリシャ。
ギリシャ人義勇兵が1991~1999年に渡ったユーゴ内戦のあらゆる局面で姿を現すのはごく自然な事と言えるでしょう。
ギリシャ正教を信仰する大勢の男達がキリスト教世界の同胞を守るため行動に出ました。
所謂「ギリシャ義勇親衛隊(ГДГ)」です。
多くのギリシャ義勇親衛隊員は自国のギリシャリザード迷彩を身にまとう一方で、野戦装備類は現地調達したものを混用しました。
戦場においては粘り強く戦い、現地のセルビア人達ともよく連携し固い団結を誇ったとされています。
ロシア人とは対照的に、ギリシャ人義勇兵は基本的にセルビア人達に混じって任務に当たり、1994年戦争終盤まで独立したギリシャ人部隊を結成することはありませんでした。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込は以下メールアドレスまで。
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■追補(一)外国人義勇兵の軍装
・ロシア人義勇兵
ボスニア紛争では、ロシア人を中心とした旧ソ連出身者によるロシア義勇兵団(РДО)が活動していました。
РДОについては以前ミリブロでも簡単に触れましたので、覚えておいでの方もいらっしゃるかと存じます。
一部にはVSR迷彩、KKO迷彩、時にはKLMK迷彩など、自国から持ち込んだ旧ソ連/ロシア軍の戦闘服を着用する義勇コサックもいました。
現地調達されたユーゴ/スルプスカ製戦闘服にマブタ戦闘帽やパパーハなどの自国の帽子や小物を組み合わせる例もしばしば確認されています。
彼らの写真集や記録映像を眺めてみると、現在80年代ソ連~90年代ロシア軍装を楽しんでいるマニアの皆さんがあまり費用をかけず、気軽にスルプスカ軍装を楽しむにはうってつけの軍装例がいくつか見つかるはずです。
各自、収集活動の困難さを乗り越える鍵を探してみてください。
РДОそのものは1993年後半~1994年初め頃に解散しましたが、その後もボスニアに残留し、個人レベルでスラブ同胞のため戦い続けたコサック達も少なくなかったようです。
・ギリシャ人義勇兵
セルビア同様正教徒が多く、ロシアよりずっと地理的に近いバルカン諸国の一員、ギリシャ。
ギリシャ人義勇兵が1991~1999年に渡ったユーゴ内戦のあらゆる局面で姿を現すのはごく自然な事と言えるでしょう。
ギリシャ正教を信仰する大勢の男達がキリスト教世界の同胞を守るため行動に出ました。
所謂「ギリシャ義勇親衛隊(ГДГ)」です。
多くのギリシャ義勇親衛隊員は自国のギリシャリザード迷彩を身にまとう一方で、野戦装備類は現地調達したものを混用しました。
戦場においては粘り強く戦い、現地のセルビア人達ともよく連携し固い団結を誇ったとされています。
ロシア人とは対照的に、ギリシャ人義勇兵は基本的にセルビア人達に混じって任務に当たり、1994年戦争終盤まで独立したギリシャ人部隊を結成することはありませんでした。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込は以下メールアドレスまで。
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2015年06月15日
ボスニア軍装基本のキ!(九)ARBiHの個人携行火器
21.ARBiHの個人携行火器
兵器供給源を外部に依存していたARBiHは、その武装もまた極めて雑多で混乱した体系を持っていました。
敵対勢力とは異なり、主力小銃すら必ずしもユーゴ製M70AB2に統一されているとは言えない状況で、多種多様なAK系統の自動小銃が混用されていました。ルーマニア製が最も普及しており、次いでブルガリア製、ハンガリー製が多く見られます。
東欧以外の、特にイスラム諸国からもたらされた小火器としてはH&K G3やセトメなどのバトルライフル、RPDやRPKといった各種機関銃が挙げられます。
勿論ここでもAK系統の自動小銃は無視できない存在で、特にイランが供給した中国製56式自動小銃はその筆頭と言えましょう。
他の勢力と同様、M53シャラツ、MG42、MG34、M84、M72といったユーゴ製またはユーゴ国内で予備兵器として備蓄されていた機関銃も多用されました。
少数ながらZB26やDP28軽機関銃の存在も確認されています。
M16A1/A2、ガリルといった5.56mm自動小銃、ウルティマックス軽機関銃も戦場写真や映像記録には一応登場しますが、余り一般的とは言えません。
実戦でどの程度活躍したのかについては少々疑問符の残るところです。
ボスニア各地では多くの市街戦が繰り広げられ、ARBiHはその度に夥しい犠牲を強いられました。
あらゆる短機関銃と散弾銃がこの鉄と血の地獄に投入されましたが、主だったものとしてはサラエボの警察署から持ち出されたMP5、二線級兵器であったソ連製PPSh41、米国製トンプソンM1A1、ドイツ製MP40、その他M56やM49といったユーゴ製の短機関銃が挙げられます。
また深刻な武器不足に悩まされていた開戦初期のサラエボでは止むを得ず粗雑な簡易製造SMGで急場を凌いでいたようです。
散弾銃は各種猟銃の他、警察用のモスバーグM500やレミントン870コピーが用いられていました。
狙撃銃としては22口径を中心に各種の猟銃、またスコープの有無を問わずモーゼル系統の軍用小銃やユーゴ版SKSであるM59/66半自動小銃が、またマークスマンライフルとしてM76半自動狙撃銃がありました。
強大な機甲戦力を持つクロアチア防衛評議会やスルプスカ共和国軍に対抗するため、ARBiHはユーゴ製の豊富な対戦車火器を備えていました。
M57、M79、またM80使い捨てロケットランチャーが都市と郊外を問わず拠点防衛や陣地攻略に活用されています。
諸外国からは9K111のようなソ連製対戦車ミサイル、また少数ながらカール・グスタフ無反動砲も供与されていたようです。
おなじみのRPG-7は主に中国製の69式やイラン製DIO RPG-7コマンドーが多用されました。
対戦車火器ではないものの、榴弾の投射手段としてはM59/66半自動小銃やM70自動小銃から発射可能なM68ライフルグレネードを中心に南アフリカ製のミルコ―MGLグレネードランチャーなどが実戦に投入されていました。
重機関銃はM2ブローニング、DShK、より旧式のブローニング1919、そしてユーゴ製の各種20mm対空機関砲が対地目標に対して恐るべき制圧火力を誇っていた事は有名です。
爆発物は手榴弾、成形爆薬、対人・対戦車地雷ともにユーゴ製が大半でしたが、中には諸外国のものも含まれていました。
こちらは国連の武器回収プログラム関連資料を当たれば詳しい情報に触れる事が可能です。
長距離火力支援にはやはりユーゴ製を中心に各種60mm迫撃砲、連装ロケットランチャー、榴弾砲、対戦車砲などが用いられていました。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
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兵器供給源を外部に依存していたARBiHは、その武装もまた極めて雑多で混乱した体系を持っていました。
敵対勢力とは異なり、主力小銃すら必ずしもユーゴ製M70AB2に統一されているとは言えない状況で、多種多様なAK系統の自動小銃が混用されていました。ルーマニア製が最も普及しており、次いでブルガリア製、ハンガリー製が多く見られます。
東欧以外の、特にイスラム諸国からもたらされた小火器としてはH&K G3やセトメなどのバトルライフル、RPDやRPKといった各種機関銃が挙げられます。
勿論ここでもAK系統の自動小銃は無視できない存在で、特にイランが供給した中国製56式自動小銃はその筆頭と言えましょう。
他の勢力と同様、M53シャラツ、MG42、MG34、M84、M72といったユーゴ製またはユーゴ国内で予備兵器として備蓄されていた機関銃も多用されました。
少数ながらZB26やDP28軽機関銃の存在も確認されています。
M16A1/A2、ガリルといった5.56mm自動小銃、ウルティマックス軽機関銃も戦場写真や映像記録には一応登場しますが、余り一般的とは言えません。
実戦でどの程度活躍したのかについては少々疑問符の残るところです。
ボスニア各地では多くの市街戦が繰り広げられ、ARBiHはその度に夥しい犠牲を強いられました。
あらゆる短機関銃と散弾銃がこの鉄と血の地獄に投入されましたが、主だったものとしてはサラエボの警察署から持ち出されたMP5、二線級兵器であったソ連製PPSh41、米国製トンプソンM1A1、ドイツ製MP40、その他M56やM49といったユーゴ製の短機関銃が挙げられます。
また深刻な武器不足に悩まされていた開戦初期のサラエボでは止むを得ず粗雑な簡易製造SMGで急場を凌いでいたようです。
散弾銃は各種猟銃の他、警察用のモスバーグM500やレミントン870コピーが用いられていました。
狙撃銃としては22口径を中心に各種の猟銃、またスコープの有無を問わずモーゼル系統の軍用小銃やユーゴ版SKSであるM59/66半自動小銃が、またマークスマンライフルとしてM76半自動狙撃銃がありました。
強大な機甲戦力を持つクロアチア防衛評議会やスルプスカ共和国軍に対抗するため、ARBiHはユーゴ製の豊富な対戦車火器を備えていました。
M57、M79、またM80使い捨てロケットランチャーが都市と郊外を問わず拠点防衛や陣地攻略に活用されています。
諸外国からは9K111のようなソ連製対戦車ミサイル、また少数ながらカール・グスタフ無反動砲も供与されていたようです。
おなじみのRPG-7は主に中国製の69式やイラン製DIO RPG-7コマンドーが多用されました。
対戦車火器ではないものの、榴弾の投射手段としてはM59/66半自動小銃やM70自動小銃から発射可能なM68ライフルグレネードを中心に南アフリカ製のミルコ―MGLグレネードランチャーなどが実戦に投入されていました。
重機関銃はM2ブローニング、DShK、より旧式のブローニング1919、そしてユーゴ製の各種20mm対空機関砲が対地目標に対して恐るべき制圧火力を誇っていた事は有名です。
爆発物は手榴弾、成形爆薬、対人・対戦車地雷ともにユーゴ製が大半でしたが、中には諸外国のものも含まれていました。
こちらは国連の武器回収プログラム関連資料を当たれば詳しい情報に触れる事が可能です。
長距離火力支援にはやはりユーゴ製を中心に各種60mm迫撃砲、連装ロケットランチャー、榴弾砲、対戦車砲などが用いられていました。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込は以下メールアドレスまで。
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2015年06月15日
ボスニア軍装基本のキ!(八)ARBiHの個人装備
■17 ARBiHの個人装備
被服と同様、野戦装備もボスニア兵は手に入る物なら何でも構わず利用していました。
こと予備弾薬運搬手段の多様さには、他の2勢力と比べても目を見張るものがあります。
旧ユーゴ、アメリカ製、ヨーロッパ周辺諸国からの輸入品・・・チェストリグは自作することもあれば既成品を購入することもありました。
ブーツも軍用のみならずスニーカーや軽登山靴、ウエスタンブーツなどの多種多様な民生品が混用されていました。
武器については言うまでもありません。
さて、それでは各項目について簡単に触れてゆきたいと思います。
18.ベストと野戦装備
中国軍の五六式弾帯からアメリカ軍のフラックベスト、奇妙なかたちをした現地での戦時急造品に至るまで、ARBiHの用いたアサルトベストとチェストリグの多様さは恐るべきものでした。
下記の画像を御覧下さい。
此処に見られる何種類ものベストやチェストリグは、ほんの一部の例に過ぎません。
ウェビング類もユーゴ国産・米国製・欧州各国問わず多種多様なサスペンダーキットが使用されていました。
ベストやチェストリグが常に不足しがちだった一方、流石にピストルベルトにまで事欠くような有り様はそうそうなかったようです。
特にユーゴスラヴィア人民軍官給レザーピストルベルトは、全軍共通の最も一般的なアイテムであったと言えます。
19.ヘッドギア
ヘルメットも複数種類が使用されていました。
米軍M-1ヘルメット、東ドイツM56/76ヘルメット、ユーゴ製M59/85ヘルメットの3種類がその代表例ですが、他にもヨーロッパ各国の多種多様なヘルメット着用例が知られています。
旧ユーゴ製のヘルメットは、多くの場合人民軍の赤い星をボスニアの国章に置き換えたり、ヘルメットカバーで覆ってしまったり、あるいは迷彩塗装で塗り潰して敵味方の識別に努めていたようです。
帽子についても、民生品やベレー帽、ウッドランド迷彩のフィールドキャップなど様々な種類が用いられていました。
スウェットバンド、鉢巻も多くの兵士達に好まれました。
着用する理由としては、ただ単純に「ランボーみたいに見えて格好良いから」という元兵士による複数の証言が確認されています。
部隊単位で色や図柄が統一されている場合は、識別章や団結の印としての意味合いが強かったのでしょう。
イスラム教特有の信仰告白の誓句や、政治的なスローガンを書きつけることも一般的に行われていました。
20.ブーツ他靴類
市街戦においては静かで動きやすいランニングシューズやスニーカーが好まれました。
それ以外の戦場ではブーツを履いて戦いに臨んでいたようです。
旧ユーゴ製軍靴、民生品ハイキングブーツ、外国軍の放出品・・・ボスニア軍の戦場写真を眺めていると、時には東ドイツ製のジャックブーツやゴム長にまで出くわすことがあります。
そうした靴が何故選ばれたかについて、事細かに考察することには殆どの場合何の意味もありません。
手に入る物を使っていた、ただそれだけのことなのです。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
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被服と同様、野戦装備もボスニア兵は手に入る物なら何でも構わず利用していました。
こと予備弾薬運搬手段の多様さには、他の2勢力と比べても目を見張るものがあります。
旧ユーゴ、アメリカ製、ヨーロッパ周辺諸国からの輸入品・・・チェストリグは自作することもあれば既成品を購入することもありました。
ブーツも軍用のみならずスニーカーや軽登山靴、ウエスタンブーツなどの多種多様な民生品が混用されていました。
武器については言うまでもありません。
さて、それでは各項目について簡単に触れてゆきたいと思います。
18.ベストと野戦装備
中国軍の五六式弾帯からアメリカ軍のフラックベスト、奇妙なかたちをした現地での戦時急造品に至るまで、ARBiHの用いたアサルトベストとチェストリグの多様さは恐るべきものでした。
下記の画像を御覧下さい。
此処に見られる何種類ものベストやチェストリグは、ほんの一部の例に過ぎません。
ウェビング類もユーゴ国産・米国製・欧州各国問わず多種多様なサスペンダーキットが使用されていました。
ベストやチェストリグが常に不足しがちだった一方、流石にピストルベルトにまで事欠くような有り様はそうそうなかったようです。
特にユーゴスラヴィア人民軍官給レザーピストルベルトは、全軍共通の最も一般的なアイテムであったと言えます。
19.ヘッドギア
ヘルメットも複数種類が使用されていました。
米軍M-1ヘルメット、東ドイツM56/76ヘルメット、ユーゴ製M59/85ヘルメットの3種類がその代表例ですが、他にもヨーロッパ各国の多種多様なヘルメット着用例が知られています。
旧ユーゴ製のヘルメットは、多くの場合人民軍の赤い星をボスニアの国章に置き換えたり、ヘルメットカバーで覆ってしまったり、あるいは迷彩塗装で塗り潰して敵味方の識別に努めていたようです。
帽子についても、民生品やベレー帽、ウッドランド迷彩のフィールドキャップなど様々な種類が用いられていました。
スウェットバンド、鉢巻も多くの兵士達に好まれました。
着用する理由としては、ただ単純に「ランボーみたいに見えて格好良いから」という元兵士による複数の証言が確認されています。
部隊単位で色や図柄が統一されている場合は、識別章や団結の印としての意味合いが強かったのでしょう。
イスラム教特有の信仰告白の誓句や、政治的なスローガンを書きつけることも一般的に行われていました。
20.ブーツ他靴類
市街戦においては静かで動きやすいランニングシューズやスニーカーが好まれました。
それ以外の戦場ではブーツを履いて戦いに臨んでいたようです。
旧ユーゴ製軍靴、民生品ハイキングブーツ、外国軍の放出品・・・ボスニア軍の戦場写真を眺めていると、時には東ドイツ製のジャックブーツやゴム長にまで出くわすことがあります。
そうした靴が何故選ばれたかについて、事細かに考察することには殆どの場合何の意味もありません。
手に入る物を使っていた、ただそれだけのことなのです。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
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2015年06月14日
ボスニア軍装基本のキ!(七)JNA各種野戦服
■ユーゴスラヴィア人民軍の遺産
ARBiHでは内務省リザード迷彩以外にも、旧体制下で製作された被服が使用されていました。
しかしM55ウール野戦服やM77コットン野戦服、M87迷彩、M89迷彩をボスニア紛争テーマのヒストリカルゲームで着用する際には、敵味方の識別が可能なように極力コーディネートを工夫する必要があります。
例えばこの部隊は全員がM77野戦服を着用していますが、大きな部隊章を腕や胸に縫い付けていることがわかります。
エポレットにイスラム教で礼拝に用いる数珠「タスビーフ」を提げる、ヘルメットにボスニアの国章や部隊章を大きくペイントする、ウッドランド迷彩などより「ボスニア軍らしい」迷彩の被服とミックスするのも良いでしょう。
16.MOZ冬季迷彩服
そうした旧ユーゴ製の軍服の中で、一風変わった地位を占めているのがMOZ冬季迷彩戦闘服です。
ボスニア内戦における交戦3勢力すべて、そしてクロアチア紛争やコソボ紛争においても雪中戦闘時の偽装目的で多用されていた被服ですが、ARBiHにおいてはやや異なる役割も担っていました。
プロパガンダです。
民族融和を強調した欧米先進諸国向けの宣伝とは裏腹に、ボシュニャク人のアイデンティティーを強化しイスラム諸国からの支援を取り付けるためボスニア政府はイスラム化政策を推進しました。
第1ムスリム歩兵旅団、第4ムスリム・スラブ旅団、第7ムスリム旅団、第737ムスリム旅団などイスラム教徒だけで構成された(※実際にはそうとも限らなかったようですが)ムスリム部隊を創設するなど「聖戦」イメージを利用していく中で、また「エル・ムジャヒッド」と呼ばれたイスラム諸国からの義勇兵達からの文化的影響を受け、パーカーのフードを鉢巻で留めて「イスラム聖戦士」風に装う軍人達が登場します。
フードつきで白い色、おまけに冬季以外は無用の長物であったMOZ冬季迷彩服は、スカーフを垂らし長衣を身に纏った英雄的なムジャヒディーンの「コスプレ」にはうってつけの手軽な衣装でした。
こうした「ムジャヒディーン」達の雄姿はTV番組などのメディアを通じてしきりに喧伝されていたため、今でも写真や録画映像で容易にその様子を知ることができます。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
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ARBiHでは内務省リザード迷彩以外にも、旧体制下で製作された被服が使用されていました。
しかしM55ウール野戦服やM77コットン野戦服、M87迷彩、M89迷彩をボスニア紛争テーマのヒストリカルゲームで着用する際には、敵味方の識別が可能なように極力コーディネートを工夫する必要があります。
例えばこの部隊は全員がM77野戦服を着用していますが、大きな部隊章を腕や胸に縫い付けていることがわかります。
エポレットにイスラム教で礼拝に用いる数珠「タスビーフ」を提げる、ヘルメットにボスニアの国章や部隊章を大きくペイントする、ウッドランド迷彩などより「ボスニア軍らしい」迷彩の被服とミックスするのも良いでしょう。
16.MOZ冬季迷彩服
そうした旧ユーゴ製の軍服の中で、一風変わった地位を占めているのがMOZ冬季迷彩戦闘服です。
ボスニア内戦における交戦3勢力すべて、そしてクロアチア紛争やコソボ紛争においても雪中戦闘時の偽装目的で多用されていた被服ですが、ARBiHにおいてはやや異なる役割も担っていました。
プロパガンダです。
民族融和を強調した欧米先進諸国向けの宣伝とは裏腹に、ボシュニャク人のアイデンティティーを強化しイスラム諸国からの支援を取り付けるためボスニア政府はイスラム化政策を推進しました。
第1ムスリム歩兵旅団、第4ムスリム・スラブ旅団、第7ムスリム旅団、第737ムスリム旅団などイスラム教徒だけで構成された(※実際にはそうとも限らなかったようですが)ムスリム部隊を創設するなど「聖戦」イメージを利用していく中で、また「エル・ムジャヒッド」と呼ばれたイスラム諸国からの義勇兵達からの文化的影響を受け、パーカーのフードを鉢巻で留めて「イスラム聖戦士」風に装う軍人達が登場します。
フードつきで白い色、おまけに冬季以外は無用の長物であったMOZ冬季迷彩服は、スカーフを垂らし長衣を身に纏った英雄的なムジャヒディーンの「コスプレ」にはうってつけの手軽な衣装でした。
こうした「ムジャヒディーン」達の雄姿はTV番組などのメディアを通じてしきりに喧伝されていたため、今でも写真や録画映像で容易にその様子を知ることができます。
Balkan Wars Living History Group 著
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2015年06月14日
ボスニア軍装基本のキ!(六)その他諸外国の軍服
■その他諸外国の軍服
米国製ウッドランド迷彩については既に述べました。
これからARBiHが使用したその他諸外国の戦闘服について紹介したいと思います。
ARBiHにおいては、非正規の民兵部隊と正規軍であるとを問わず、手に入る被服なら何でも使用されていたのが実情だったと言えます。
これらの非殺傷性軍需物資は、国連の禁輸措置下においても殆ど実効性のある制限を受けずに流入していました。
あまつさえ、一部は中立であるべき国連防護軍の現地部隊からもたらされたものさえあったとされています。
9 ブルガリア「スプリンター」迷彩
ブルガリア軍の迷彩服は、ボスニア紛争においては殆どARBiHでしか使用例が確認されていません。
ズボンの他、ジャケットを分解して製作されたチェストリグなどが記録に残っています。
このブルガリアスプリンター迷彩チェストリグは、のちにコソボ紛争においてもコソボ解放軍などの反乱勢力によって使用されたことがわかっています(※混同を避けるため、此処では画像を省略します)。
ボスニア内戦には、ムスリムの同胞を救うためコソボ自治州やアルバニア本国から多数のアルバニア人が義勇兵として参戦していました。
他にもボスニア内戦に特有の特徴を備えたローカルメイドのチェストリグやアサルトベストがコソボにおいても頻繁に登場していることから、現地製造の他、ボスニア政府や民間の支援団体からコソボの反乱勢力に対する軍需物資の支援があったと見るのが自然と思われます。
10 東独レインドロップ迷彩
ドイツ統一により不要となった旧東ドイツの軍服や装備品は、世界の他の紛争地域と同様90年代のボスニアでも使用されていました。
東ドイツ製レインドロップ迷彩服は紛争初期のクロアチア国民防衛隊同様、ARBiHでも主に防寒衣として利用されていたものと思われます。
11 西ドイツOD野戦服
迷彩服ではありませんが、西ドイツ製の単色野戦服も利用されていました。
主にセーターなどの着用例が確認されています。
12 オーストリア軍ピーカモ
余り一般的とは言えませんが、一応は着用例が記録に残っています。
この写真ではカモパーカーの裾を切除してあるようです。
13 スロベニアM91迷彩
これもレアケースです。
それなりに着用例はあるものの、やはり一般的とは言えません。
14 ドイツ連邦軍フレクターン迷彩
迷彩カバーオールなどの着用がごく稀に見られます。
紛争のごく終盤から登場する被服であるため、雰囲気を重視するならばヒストリカルゲームなどでの着用は余り推奨できません。
15 ギリシャリザード迷彩
レアケースです。
ギリシャ国家情報庁の支援を受けていたスルプスカ共和国軍からの鹵獲品である可能性が高いと推測されます。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込は以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
米国製ウッドランド迷彩については既に述べました。
これからARBiHが使用したその他諸外国の戦闘服について紹介したいと思います。
ARBiHにおいては、非正規の民兵部隊と正規軍であるとを問わず、手に入る被服なら何でも使用されていたのが実情だったと言えます。
これらの非殺傷性軍需物資は、国連の禁輸措置下においても殆ど実効性のある制限を受けずに流入していました。
あまつさえ、一部は中立であるべき国連防護軍の現地部隊からもたらされたものさえあったとされています。
9 ブルガリア「スプリンター」迷彩
ブルガリア軍の迷彩服は、ボスニア紛争においては殆どARBiHでしか使用例が確認されていません。
ズボンの他、ジャケットを分解して製作されたチェストリグなどが記録に残っています。
このブルガリアスプリンター迷彩チェストリグは、のちにコソボ紛争においてもコソボ解放軍などの反乱勢力によって使用されたことがわかっています(※混同を避けるため、此処では画像を省略します)。
ボスニア内戦には、ムスリムの同胞を救うためコソボ自治州やアルバニア本国から多数のアルバニア人が義勇兵として参戦していました。
他にもボスニア内戦に特有の特徴を備えたローカルメイドのチェストリグやアサルトベストがコソボにおいても頻繁に登場していることから、現地製造の他、ボスニア政府や民間の支援団体からコソボの反乱勢力に対する軍需物資の支援があったと見るのが自然と思われます。
10 東独レインドロップ迷彩
ドイツ統一により不要となった旧東ドイツの軍服や装備品は、世界の他の紛争地域と同様90年代のボスニアでも使用されていました。
東ドイツ製レインドロップ迷彩服は紛争初期のクロアチア国民防衛隊同様、ARBiHでも主に防寒衣として利用されていたものと思われます。
11 西ドイツOD野戦服
迷彩服ではありませんが、西ドイツ製の単色野戦服も利用されていました。
主にセーターなどの着用例が確認されています。
12 オーストリア軍ピーカモ
余り一般的とは言えませんが、一応は着用例が記録に残っています。
この写真ではカモパーカーの裾を切除してあるようです。
13 スロベニアM91迷彩
これもレアケースです。
それなりに着用例はあるものの、やはり一般的とは言えません。
14 ドイツ連邦軍フレクターン迷彩
迷彩カバーオールなどの着用がごく稀に見られます。
紛争のごく終盤から登場する被服であるため、雰囲気を重視するならばヒストリカルゲームなどでの着用は余り推奨できません。
15 ギリシャリザード迷彩
レアケースです。
ギリシャ国家情報庁の支援を受けていたスルプスカ共和国軍からの鹵獲品である可能性が高いと推測されます。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
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2015年06月14日
ボスニア軍装基本のキ!(五) ボスニア独自の迷彩パターン
■ボスニア独自の迷彩パターン
ボスニア紛争期、ARBiHでは数種類の独自にデザイン・製造された迷彩服が使用されていました。
これらの多くは外国製サープラス品に比べると供給数が少なく、局地的にしか着用例が認められないものが多い傾向にあります。
5. ビハチ「フロッグスキン」迷彩
VRS包囲下のビハチにおいて、ARBiH側で多く見られた迷彩服です。
6.フロッグスキン迷彩派生型
ビハチのものと似てはいますが、別の地域でも使用が見られる迷彩服です。
テクスチャー同士の重なりがないのが特徴です。
7.ローカルメイド「ブロット」迷彩
いつ何処からもたらされたものか、この迷彩については殆ど何もわかっていません。
シャツの他、同柄のコンバットパンツも製造されていたようです。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込は以下メールアドレスまで。
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ボスニア紛争期、ARBiHでは数種類の独自にデザイン・製造された迷彩服が使用されていました。
これらの多くは外国製サープラス品に比べると供給数が少なく、局地的にしか着用例が認められないものが多い傾向にあります。
5. ビハチ「フロッグスキン」迷彩
VRS包囲下のビハチにおいて、ARBiH側で多く見られた迷彩服です。
6.フロッグスキン迷彩派生型
ビハチのものと似てはいますが、別の地域でも使用が見られる迷彩服です。
テクスチャー同士の重なりがないのが特徴です。
7.ローカルメイド「ブロット」迷彩
いつ何処からもたらされたものか、この迷彩については殆ど何もわかっていません。
シャツの他、同柄のコンバットパンツも製造されていたようです。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
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2015年06月14日
ボスニア軍装基本のキ!(四)社会主義ユーゴ及び鹵獲セルビアリザード迷彩
4. 社会主義ユーゴ及びセルビアリザード迷彩
ARBiHも主敵・スルプスカ共和国軍(VRS)と同様にリザード迷彩柄の戦闘服を着用していました。
内戦勃発以前のボスニア・ヘルツェゴヴィナ社会主義共和国では各地の警察署や内務省関連の私設でリザード迷彩を対テロ部隊の迷彩服として備蓄していましたから、何ら不思議はありません。
また社会主義時代のものに比べれば少数ではありますが、VRSからの鹵獲品を着用している例も戦場写真や映像で確認されています。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
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タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
ARBiHも主敵・スルプスカ共和国軍(VRS)と同様にリザード迷彩柄の戦闘服を着用していました。
内戦勃発以前のボスニア・ヘルツェゴヴィナ社会主義共和国では各地の警察署や内務省関連の私設でリザード迷彩を対テロ部隊の迷彩服として備蓄していましたから、何ら不思議はありません。
また社会主義時代のものに比べれば少数ではありますが、VRSからの鹵獲品を着用している例も戦場写真や映像で確認されています。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込は以下メールアドレスまで。
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2015年06月13日
ボスニア軍装基本のキ!(三)MOL 「枝」迷彩
3.MOL 「枝」迷彩
本来は迷彩服でない素材・・・特にMOL迷彩柄の野戦天幕などを転用した戦時急造迷彩服は、ボスニア軍においては塹壕や前線基地での個人制作品から工場生産品に至るまで、既成品の迷彩服が極端に不足していた紛争初期には非常に多用される被服でした。
ジャケットやズボンは勿論、派手派手しい迷彩ベレーや迷彩テンガロンハット、ヘルメットカバー、ゲットーベストのような一風変わったアイテムまでもがMOL迷彩柄のテント生地で製作されていたのです。
紛争中盤以後、迷彩服の供給が改善するとこれらの迷彩天幕はチェストリグ、アサルトベスト、マガジンポーチ、背嚢など他の野戦装備を製造するための素材へと転用されていきます。
また、迷彩天幕そのものを簡易的な迷彩服として用いることも紛争の全期間を通して行われました。
内戦勃発前、かつて単色戦闘服が主流だった時代のユーゴスラヴィア人民軍教本にも偽装要領のひとつとして紹介されている方法です。
このスタイルはクロアチアの戦争映画「沈黙の戦場(※原題:Živi i mrtvi, 『生者と死者』)」終盤でも見ることができます。
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込は以下メールアドレスまで。
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タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
2015年06月13日
ボスニア軍装基本のキ!(二)US「M81」ウッドランドカモ及び派生型
■1 ARBiHの軍服
ボスニア内戦(1992~1995)における他の軍事勢力と比較して、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍(以下ARBiHと略称)の軍装は時期と地域を問わずきわめて雑多なものでした。
その成り立ちからして企業・自治体が地域防衛隊単位で設立した民兵集団や犯罪組織、地域の実力者による私兵集団・人民軍からの脱走兵等々をボスニア戦時政府が糾合して創設されたARBiHは、武装の相当部分を諸外国からの密輸及びクロアチアの支援に依存していました。
当然その軍服もこうした事情を如実に反映しており、欧米各国のサープラス品、クロアチア製ウッドランド迷彩、幾ばくかの旧ユーゴスラヴィア人民軍からの鹵獲品、そして独自に製造された雑多で珍妙な各種の迷彩戦闘服がごちゃ混ぜに着用されていました。
そのため今回は、以前投稿したスルプスカ共和国軍軍装ガイドと比較して更に多くの迷彩服とその派生型について解説する必要があります。
「ボスニア199X」に参加予定の皆様をはじめボスニア軍装に興味をお持ちの皆様、暫しお付き合い下さい。
それでは、まず定番のウッドランド迷彩から始めましょう。
2 US「M81」ウッドランドカモとその派生型及び海賊版
ARBiHが着用した軍服の大半は米軍「M81」ウッドランド迷彩と、様々な色調・パターンを持つ無数の外国製派生型によって占められていました。
一例を挙げると、クロアチア及びボスニア製のウッドランド迷彩はブラウン及びタンカラーが強く、それでいて全体的にやや暗くくすんだ色調を持つ傾向があります。
まとまりませんが、同軍装備再現にあたっては代用や未確認の派生型まで念頭に入れれば、韓国製やパキスタン製などこの時代に存在した殆どのウッドランド迷彩服及びその同型品を着用して差し支えないものと思われます。
ボスニア内戦(1992~1995)における他の軍事勢力と比較して、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍(以下ARBiHと略称)の軍装は時期と地域を問わずきわめて雑多なものでした。
その成り立ちからして企業・自治体が地域防衛隊単位で設立した民兵集団や犯罪組織、地域の実力者による私兵集団・人民軍からの脱走兵等々をボスニア戦時政府が糾合して創設されたARBiHは、武装の相当部分を諸外国からの密輸及びクロアチアの支援に依存していました。
当然その軍服もこうした事情を如実に反映しており、欧米各国のサープラス品、クロアチア製ウッドランド迷彩、幾ばくかの旧ユーゴスラヴィア人民軍からの鹵獲品、そして独自に製造された雑多で珍妙な各種の迷彩戦闘服がごちゃ混ぜに着用されていました。
そのため今回は、以前投稿したスルプスカ共和国軍軍装ガイドと比較して更に多くの迷彩服とその派生型について解説する必要があります。
「ボスニア199X」に参加予定の皆様をはじめボスニア軍装に興味をお持ちの皆様、暫しお付き合い下さい。
それでは、まず定番のウッドランド迷彩から始めましょう。
2 US「M81」ウッドランドカモとその派生型及び海賊版
ARBiHが着用した軍服の大半は米軍「M81」ウッドランド迷彩と、様々な色調・パターンを持つ無数の外国製派生型によって占められていました。
一例を挙げると、クロアチア及びボスニア製のウッドランド迷彩はブラウン及びタンカラーが強く、それでいて全体的にやや暗くくすんだ色調を持つ傾向があります。
まとまりませんが、同軍装備再現にあたっては代用や未確認の派生型まで念頭に入れれば、韓国製やパキスタン製などこの時代に存在した殆どのウッドランド迷彩服及びその同型品を着用して差し支えないものと思われます。
2015年06月13日
ボスニア軍装基本のキ!(一)~ボスニア紛争92-95~
■前文
地球上にかつて数多巻き起こった内戦のご多分に漏れず、ユーゴスラヴィア崩壊後の破壊的な局面にあっては正確には把握できないほど多様な軍服と個人装備が混用されました。
僅か20数年前の出来事であるにも関わらず、ユーゴ紛争における英語ベースの軍装知識は常に不完全なものにとどまり、戦場を写した記録映像も不鮮明で、世界中の軍装マニアの大半は一体何が何であるのか明確に知ることのできないまま今日に至ります。
ユーゴスラヴィアにおける軍服・個人装備は西側とも東側とも異なる特徴を持ち、或いはどちらの特徴をも兼ね備えた独特のものです。
この章に於いては、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍(以後ARBiHと表記する)将兵の間で広く使用されていた軍服と装備の代表例を紹介し、彼らがそうした軍装品をどのように組み合わせて着装していたのかについて読者の皆さんにわかりやすく説明していきたいと思います。
尚本ブログは様々な民族と政治の対立が巻き起こした地域紛争を言及の対象とはしていますが、政治的な動機には基づかず、あくまで純粋にユーゴスラヴィア内戦の軍装についての学習を目的とします。
― 目次 ―
前文
■1 ARBiHの軍服
2 US「M81」ウッドランドカモとその派生型及び海賊版
3 MOL 「枝」迷彩
4 社会主義ユーゴ及びスルプスカ共和国軍リザード迷彩
■より一般的でない迷彩着用例
5 ビハチ「フロッグスキン」迷彩
6 第2「フロッグスキン」迷彩派生型
7 ローカルメイド「汚れ」迷彩
8 その他諸外国の軍服
9 ブルガリア「スプリンター」迷彩
10 東独レインドロップ迷彩
11 西ドイツOD野戦服
12 オーストリア軍ピーカモ
13 スロベニアM91迷彩
14 ドイツ連邦軍フレクターン迷彩
15 ギリシャリザード迷彩
16 MOZ冬季迷彩
17 ARBiHの個人装備
18 ベストと野戦装備
19 ブーツほか靴類
Balkan Wars Living History Group 著
セルビやんこと林鳥巣 編訳
■ちなみに
今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込は以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。