2013年09月06日
ユーゴ内戦におけるロシア人義勇兵について(二)
(二)コソボの戦い
1999年のNATOによる空爆を受け、多数のロシア人が義勇兵として駆けつけた。
当時コソボにはおよそ200名ものロシア人義勇兵がおり、実にその半数がウクライナ出身だった。
義勇兵達は10~15名の小部隊に分かれ、ラスカ、デチャニ、またコソボ解放軍の聖域となっていたアルバニアとの国境地帯などコソボ各地に展開した。
コソボ紛争では2人のロシア人義勇兵が戦死している。 また、2001年8月のマケドニア紛争では8人のロシア人義勇兵がアルバニア人分離主義者との戦闘に参加した。
2001年のマケドニア紛争を含む広義のユーゴスラビア紛争において、ロシア、ブルガリア、ギリシャ、ルーマニアその他の国から来た計529~614名の義勇兵達がセルビア人そして正教信者のために戦い、40名が戦死したとされる。
これらの義勇兵達は個々の能力や必要に応じて適所に配置されたものの、部隊間の移籍は個人の自由であった上にいつ帰国しても、いつ部隊に復帰しても自由であった。
http://www.youtube.com/user/stjagvideo
(おわりに)
以上はスルプスカ共和国義勇兵連合ウェブサイトよりアレクサンドル・クラフチェンコ氏の解説を抜粋、要訳したものです。
写真資料も添付できればよかったのですが、時間の関係で動画リンク中心の簡易的なアップとなりました。動画を眺めているだけでも、ロシア人義勇兵たちの思い思いの服装は軍装趣味の上でも実に興味深い特徴に溢れています。
ユーゴ軍の各種戦闘服に交じってKLMKなどのロシア軍服やデンビルじみたコサック服、 襟元から覗くいかにもロシアを思わせるチェリニャーシカ(縞シャツ)など・・・
ロシアやウクライナほか旧ソ連諸国の軍装趣味をもともと楽しんでおられる皆さん、あるいは今のところ特にそれといったジャンルを持たない皆さんが、セルビア軍装趣味を気軽に、ちょっとつまみ食いしてみたい・・・という時、こうした外国人義勇兵たちの軍装例を真似てみるのも面白いかもしれません。
なんたって、上がカモシャツで下はジーンズなんてラフな恰好もありなら、必ずしもユーゴ製AKであるツァスタバM70でなければいけない!ということもないのですから・・・注意深く動画を観察してゆくと、果たしてどうやって持ち込んだのか?中にはAK74を撃っている映像やギリシャ製と思しきH&K G3を持っているロシア義勇兵の姿までもが見つかります。
今後もこのテーマについては更に細かく取り上げてゆくつもりです。
またこの文章ではロシア人以外の義勇兵についてもほんの少しだけ触れていますが、実際には(さすがにロシア人ほどではないにせよ)文中の表現から受ける印象よりも遥かに多い人数の外国人義勇兵が参戦していたのではないかと考えています。
特にギリシャ人義勇兵は、以前私が見たバス移動の映像一つとっても優に数十人が参戦していたことが確認できました。
これについても後日資料の翻訳が終わり次第別項を設けて取り上げたいと思います。
1999年のNATOによる空爆を受け、多数のロシア人が義勇兵として駆けつけた。
当時コソボにはおよそ200名ものロシア人義勇兵がおり、実にその半数がウクライナ出身だった。
義勇兵達は10~15名の小部隊に分かれ、ラスカ、デチャニ、またコソボ解放軍の聖域となっていたアルバニアとの国境地帯などコソボ各地に展開した。
コソボ紛争では2人のロシア人義勇兵が戦死している。 また、2001年8月のマケドニア紛争では8人のロシア人義勇兵がアルバニア人分離主義者との戦闘に参加した。
2001年のマケドニア紛争を含む広義のユーゴスラビア紛争において、ロシア、ブルガリア、ギリシャ、ルーマニアその他の国から来た計529~614名の義勇兵達がセルビア人そして正教信者のために戦い、40名が戦死したとされる。
これらの義勇兵達は個々の能力や必要に応じて適所に配置されたものの、部隊間の移籍は個人の自由であった上にいつ帰国しても、いつ部隊に復帰しても自由であった。
http://www.youtube.com/user/stjagvideo
(おわりに)
以上はスルプスカ共和国義勇兵連合ウェブサイトよりアレクサンドル・クラフチェンコ氏の解説を抜粋、要訳したものです。
写真資料も添付できればよかったのですが、時間の関係で動画リンク中心の簡易的なアップとなりました。動画を眺めているだけでも、ロシア人義勇兵たちの思い思いの服装は軍装趣味の上でも実に興味深い特徴に溢れています。
ユーゴ軍の各種戦闘服に交じってKLMKなどのロシア軍服やデンビルじみたコサック服、 襟元から覗くいかにもロシアを思わせるチェリニャーシカ(縞シャツ)など・・・
ロシアやウクライナほか旧ソ連諸国の軍装趣味をもともと楽しんでおられる皆さん、あるいは今のところ特にそれといったジャンルを持たない皆さんが、セルビア軍装趣味を気軽に、ちょっとつまみ食いしてみたい・・・という時、こうした外国人義勇兵たちの軍装例を真似てみるのも面白いかもしれません。
なんたって、上がカモシャツで下はジーンズなんてラフな恰好もありなら、必ずしもユーゴ製AKであるツァスタバM70でなければいけない!ということもないのですから・・・注意深く動画を観察してゆくと、果たしてどうやって持ち込んだのか?中にはAK74を撃っている映像やギリシャ製と思しきH&K G3を持っているロシア義勇兵の姿までもが見つかります。
今後もこのテーマについては更に細かく取り上げてゆくつもりです。
またこの文章ではロシア人以外の義勇兵についてもほんの少しだけ触れていますが、実際には(さすがにロシア人ほどではないにせよ)文中の表現から受ける印象よりも遥かに多い人数の外国人義勇兵が参戦していたのではないかと考えています。
特にギリシャ人義勇兵は、以前私が見たバス移動の映像一つとっても優に数十人が参戦していたことが確認できました。
これについても後日資料の翻訳が終わり次第別項を設けて取り上げたいと思います。