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Posted by ミリタリーブログ at

2015年05月06日

セルビア軍装基本のキ!(十二)VRSの個人携行火器

M70

スルプスカ軍装を楽しむに当って、適正な個人携行兵器の選択は常にリエナクターや軍装サバゲーマーの頭を悩ませる問題です。
敵対する他の勢力に比べると、VRSは外国製兵器の装備比率が極端に低く、多くの場合純粋に人民軍から供給された国産兵器のみを使用していたからです。

M70

しかし、LCTの電動ガンを比較的安価に購入可能なわれわれ日本のリエナクターは(※実銃ベースのプロップガン所持が不可能な国の中では)その点恵まれているといえるでしょう。
今年に入り、台湾のエアガンメーカーLCT AIRSOFTはM70AB2タイプの電動ガンを発売しました。
何点か細部にディテールの甘さはあるものの、長年我々が待ち望んだ夢のアイテムであることは間違いありません。
万難を排して入手することをおすすめします。

ユーゴ版カラシニコフ、人民軍の制式小銃M70自動小銃は、まさしくユーゴ内戦における軍装の全ての基本です。

M70には幾つかの派生型が存在し、中でも最も大量に生産されたのがM70AB2とM70B1です。
M70AB2はスチール製アンダーフォールディングストックを備えたカービンタイプ、M70B1は固定木製ストックを備えたフルレングスのアサルトライフルでした。鍛造レシーバーの初期型M70や、より旧式のM64自動小銃とその派生型も内戦では使用されています。

papovka

ユーゴ版のSKSであるM59/66半自動小銃も使用されましたが、M70などAK系の自動小銃に比べれば少数でした。

M84

VRSほぼ全軍で使用された制式軽機関銃乃至分隊支援火器がM72軽機関銃とM84汎用機関銃です。
M72はユーゴ版のRPK、M84はPKMですが、バレルやフラッシュハイダー、ストックなどに原型となったソ連製とは異なる特徴を持つ銃器でした。



また、ドイツ軍MG42のコピー品であるM53シャラツも汎用機関銃として広く用いられていました。



狙撃銃としては多種多様なハンティングライフルに加え、ザスタヴァM48をはじめとする各種モーゼルKar98系統の軍用ボルトアクションライフルにスコープをマウントしたものの他、ザスタヴァM76/M77半自動小銃がありました。

拳銃はユーゴ製を中心に様々なタイプのものが存在しましたが主流はユーゴ版トカレフ、ザスタヴァM57でした。
また小型拳銃M70Aや、チェコスロバキア製の小型短機関銃Vz61スコーピオンとそのユーゴ版コピーであるザスタヴァM84も時折サイドアームとして使用されました。



対戦車火器としてはM80ゾーリャ使い捨て対戦車ロケット弾、大型のM79オサ対戦車ロケットランチャー、パンツァーファウストの発展型であるRB M57などが使用されていました。
対戦車地雷や対戦車手榴弾も、外国製を含め多種多様なものが使用されていました。

上記の銃器で、特に大きな改造なしに(少なくとも代用品としては)選んでも差し支えない、サバイバルゲームで実用可能なエアーガンがモデルアップされているのはザスタヴァM70(LCT)、Kar98K(タナカ他各社)、MG42(松栄、S&T)、M57(TT-33。KSC他)、Vz61(マルイ、KSC他)でしょう。


しかし、ユーゴ軍装のためだけに何万円もするエアーガンを新しく揃えるのはたいへんだという人もいるでしょう。
上記以外にも、かならずしも一般的とは言えないものの一応は受容できる、という範囲の銃器がいくつか有ります。

thompson

ミルコーMGL40mmグレネードランチャーや国産のザスタヴァM56短機関銃はモデルアップされていないので論外として、ユーゴスラヴィア人民軍で後備兵器として備蓄されていたM41(PPSh-41)やMP-40、トンプソン、また鹵獲したルーマニア製AIM/AIMSなどは、既にトイガンをお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

AIM

AIMSはCYMA社から安価なモデルも発売されており、他の軍装ジャンル(もちろん大抵は第三世界の軍隊か民兵集団に限られますが)にも応用できるので、軍装初心者には特におすすめできる選択肢と言えます。



PHSなどWW2関連のイベントに出入りしている皆さんは何かしら二次大戦時の小銃や短機関銃タイプのエアーガンやモデルガン、無可動実銃をお持ちでしょうから、それらのアイテムを活用されるとよいと思います。

手榴弾としてはM75及びM52グレネードがあり、それぞれM75はパイナップル型のグレネードBBボトル(※Mk2よりも丸い形状のものを探しましょう)、M50乃至52はM26A1型のグレネードBBボトルが安価でおすすめです。ただし、レバーの形状など異なる点もあります。
ユーゴはソ連製RKG-3のコピー品も生産していたため、そのレプリカを購入するのもよいでしょう。

ライフルグレネードも同じく入手困難ですが、アダプターについてはLCT社製レプリカがフラッシュハイダーとして販売されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(※写真は訳者らによる仮装例です)

・おわりに

読者の皆さんは、当ブログ記事内はもちろん、海外の画像掲示板やYouTubeの動画、雑誌などで様々な個人装備を身につけたスルプスカ共和国軍兵士たちの写真を目にしてきたと思います。

装備を厳格に統制している一部の精鋭部隊を除けば、率直に言って個々人の軍装例の細かい違いに具体的な意味を見出すのは極めて困難です。

マガジンポーチは右につけるのか左につけるのか?
ベルトはどのくらい締めて、どんな種類のパーツをいくつ身に付けたらよいのか。
写真や動画で実例を観察したり、実際に身に付けてサバイバルゲームに出かけたりして、自己流のアレンジを楽しんで下さい。

一連のエントリーが、少しでも皆さんの軍装コレクションの助けになれば幸いです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・奥付

Balkan Wars Living History Group 著

林撫腔こと林鳥巣 編訳 



■ちなみに

今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
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Posted by セルビやん at 19:05Comments(0)兵器スルプスカ共和国

2015年05月06日

セルビア軍装基本のキ!(十一)VRSの個人装備



VRSの兵士たちが身につけていた個人装備は一般に製造元も素材もばらばらで、非常に雑多な上多くの場合かなり凝った個人改造が施されていました。

leather

1992年内戦勃発時には人民軍の残置した旧式の革製ウェブベルトと各種ポーチから成る革製装備が主体でしたが、1995年終戦までにはナイロン製へと更新されてゆきました。



時には米国製のALICEベルトが使用されることもあったようです。



将校達は好んでユーゴ時代と同様のサムブラウンベルトを巻いていました。
もっとも、画像のように邪魔な斜革は付けずに済ます場合も多かったようです。



当初はこれらベルトとサスペンダー、各種ポーチを組み合わせたサスペンダーキットが主流でしたが、戦争が長引くにしたがってアサルトベストやチェストリグなどより実戦的な装備へと更新されてゆきます。

overall

とにかくさまざまな職人や工場がてんで勝手に装備を製作していたため、これらの戦時製造個人装具は殆ど品質管理そのものが存在しない粗悪品から素晴らしく現代的且つ頑丈なタクティカルギアまで、まさに玉石混淆といった有り様でしたが、その中でも代表的なのが「アルカンタイガーベスト」として知られるM91タクティカルベストです。



実際にはセルビア義勇親衛隊(=アルカンの虎)だけでなくVRS全軍に広く普及している装備品でした。
当時最新のトレンドを十分に取り入れた現代的なベストで、後にはコソヴォ紛争でも連邦軍やセルビア警察特殊部隊、民兵などによる着用例があります。



内戦初期に一般的だったのは、M77ハーフコート改造アサルトベストです。



このベストはスルプスカ共和国軍の創意ではなく、古くはクロアチア内戦初期最大の激戦、1991年のヴコヴァル包囲戦でユーゴスラヴィア人民軍により近似の改造品着用例が確認されています。

Balkan Wars Living History Group著
セルビやんこと林鳥巣訳




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Posted by セルビやん at 00:53Comments(2)スルプスカ共和国個人装備

2015年05月05日

セルビア軍装基本のキ!(十)パルカと冬服

trench

夏でも平均気温20度前後、冬は氷点下の寒さとなるボスニア・ヘルツェゴヴィナ。

zima

戦場の厳しい寒さを凌ぐため、ボスニア内戦の兵士たちは実に多用な種類のパルカ(ハーフコート)を着用しました。

montenegrin

最も一般的だったのはM77ハーフコートです。



脱着可能なキルティングライナーとフードを備えた冷戦後期型の冬服で、内戦勃発前からユーゴスラヴィア人民軍の制式装備としてユーゴ全土に広く普及していました。

flag

将校は多くの場合より新型で軽く温かく迷彩柄のM89オークリーフ迷彩ハーフコートを着用していました。

generala

M89裁断のハーフコートはのちにリザード迷彩のタイプも製造されるようになり、防寒服としては最も好まれる選択肢となってゆきます。



重厚なM55ウールコートとその派生型も極めて一般的だった為、迷彩柄ばかりの中でよりクラシックな出で立ちを誇りたいリエナクターにはおすすめです。



冬物を選ぶ際に注意すべきは、ジャケット同様M89ハーフコートとM93ハーフコートは全く別物であるという点でしょう。
M89ハーフコートには、M93のような胸ポケットはありません。

sniper

内戦の全期間を通じて、兵士たちは様々に工夫を凝らして重ね着をしました。

dwarf

セーターやフリースなど、手に入るものなら軍用でも凝った装飾の民生品でも何でもです。
既存の戦闘服にファーやフリース、キルティングのライナーを取り付ける改造も広く行われていました。

Balkan Wars Living History GroupY著
セルビやんこと林鳥巣訳


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Posted by セルビやん at 22:28Comments(0)スルプスカ共和国被服

2015年05月05日

セルビア軍装基本のキ!(九)単色野戦服



スルプスカ共和国軍においてユーゴスラヴィア人民軍の軍服が広く普及していた事は、このエントリーを御覧の方であれば誰もが知る事実でしょう。

92

1992年ボスニア撤退時、人民軍はスルプスカ共和国の友人達のためセルビアに引き上げたのよりも遥かに多くの装備を残していきました。

M77


最も一般的であったのがシャツとズボン(※=人民軍の軍服規定における夏季軍装の基本構成要素)で、次いでパルカやジャケットが一般的でした。

wool

初期には重く分厚い1950年代のウール野戦服やオーバーコートも見られましたが、これらは予備役から成るユーゴスラヴィア地域防衛隊軍事部門出身の兵士達が着用していたものです。




一般的に言ってこうしたユーゴスラヴィア人民軍の各種旧式軍装品は、例えそれが1940年代のものであろうが冷戦末期のものであろうが、どのボスニア・リエナクメントでも必ず登場するべき必須の要素であり、スルプスカ共和国軍及びボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍の軍装を再現する際にはたいへん有用なアイテムであると言ってよいでしょう。




ただしスルプスカ共和国軍は(※当時の西側メディアが彼らを人民軍/連邦軍と混同しようがしまいが)明確に民族主義の立場を取っていたことを忘れてはなりません。多くのスルプスカ軍人は、セルビアの友人たちが残していった軍装品から赤い星その他かつて親しんだ社会主義のシンボルをそっくり除去してしまいました。

Balkan Wars Living History Group著
セルビやんこと林鳥巣訳


(※映像や写真で見る限り、砲兵の場合は戦争末期になっても迷彩服ではなく単色の野戦服を継続使用する割合が高かったように思われます)


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2015年05月04日

セルビア軍装基本のキ!(八)M58「山岳」迷彩

rock


M68迷彩に先立つこと(※少なくとも公式には)10年、1958年にユーゴスラヴィア人民軍で導入された迷彩オーバースーツがM58「山岳」迷彩です。
迷彩マニアの間ではほかに砂地迷彩・岩迷彩などとも呼ばれています。


(※2:31~)

日本では映画「エネミー・ライン」終盤に登場するスナイパーが着用していたことで知られています(※というか、それ以外の場では殆ど何の認識もされていないと思いますが)。

1950年代と古い時代の迷彩であるにも関わらず、ユーゴスラヴィアの多くの地形で高い迷彩効果を発揮する迷彩柄です。
勿論ボスニア・ヘルツェゴヴィナもその例外ではなく、90年代内戦時には陣営を問わず使用されました。

因みに、俗に「ユーゴ最初の迷彩」とも言われていますが(※セルビア語やクロアチア語話者ですらそう思い込んでいることがある)、そんなことはありません。
実際にはこのM58迷彩以前にも幾つかの迷彩服が導入されており、中には外国製ではなくちゃんと国産のものもあります。

とはいえ今回のシリーズはどれも迷彩そのものではなく、あくまでボスニア紛争リエナクトでの装備選びのためのメモです。
余計なウンチクはこの辺にしておきます。

Balkan Wars Living History Group著
セルビやんこと林鳥巣訳


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2015年05月04日

セルビア軍装基本のキ!(七)ブタン迷彩

7.ブタン迷彩

overall

戦闘ツナギはVRSの代表的戦闘服のひとつで、主に自動車化歩兵部隊を中心に広く実戦で使用されていました。

bhutan

これらの戦闘ツナギは大半がリザード迷彩柄を採用していましたが、一部にはソ連製TTsKO迷彩(ブタン迷彩)の現地コピー品も見られます。



VRSの戦闘ツナギには非常に多くの種類が存在しますが、ジッパーフロントで裾口にゴム留めがあるタイプ、VRSが用いる通常の迷彩ジャケットに近い、米軍M65近似の大きな胸ポケットを備えたタイプの二種類に大別できます。


・・・ブタン迷彩というより戦闘ツナギについての解説になってますね。
要するにこの迷彩もセルビアDPM同様あまりはっきりとは正体がわかっていない迷彩ということなのかもしれません。
あくまでこの一連のシリーズは「スルプスカ共和国軍の軍装には、こういうものもあるよ」という紹介程度の内容だと思って下さい。

因みにこのブタン迷彩はクライナ・セルビア人軍でも使用例がありますが、どの被服もソ連製の軍服とは似ても似つかないアイテムです。
ソ連製のブタン迷彩服をボスニア・クロアチア紛争に流用するのは基本的にNGだと思って下さい。
もしそうしたいなら、ロシア義勇兵の実際の着用写真をがんばって探すしかないと思います。

Balkan Wars Living History Group著
セルビやんこと林鳥巣訳


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2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(六) セルビアDPM迷彩




セルビアDPMもまたVRS独特の謎めいた迷彩のひとつです。
この迷彩服が何処から来たのか、未だ正確な由来は判っていません。

DPM


柄・色味・裁断ほか無数のパターンが存在し、この迷彩生地を用いて様々なアイテムが製作されました。

はっきりしていることは、この迷彩が1992年VRS内に自費で購入できるPX品として流通し始めたということだけです。
どの派生型も基本的には英軍初期型DPMやオランダ軍DPM迷彩をそのまま模倣したものか、それをやや色あせ青緑がかった色味に染めたものでした。

2DRO


Balkan Wars Living History Group著
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2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(五)MOLパームツリー迷彩

MOL2


5. MOLパームツリー迷彩

otasanohime


MOL(=夏季2ピース迷彩服)パームツリー迷彩はユーゴ内戦全ての交戦勢力において特異な地位を占めている迷彩です。

MOL

内戦前は専ら野戦天幕や狙撃手、国境警備隊、特殊部隊向けに支給された迷彩オーバースーツにのみ採用されていました。

mafuyunokoi

しかし内戦が始まると、どの陣営もこれらの迷彩天幕や迷彩オーバースーツを切り刻んで、より広範な種類にわたる別の装備品へと作り変えてしまうようになります。ハトメがつきっぱなしの野戦天幕製ズボンすら、そう珍しいものではありませんでした。

chest


比較的装備に恵まれていたスルプスカ共和国軍においては主敵たるボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍(※以後ARBiHと略称します)ほど多用されることはありませんでしたが、それでもヘルメットカバーやホルスター、チェストリグなどの小物類、それに元地域防衛隊(※以後TOと呼称します)並びに義勇兵から成る民兵部隊ではしばしば使用例が確認できます。




入手難易度が比較的低い割にはその一見して派手な色柄から迷彩効果が疑問視され、サバゲーマーには不人気なアイテムですね。
シダ類の下草など黄色く変色する植物が多いので、ユーゴの植生にはそれなりに適合した迷彩パターンなのですが。



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Posted by セルビやん at 22:58Comments(0)スルプスカ共和国被服

2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(四)USウッドランド迷彩




4.USウッドランド迷彩

wl


アメリカ軍のM81ウッドランド迷彩もコピー品が多数使用されており、これも「着用して差し支えない」という程度にはお奨めできます。

ウッドランド迷彩は、将校と兵士とを問わずVRS軍人にとってはちょっとしたステータスとなるアイテムでした。
着用者は内戦により崩壊状態にあったユーゴスラビア経済下ですら貴重な輸入品を購入できるお金持ちか、あるいは最前線で敵を殺害した勇者として見られたのです!




スルプスカ共和国やクロアチアで製造されたコピー品よりも、本物の米国製ウッドランドが珍重されたのは言うまでもありません。
一部のVRS軍人は米国をはじめ諸外国に居住する家族や親戚から仕送りとしてこの「お宝」を受け取り、あるいは少々懐を暖めたくなった前所有者から購入しました。

またこれは余談ですが、迷彩だけではなくオリーブドラブ色のM65ジャケットもまた着用例が確認されています。
中には米軍の徽章がついたままになっているものも見受けられました。
内戦に陥る前も後も、ユーゴスラビアは米国など西側の映画を自由に見られる国家でした。
着用者の中には、かつて平和だった時代に映画館で観た「ランボー」や「タクシードライバー」の主人公になりきる者もいたかもしれません。

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Posted by セルビやん at 21:56Comments(0)スルプスカ共和国

2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(三)セルビアタイガー/リザード迷彩

tokage

3.セルビアタイガー/リザード迷彩



M89迷彩に次いで使用例が多く認められる迷彩が通称「セルビアリザード迷彩」です。
社会主義時代のユーゴスラヴィアで内務省系統の治安部隊向けに支給されていた迷彩を源流としてスルプスカ共和国が独自に製造していた国産品で、色・柄・裁断ともに無数の派生型が存在しました。

general


野戦天幕、戦闘ツナギ、ジャケット、トラウザーズ、ショートパンツ、シャツ、そしてハーフコート他ありとあらゆる種類の被服が製造・使用されています。

ボスニア内戦後期には米軍M65ジャケットを模倣した4ポケットタイプの派生型が製造されるようになりましたが、初期にはよりM89ハーフコートに近い裁断が主流でした。しかしながらM65型とは別に、初期にもユーゴ内務省の官給ジャケットに由来する初期型4ポケットタイプも存在します。




誤解を恐れずに言えば、このセルビアリザード迷彩はボスニア紛争で多数が使用された一方で日本国内における流通量は極めて限られているため、例え他の迷彩服との混用であっても他のリザード迷彩を所有していないスルプスカ軍装趣味者に蒐集レベルの差を明白に見せつける指標となるアイテムとも言えます。




Balkan Wars Living History Group著
セルビやんこと林鳥巣編訳


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Posted by セルビやん at 18:03Comments(1)スルプスカ共和国被服

2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(二)M89オークリーフ迷彩

M89

2.M89オークリーフ迷彩

最も代表的且つ現在日本国内でも入手の容易な迷彩服は、なんといってもM89カモジャケットでしょう。
セルビアリザード迷彩(※この迷彩服については後ほど別途説明します)の上にこの人民軍残置M89カモジャケットを羽織った姿は、ボスニア紛争の全期間を通じて極めて広汎に見られる軍装例です。

元兵士達の証言によれば、多くのVRS兵士達はM89カモジャケットを無償で支給され、リザード迷彩服は自弁で購入していました。
紛争後期になるとリザード迷彩がより普及し、M89迷彩の出番は少なくなったものの、終戦後も継続して使用されることとなります。

REMOVEM93BAB

注意すべきは、M89タイプのジャケットをコソヴォ紛争(1998~1999)期に広く使われた「M93カモジャケット」と混同してはいけないという点です。
ユーゴスラヴィア連邦国で1993年に生産が開始されたこのジャケットはボスニア及びクロアチア紛争においては着用例が極めて少なく、結論から言えば両紛争の軍装再現には全く場違いなアイテムです。

上図は、M89タイプのジャケットとM93ジャケットのちがいを表したものです。
左の迷彩服がM89、右がM93となります。
裁断やポケットの位置・種類など、全く違う特徴を持った軍服であることがわかります。

迷彩柄の細かい色味の違いも非常に重要です。
1996年以前に製造されたロットを選ぶのが最も正しい選択であるといえるでしょう。
M89裁断のカモジャケットは2000年代初頭に入っても多数が生産され続け、迷彩パターンは毎年変更されました。

初期のM89迷彩は茶色が強く、時代が下るにつれてより青緑色がかった色合いへと変化してゆきました。

NOTM93

ユーゴスラヴィア連邦軍が残置・製造供与したものとは別に、スルプスカ共和国領内のセルビア人達も自力で同じ迷彩柄で米軍M65ジャケットを模倣した裁断の迷彩服や、裏地にボアのついた傍観ベストも独自に製造していました。

M89迷彩服にはトラウザーズも存在しますが、もちろん上下ともに時代考証に適合する正しい迷彩柄で揃えるべきなのは言うまでもありません。
同迷彩柄のハーフコートについては別項で述べます。



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Posted by セルビやん at 17:33Comments(0)スルプスカ共和国

2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(一) ~ボスニア紛争92-95~

koridor



■前文

地球上にかつて数多巻き起こった内戦のご多分に漏れず、ユーゴスラヴィア崩壊後の破壊的な局面にあっては正確には把握できないほど多様な軍服と個人装備が混用されました。

僅か20数年前の出来事であるにも関わらず、ユーゴ紛争における英語ベースの軍装知識は常に不完全なものにとどまり、戦場を写した記録映像も不鮮明で、世界中の軍装マニアの大半は一体何が何であるのか明確に知ることのできないまま今日に至ります。
ユーゴスラヴィアにおける軍服・個人装備は西側とも東側とも異なる特徴を持ち、或いはどちらの特徴をも兼ね備えた独特のものです。

この章に於いては、スルプスカ共和国軍(以後VRSと表記する)将兵の間で広く使用されていた軍服と装備の代表例を紹介し、彼らがそうした軍装品をどのように組み合わせて着装していたのかについて読者の皆さんにわかりやすく説明していきたいと思います。

尚本ブログは様々な民族と政治の対立が巻き起こした地域紛争を言及の対象とはしていますが、政治的な動機には基づかず、あくまで純粋にユーゴスラヴィア内戦の軍装についての学習を目的とします。



■目次

前文

1.VRSの軍服

2.M89オークリーフ迷彩

3.セルビアタイガー/リザード迷彩

4.USウッドランド迷彩

5.MOL「枝」迷彩

6.セルビアDPM迷彩

7.ブタン迷彩

8.M58「山岳」迷彩

9.ユーゴスラヴィア人民軍各種軍服

10.パルカと冬服

11.VRSの個人装備

12.VRSの個人携行火器

奥付

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


JNA


1.VRSの軍服

ボスニア・ヘルツェゴヴィナのセルビア人勢力、すなわちスルプスカ共和国(VRS = Vojska Republike Srpske)の軍装品の多くは、もともと1992年ユーゴスラヴィア人民軍が撤退する際、スルプスカ共和国軍が残置していったものを細々とした家内制手工業で、あるいは本格的な縫製工場で小改造を施したものです。



勿論、彼らの身に付けていた軍装品が全て社会主義時代のユーゴに由来するものだったわけではありません。例えばクニンなどで製造されたソ連製TTsKO迷彩(※=ブタン迷彩)のコピー品やアサルトベスト、戦闘ツナギ、ジャケットなどはユーゴスラヴィアにおけるそれまでの軍装品の歴史とは殆ど関わりのない、内戦の所産といえるでしょう。

(二)に続きます。






Balkan Wars Living History Group著
セルビやん編訳


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Posted by セルビやん at 17:03Comments(0)スルプスカ共和国被服