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Posted by ミリタリーブログ at

2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(六) セルビアDPM迷彩




セルビアDPMもまたVRS独特の謎めいた迷彩のひとつです。
この迷彩服が何処から来たのか、未だ正確な由来は判っていません。

DPM


柄・色味・裁断ほか無数のパターンが存在し、この迷彩生地を用いて様々なアイテムが製作されました。

はっきりしていることは、この迷彩が1992年VRS内に自費で購入できるPX品として流通し始めたということだけです。
どの派生型も基本的には英軍初期型DPMやオランダ軍DPM迷彩をそのまま模倣したものか、それをやや色あせ青緑がかった色味に染めたものでした。

2DRO


Balkan Wars Living History Group著
セルビやんこと林鳥巣訳


■ちなみに

今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込はリンク先メールアドレスまで。
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Posted by セルビやん at 23:40Comments(0)スルプスカ共和国被服

2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(五)MOLパームツリー迷彩

MOL2


5. MOLパームツリー迷彩

otasanohime


MOL(=夏季2ピース迷彩服)パームツリー迷彩はユーゴ内戦全ての交戦勢力において特異な地位を占めている迷彩です。

MOL

内戦前は専ら野戦天幕や狙撃手、国境警備隊、特殊部隊向けに支給された迷彩オーバースーツにのみ採用されていました。

mafuyunokoi

しかし内戦が始まると、どの陣営もこれらの迷彩天幕や迷彩オーバースーツを切り刻んで、より広範な種類にわたる別の装備品へと作り変えてしまうようになります。ハトメがつきっぱなしの野戦天幕製ズボンすら、そう珍しいものではありませんでした。

chest


比較的装備に恵まれていたスルプスカ共和国軍においては主敵たるボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍(※以後ARBiHと略称します)ほど多用されることはありませんでしたが、それでもヘルメットカバーやホルスター、チェストリグなどの小物類、それに元地域防衛隊(※以後TOと呼称します)並びに義勇兵から成る民兵部隊ではしばしば使用例が確認できます。




入手難易度が比較的低い割にはその一見して派手な色柄から迷彩効果が疑問視され、サバゲーマーには不人気なアイテムですね。
シダ類の下草など黄色く変色する植物が多いので、ユーゴの植生にはそれなりに適合した迷彩パターンなのですが。



Balkan Wars Living History Group著
セルビやんこと林鳥巣訳


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Posted by セルビやん at 22:58Comments(0)スルプスカ共和国被服

2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(四)USウッドランド迷彩




4.USウッドランド迷彩

wl


アメリカ軍のM81ウッドランド迷彩もコピー品が多数使用されており、これも「着用して差し支えない」という程度にはお奨めできます。

ウッドランド迷彩は、将校と兵士とを問わずVRS軍人にとってはちょっとしたステータスとなるアイテムでした。
着用者は内戦により崩壊状態にあったユーゴスラビア経済下ですら貴重な輸入品を購入できるお金持ちか、あるいは最前線で敵を殺害した勇者として見られたのです!




スルプスカ共和国やクロアチアで製造されたコピー品よりも、本物の米国製ウッドランドが珍重されたのは言うまでもありません。
一部のVRS軍人は米国をはじめ諸外国に居住する家族や親戚から仕送りとしてこの「お宝」を受け取り、あるいは少々懐を暖めたくなった前所有者から購入しました。

またこれは余談ですが、迷彩だけではなくオリーブドラブ色のM65ジャケットもまた着用例が確認されています。
中には米軍の徽章がついたままになっているものも見受けられました。
内戦に陥る前も後も、ユーゴスラビアは米国など西側の映画を自由に見られる国家でした。
着用者の中には、かつて平和だった時代に映画館で観た「ランボー」や「タクシードライバー」の主人公になりきる者もいたかもしれません。

Balkan Wars Living History Group著
セルビやんこと林鳥巣訳




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Posted by セルビやん at 21:56Comments(0)スルプスカ共和国

2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(三)セルビアタイガー/リザード迷彩

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3.セルビアタイガー/リザード迷彩



M89迷彩に次いで使用例が多く認められる迷彩が通称「セルビアリザード迷彩」です。
社会主義時代のユーゴスラヴィアで内務省系統の治安部隊向けに支給されていた迷彩を源流としてスルプスカ共和国が独自に製造していた国産品で、色・柄・裁断ともに無数の派生型が存在しました。

general


野戦天幕、戦闘ツナギ、ジャケット、トラウザーズ、ショートパンツ、シャツ、そしてハーフコート他ありとあらゆる種類の被服が製造・使用されています。

ボスニア内戦後期には米軍M65ジャケットを模倣した4ポケットタイプの派生型が製造されるようになりましたが、初期にはよりM89ハーフコートに近い裁断が主流でした。しかしながらM65型とは別に、初期にもユーゴ内務省の官給ジャケットに由来する初期型4ポケットタイプも存在します。




誤解を恐れずに言えば、このセルビアリザード迷彩はボスニア紛争で多数が使用された一方で日本国内における流通量は極めて限られているため、例え他の迷彩服との混用であっても他のリザード迷彩を所有していないスルプスカ軍装趣味者に蒐集レベルの差を明白に見せつける指標となるアイテムとも言えます。




Balkan Wars Living History Group著
セルビやんこと林鳥巣編訳


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Posted by セルビやん at 18:03Comments(1)スルプスカ共和国被服

2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(二)M89オークリーフ迷彩

M89

2.M89オークリーフ迷彩

最も代表的且つ現在日本国内でも入手の容易な迷彩服は、なんといってもM89カモジャケットでしょう。
セルビアリザード迷彩(※この迷彩服については後ほど別途説明します)の上にこの人民軍残置M89カモジャケットを羽織った姿は、ボスニア紛争の全期間を通じて極めて広汎に見られる軍装例です。

元兵士達の証言によれば、多くのVRS兵士達はM89カモジャケットを無償で支給され、リザード迷彩服は自弁で購入していました。
紛争後期になるとリザード迷彩がより普及し、M89迷彩の出番は少なくなったものの、終戦後も継続して使用されることとなります。

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注意すべきは、M89タイプのジャケットをコソヴォ紛争(1998~1999)期に広く使われた「M93カモジャケット」と混同してはいけないという点です。
ユーゴスラヴィア連邦国で1993年に生産が開始されたこのジャケットはボスニア及びクロアチア紛争においては着用例が極めて少なく、結論から言えば両紛争の軍装再現には全く場違いなアイテムです。

上図は、M89タイプのジャケットとM93ジャケットのちがいを表したものです。
左の迷彩服がM89、右がM93となります。
裁断やポケットの位置・種類など、全く違う特徴を持った軍服であることがわかります。

迷彩柄の細かい色味の違いも非常に重要です。
1996年以前に製造されたロットを選ぶのが最も正しい選択であるといえるでしょう。
M89裁断のカモジャケットは2000年代初頭に入っても多数が生産され続け、迷彩パターンは毎年変更されました。

初期のM89迷彩は茶色が強く、時代が下るにつれてより青緑色がかった色合いへと変化してゆきました。

NOTM93

ユーゴスラヴィア連邦軍が残置・製造供与したものとは別に、スルプスカ共和国領内のセルビア人達も自力で同じ迷彩柄で米軍M65ジャケットを模倣した裁断の迷彩服や、裏地にボアのついた傍観ベストも独自に製造していました。

M89迷彩服にはトラウザーズも存在しますが、もちろん上下ともに時代考証に適合する正しい迷彩柄で揃えるべきなのは言うまでもありません。
同迷彩柄のハーフコートについては別項で述べます。



Balkan Wars Living History Group著
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Posted by セルビやん at 17:33Comments(0)スルプスカ共和国

2015年05月03日

セルビア軍装基本のキ!(一) ~ボスニア紛争92-95~

koridor



■前文

地球上にかつて数多巻き起こった内戦のご多分に漏れず、ユーゴスラヴィア崩壊後の破壊的な局面にあっては正確には把握できないほど多様な軍服と個人装備が混用されました。

僅か20数年前の出来事であるにも関わらず、ユーゴ紛争における英語ベースの軍装知識は常に不完全なものにとどまり、戦場を写した記録映像も不鮮明で、世界中の軍装マニアの大半は一体何が何であるのか明確に知ることのできないまま今日に至ります。
ユーゴスラヴィアにおける軍服・個人装備は西側とも東側とも異なる特徴を持ち、或いはどちらの特徴をも兼ね備えた独特のものです。

この章に於いては、スルプスカ共和国軍(以後VRSと表記する)将兵の間で広く使用されていた軍服と装備の代表例を紹介し、彼らがそうした軍装品をどのように組み合わせて着装していたのかについて読者の皆さんにわかりやすく説明していきたいと思います。

尚本ブログは様々な民族と政治の対立が巻き起こした地域紛争を言及の対象とはしていますが、政治的な動機には基づかず、あくまで純粋にユーゴスラヴィア内戦の軍装についての学習を目的とします。



■目次

前文

1.VRSの軍服

2.M89オークリーフ迷彩

3.セルビアタイガー/リザード迷彩

4.USウッドランド迷彩

5.MOL「枝」迷彩

6.セルビアDPM迷彩

7.ブタン迷彩

8.M58「山岳」迷彩

9.ユーゴスラヴィア人民軍各種軍服

10.パルカと冬服

11.VRSの個人装備

12.VRSの個人携行火器

奥付

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


JNA


1.VRSの軍服

ボスニア・ヘルツェゴヴィナのセルビア人勢力、すなわちスルプスカ共和国(VRS = Vojska Republike Srpske)の軍装品の多くは、もともと1992年ユーゴスラヴィア人民軍が撤退する際、スルプスカ共和国軍が残置していったものを細々とした家内制手工業で、あるいは本格的な縫製工場で小改造を施したものです。



勿論、彼らの身に付けていた軍装品が全て社会主義時代のユーゴに由来するものだったわけではありません。例えばクニンなどで製造されたソ連製TTsKO迷彩(※=ブタン迷彩)のコピー品やアサルトベスト、戦闘ツナギ、ジャケットなどはユーゴスラヴィアにおけるそれまでの軍装品の歴史とは殆ど関わりのない、内戦の所産といえるでしょう。

(二)に続きます。






Balkan Wars Living History Group著
セルビやん編訳


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Posted by セルビやん at 17:03Comments(0)スルプスカ共和国被服