2015年12月11日
クロアチア軍装基本のキ!(三)個人携行火器
3.クロアチア人勢力の個人携行火器
軍服・装具類よりも更に複雑怪奇を極めたのが銃器類です。

7.62X39弾を使用するありとあらゆるAK系自動小銃が投入されました。

国産のM70自動小銃、ルーマニア製PM md. 63/65、そして中国製の56式小銃がその代表例です。
M70は「ライフルグレネードの発射機構が弾道に干渉するため命中率が悪い(高部正樹氏、ツイッターでの発言、2015)」、ルーマニア製AKMは「弾倉数個分を続けて撃つとバレるが溶ける傾向にあった(ロブ・クロット「傭兵 狼たちの戦場」)、2011」などそれぞれに悪評があったようです。

M70の他にも様々な小火器が古い兵器庫から持ちだされました。

モーゼル系のボルトアクションライフルでは旧王制時代の制式小銃M24/47、その後継の人民軍戦後最初期制式小銃M48が大半でしたが、 中にはWW2当時ドイツから鹵獲した本物のKar98すらあったということです。
ロブ・クロット氏はM48の命中精度を激賞しています。

短機関銃としてはトンプソン、PPSh-41、MP40、ユーゴ国産のM49、M57。

機関銃としてはM2HB重機関銃、M1919、ZB26、MG42やそのユーゴ版のM53シャラツが一般的でした。

ダブルバレルやポンプアクションのショットガン、ハンティングライフルといった多様な猟銃が投入されました。
市街戦では消音銃も使われています。
これらについても詳細はARBiHの項目をご参照下さい。
言うまでもないことですが、短機関銃や散弾銃はあくまで限定した都市戦闘に用いられるのでなければせいぜいが護身用火器といった扱いでした。
半自動小銃M59/66と同様にこれらの二線級兵器は射撃の下手な予備役の老人達に回されがちだったという証言もあります。
高部正樹氏もロブ・クロット氏もこうした小火器については射程の不足から評価に値しないものと捉えていたようです。
後者はVz61やソウドオフショットガンの部類を、飲み屋で粋がった憲兵が振り回す定番の危ないおもちゃだったとしています。

同じくただのお飾り・お守り・物騒な喧嘩の道具として語られているのが拳銃です。
ユーゴ製M57をはじめとする各国製トカレフ、チェコスロバキア製Cz52、Cz50、スペイン製スター9mmなど・・・ロブ・クロット氏は入手出来る中では最良の拳銃としてCz75を褒め称えています。
画像のように各種の回転式拳銃もありました。
ロブに言わせれば「ここの男たちは本当にピストルとナイフがすきだ」。
実用面はともかくとして、文化的な要素もあったようです。

外国製小火器は主にスロヴェニアを経由して輸入されていました(※画像は十日戦争時のスロヴェニア)。

自動小銃としてはH&K G3、FAL、軽機関銃ではRPD、RPKなど・・・、

わけてもアルゼンチン製FALは命中精度がよいと評判で、米国人傭兵ロブ・クロットはユーゴでの活動中常に機会があれば入手したいと願っていたものの、一度FALを手にしたクロアチア兵は絶対に手放さないためついに叶わなかったと語っています。

少数ではありますがM16A2やUZI、ウルティマックス軽機関銃やSAR80自動小銃といったシンガポール製銃器、そしてヴェクターR4もよく知られている例です。
SAR-80は、射撃性能は優秀だが地面に落としただけでもストックが壊れるほど脆いと不評だったようです。

対戦車火器としてはスロヴェニアから提供された人民軍の各種兵器に加え、外国製RPG-7やアームブラスト・・・RPG-22も戦場写真によく登場します。
ロブ・クロットはボスニアでAK74を鹵獲した際「これこそロシアのスペツナズが関与している証拠だ」と感動したそうですが、ではクロアチアのソ連製火器はどうなのか?と考えると疑問符のつくコメントではあります。
まあ実際ロシア人義勇兵は沢山いた訳ですが。
参考文献
並木書房刊 高部正樹著 「戦争志願 アフガン・カレン・ボスニア最前線」
原書房刊 ロブ・クロット著「傭兵 狼たちの戦場」
ほか
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
軍服・装具類よりも更に複雑怪奇を極めたのが銃器類です。

7.62X39弾を使用するありとあらゆるAK系自動小銃が投入されました。
国産のM70自動小銃、ルーマニア製PM md. 63/65、そして中国製の56式小銃がその代表例です。
M70は「ライフルグレネードの発射機構が弾道に干渉するため命中率が悪い(高部正樹氏、ツイッターでの発言、2015)」、ルーマニア製AKMは「弾倉数個分を続けて撃つとバレるが溶ける傾向にあった(ロブ・クロット「傭兵 狼たちの戦場」)、2011」などそれぞれに悪評があったようです。

M70の他にも様々な小火器が古い兵器庫から持ちだされました。

モーゼル系のボルトアクションライフルでは旧王制時代の制式小銃M24/47、その後継の人民軍戦後最初期制式小銃M48が大半でしたが、 中にはWW2当時ドイツから鹵獲した本物のKar98すらあったということです。
ロブ・クロット氏はM48の命中精度を激賞しています。
短機関銃としてはトンプソン、PPSh-41、MP40、ユーゴ国産のM49、M57。
機関銃としてはM2HB重機関銃、M1919、ZB26、MG42やそのユーゴ版のM53シャラツが一般的でした。

ダブルバレルやポンプアクションのショットガン、ハンティングライフルといった多様な猟銃が投入されました。
市街戦では消音銃も使われています。
これらについても詳細はARBiHの項目をご参照下さい。
言うまでもないことですが、短機関銃や散弾銃はあくまで限定した都市戦闘に用いられるのでなければせいぜいが護身用火器といった扱いでした。
半自動小銃M59/66と同様にこれらの二線級兵器は射撃の下手な予備役の老人達に回されがちだったという証言もあります。
高部正樹氏もロブ・クロット氏もこうした小火器については射程の不足から評価に値しないものと捉えていたようです。
後者はVz61やソウドオフショットガンの部類を、飲み屋で粋がった憲兵が振り回す定番の危ないおもちゃだったとしています。

同じくただのお飾り・お守り・物騒な喧嘩の道具として語られているのが拳銃です。
ユーゴ製M57をはじめとする各国製トカレフ、チェコスロバキア製Cz52、Cz50、スペイン製スター9mmなど・・・ロブ・クロット氏は入手出来る中では最良の拳銃としてCz75を褒め称えています。
画像のように各種の回転式拳銃もありました。
ロブに言わせれば「ここの男たちは本当にピストルとナイフがすきだ」。
実用面はともかくとして、文化的な要素もあったようです。

外国製小火器は主にスロヴェニアを経由して輸入されていました(※画像は十日戦争時のスロヴェニア)。

自動小銃としてはH&K G3、FAL、軽機関銃ではRPD、RPKなど・・・、

わけてもアルゼンチン製FALは命中精度がよいと評判で、米国人傭兵ロブ・クロットはユーゴでの活動中常に機会があれば入手したいと願っていたものの、一度FALを手にしたクロアチア兵は絶対に手放さないためついに叶わなかったと語っています。

少数ではありますがM16A2やUZI、ウルティマックス軽機関銃やSAR80自動小銃といったシンガポール製銃器、そしてヴェクターR4もよく知られている例です。
SAR-80は、射撃性能は優秀だが地面に落としただけでもストックが壊れるほど脆いと不評だったようです。

対戦車火器としてはスロヴェニアから提供された人民軍の各種兵器に加え、外国製RPG-7やアームブラスト・・・RPG-22も戦場写真によく登場します。
ロブ・クロットはボスニアでAK74を鹵獲した際「これこそロシアのスペツナズが関与している証拠だ」と感動したそうですが、ではクロアチアのソ連製火器はどうなのか?と考えると疑問符のつくコメントではあります。
まあ実際ロシア人義勇兵は沢山いた訳ですが。
参考文献
並木書房刊 高部正樹著 「戦争志願 アフガン・カレン・ボスニア最前線」
原書房刊 ロブ・クロット著「傭兵 狼たちの戦場」
ほか
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セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
2015年12月11日
クロアチア軍装基本のキ!(二)個人装備
(二)個人装備

個人装備もまた軍服と同様さまざまな種類が使われていました。

1992年頃まではユーゴ製の各種装備が最も一般的でしたが、米国や東西ドイツ製サープラス品も普及していました。

ローカルメイドのアサルトベストが登場し始めたのはモスタル包囲戦(92年4月~93年12月)の頃からです(※画像は95年のもの)。

優秀なV-1コピーのアサルトベストが一般に普及する94年頃までは、自動小銃の弾倉を持ち運べるようポケットを拡張した中綿ベストが使われていました。

中国製の五六式弾帯も時折戦場写真に登場します。

一般に内戦初期の軍装を再現するのであればベルトにポーチといったクラシックなスタイルを選ぶのが無難と言えるでしょう。

サスペンダーは邪魔とばかりに省略されることが多かったようです。

ヘルメットはユーゴ製M59/85、東ドイツM56、フランス製M1951ヘルメットなどのモデルがありました。

最も一般的だったのは米国製M1及びM2ヘルメットであったとされています。

WW2~ヴェトナム戦争と様々な年代の個体が使用されていましたが、ヘルメットカバーもミッチェルパターンからオリーブドラブにウッドランドと多彩でした。

ボディアーマーはユーゴ製やアメリカ製が主体だったようです。

背嚢については旧ユーゴスラビア人民軍のものに加え、迷彩柄のコピー品、その他外国製品が混用されているのが各種資料で見て取れます。
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セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
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タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。

個人装備もまた軍服と同様さまざまな種類が使われていました。

1992年頃まではユーゴ製の各種装備が最も一般的でしたが、米国や東西ドイツ製サープラス品も普及していました。
ローカルメイドのアサルトベストが登場し始めたのはモスタル包囲戦(92年4月~93年12月)の頃からです(※画像は95年のもの)。

優秀なV-1コピーのアサルトベストが一般に普及する94年頃までは、自動小銃の弾倉を持ち運べるようポケットを拡張した中綿ベストが使われていました。

中国製の五六式弾帯も時折戦場写真に登場します。
一般に内戦初期の軍装を再現するのであればベルトにポーチといったクラシックなスタイルを選ぶのが無難と言えるでしょう。

サスペンダーは邪魔とばかりに省略されることが多かったようです。

ヘルメットはユーゴ製M59/85、東ドイツM56、フランス製M1951ヘルメットなどのモデルがありました。

最も一般的だったのは米国製M1及びM2ヘルメットであったとされています。

WW2~ヴェトナム戦争と様々な年代の個体が使用されていましたが、ヘルメットカバーもミッチェルパターンからオリーブドラブにウッドランドと多彩でした。

ボディアーマーはユーゴ製やアメリカ製が主体だったようです。

背嚢については旧ユーゴスラビア人民軍のものに加え、迷彩柄のコピー品、その他外国製品が混用されているのが各種資料で見て取れます。
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■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
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2015年12月11日
クロアチア軍装基本のキ!(一)戦闘服
■前文
地球上にかつて数多巻き起こった内戦のご多分に漏れず、ユーゴスラヴィア崩壊後の破壊的な局面にあっては正確には把握できないほど多様な軍服と個人装備が混用されました。
僅か20数年前の出来事であるにも関わらず、ユーゴ紛争における英語ベースの軍装知識は常に不完全なものにとどまり、戦場を写した記録映像も不鮮明で、世界中の軍装マニアの大半は一体何が何であるのか明確に知ることのできないまま今日に至ります。
ユーゴスラヴィアにおける軍服・個人装備は西側とも東側とも異なる特徴を持ち、或いはどちらの特徴をも兼ね備えた独特のものです。
この章に於いては、クロアチア国民防衛隊(ZNG RH)~クロアチア軍(OSRHまたはHV)、クロアチア防衛評議会(HVO)及びクロアチア防衛軍(HOS)などクロアチア系軍事組織の将兵が広く使用していた軍服と装備の代表例を紹介し、彼らがそうした軍装品をどのように組み合わせて着装していたのかについて読者の皆さんにわかりやすく説明していきたいと思います。
なお当ブログは様々な民族と政治の対立が巻き起こした地域紛争を言及の対象とはしていますが、政治的な動機には基づかず、あくまで純粋にユーゴスラヴィア内戦の軍装についての学習を目的とします。
*******************
ふだん当ブログをお読みになっている方でしたら耳にタコができるような話とは思いますが、念のため。
ユーゴスラヴィア紛争における軍装を理解するためには、内戦につきものの極めて混沌とした状況について頭に入れておく必要があります。
敵同士がお互いにそっくりの軍服を身にまとい、一方で同じ友軍同士、同じ旅団や民兵部隊内部でも不揃いな格好をするということが当たり前に存在したわけです。
同様に、どの交戦勢力においても外国製の兵器・個人装備・軍服が決して珍しいものではありませんでした。
殆どの場合軍服規定が意味を成さない紛争にあっては、実際の戦場写真や記録映像を観察する以外に学習の手立てはありません。
これから書く内容は以前投稿したARBIHに関する項目と多くの部分が重複しています。
90年代内戦中、ときに手を組み時に相争う仲にあったボスニアとクロアチアの関係に思いを馳せて頂けたら幸いです。
********************
さて前置きはこのへんで。
■目次
前文
1. クロアチア人勢力の軍服
2. クロアチア人勢力の個人装備
3.クロアチア人勢力の個人携行火器
-----------------------------------------
1.クロアチア人勢力の軍服

クロアチア系の各武装勢力において最も普及していた野戦服は、ウッドランド迷彩戦闘服です。

内戦中のクロアチア及びヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国では数限りない縫製工場・職人・個人が密輸された米軍用あるいは民生品のウッドランド戦闘服を参考に、様々な裁断の迷彩戦闘服を製造していました。

・M65型ハーフコート・・・基本は冬季戦闘服の外被にあたりますが、個癖によりライナーを取り外した上でジャケットとして使用する場合もあります。

・MA-1型ジャケット・・・冬季戦闘服上衣。旧人民軍で言うジャケットに相当します。上にM65を羽織る場合もあります。

・4ポケットBDUジャケット・・・夏季戦闘服上衣。多くは輸入品です。
シャツとして機能する場合が多く、4ポケットでも構わずタックインする場合もありました。

・2ポケットシャツ・・・夏季戦闘服上衣。国内で独自に製造したものを中心に複数種類が確認されています。

・カーゴパンツ・・・夏季/冬季戦闘服下衣。冬は米軍や独軍と同等のキルティングライナーやパッチと併用される場合もありました。

他にも東ドイツのレインドロップカモや英国の旧式DPMカモ、ブルガリア軍スプリンターカモ、そしてオーストリアのピーカモなどの迷彩服が確認されています。米国人傭兵ロブ・クロットは自著のなかで、英国人傭兵は特に好んでDPMを身に着けていたと書いています。

内戦初期、まだクロアチアとボスニアにおける迷彩服製造が本格化する以前には、西ドイツや米国製の単色戦闘服も広く着用されていました。

雪中戦闘には冬季迷彩が必要です。
主にユーゴ国産のMOZ M69/M75迷彩戦闘服や西ドイツ製のシュネーターン迷彩服の使用が確認されています。

戦闘帽も実に雑多なものでした。

米国製のウッドランド迷彩戦闘帽やそのレプリカには八角帽と丸帽のどちらも存在します。
民兵の中にはクロアチアの伝統的な帽子を被る者もありました。

他の交戦勢力と同様ニット帽やバンダナなども好まれていました。

軍靴も民生品や外国製のミリタリーブーツまでなんでも使われていました。
詳細については当ブログ「ザスタヴァ通信」ARBiHの項目をご参照下さい。

高部正樹氏等複数の関係者によりハイキングブーツなど民生品の使用が報告されています。
ロブ・クロットは自身が訓練を担当していたとあるHVの歩兵部隊について「より偵察任務に向いた灰色のハイカットスニーカーが支給されていたが、軍隊らしくないという理由で上官から使用を禁じられ、兵は皆ユーゴ軍の旧式バックルブーツを履かされ足を血だらけにしていた」というエピソードを紹介しています。
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
地球上にかつて数多巻き起こった内戦のご多分に漏れず、ユーゴスラヴィア崩壊後の破壊的な局面にあっては正確には把握できないほど多様な軍服と個人装備が混用されました。
僅か20数年前の出来事であるにも関わらず、ユーゴ紛争における英語ベースの軍装知識は常に不完全なものにとどまり、戦場を写した記録映像も不鮮明で、世界中の軍装マニアの大半は一体何が何であるのか明確に知ることのできないまま今日に至ります。
ユーゴスラヴィアにおける軍服・個人装備は西側とも東側とも異なる特徴を持ち、或いはどちらの特徴をも兼ね備えた独特のものです。
この章に於いては、クロアチア国民防衛隊(ZNG RH)~クロアチア軍(OSRHまたはHV)、クロアチア防衛評議会(HVO)及びクロアチア防衛軍(HOS)などクロアチア系軍事組織の将兵が広く使用していた軍服と装備の代表例を紹介し、彼らがそうした軍装品をどのように組み合わせて着装していたのかについて読者の皆さんにわかりやすく説明していきたいと思います。
なお当ブログは様々な民族と政治の対立が巻き起こした地域紛争を言及の対象とはしていますが、政治的な動機には基づかず、あくまで純粋にユーゴスラヴィア内戦の軍装についての学習を目的とします。
*******************
ふだん当ブログをお読みになっている方でしたら耳にタコができるような話とは思いますが、念のため。
ユーゴスラヴィア紛争における軍装を理解するためには、内戦につきものの極めて混沌とした状況について頭に入れておく必要があります。
敵同士がお互いにそっくりの軍服を身にまとい、一方で同じ友軍同士、同じ旅団や民兵部隊内部でも不揃いな格好をするということが当たり前に存在したわけです。
同様に、どの交戦勢力においても外国製の兵器・個人装備・軍服が決して珍しいものではありませんでした。
殆どの場合軍服規定が意味を成さない紛争にあっては、実際の戦場写真や記録映像を観察する以外に学習の手立てはありません。
これから書く内容は以前投稿したARBIHに関する項目と多くの部分が重複しています。
90年代内戦中、ときに手を組み時に相争う仲にあったボスニアとクロアチアの関係に思いを馳せて頂けたら幸いです。
********************
さて前置きはこのへんで。
■目次
前文
1. クロアチア人勢力の軍服
2. クロアチア人勢力の個人装備
3.クロアチア人勢力の個人携行火器
-----------------------------------------
1.クロアチア人勢力の軍服

クロアチア系の各武装勢力において最も普及していた野戦服は、ウッドランド迷彩戦闘服です。

内戦中のクロアチア及びヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国では数限りない縫製工場・職人・個人が密輸された米軍用あるいは民生品のウッドランド戦闘服を参考に、様々な裁断の迷彩戦闘服を製造していました。

・M65型ハーフコート・・・基本は冬季戦闘服の外被にあたりますが、個癖によりライナーを取り外した上でジャケットとして使用する場合もあります。
・MA-1型ジャケット・・・冬季戦闘服上衣。旧人民軍で言うジャケットに相当します。上にM65を羽織る場合もあります。
・4ポケットBDUジャケット・・・夏季戦闘服上衣。多くは輸入品です。
シャツとして機能する場合が多く、4ポケットでも構わずタックインする場合もありました。
・2ポケットシャツ・・・夏季戦闘服上衣。国内で独自に製造したものを中心に複数種類が確認されています。

・カーゴパンツ・・・夏季/冬季戦闘服下衣。冬は米軍や独軍と同等のキルティングライナーやパッチと併用される場合もありました。

他にも東ドイツのレインドロップカモや英国の旧式DPMカモ、ブルガリア軍スプリンターカモ、そしてオーストリアのピーカモなどの迷彩服が確認されています。米国人傭兵ロブ・クロットは自著のなかで、英国人傭兵は特に好んでDPMを身に着けていたと書いています。

内戦初期、まだクロアチアとボスニアにおける迷彩服製造が本格化する以前には、西ドイツや米国製の単色戦闘服も広く着用されていました。

雪中戦闘には冬季迷彩が必要です。
主にユーゴ国産のMOZ M69/M75迷彩戦闘服や西ドイツ製のシュネーターン迷彩服の使用が確認されています。

戦闘帽も実に雑多なものでした。
米国製のウッドランド迷彩戦闘帽やそのレプリカには八角帽と丸帽のどちらも存在します。
民兵の中にはクロアチアの伝統的な帽子を被る者もありました。
他の交戦勢力と同様ニット帽やバンダナなども好まれていました。
軍靴も民生品や外国製のミリタリーブーツまでなんでも使われていました。
詳細については当ブログ「ザスタヴァ通信」ARBiHの項目をご参照下さい。
高部正樹氏等複数の関係者によりハイキングブーツなど民生品の使用が報告されています。
ロブ・クロットは自身が訓練を担当していたとあるHVの歩兵部隊について「より偵察任務に向いた灰色のハイカットスニーカーが支給されていたが、軍隊らしくないという理由で上官から使用を禁じられ、兵は皆ユーゴ軍の旧式バックルブーツを履かされ足を血だらけにしていた」というエピソードを紹介しています。
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
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タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
2015年12月09日
第一回ボスニア199X
ボスニア199Xおつかれさまでした。
ゲームの様子については楽天ブログの方に投稿しましたので、こちらをご参照下さい。
http://plaza.rakuten.co.jp/kalashnikov/diary/201512080000/
当日のセルビやんは・・・セルビやんなので、当然セルビア人勢力(VRS)のチェトニクとして参戦しました。

装備リストです。
93年頃のVRS歩兵、小銃手
・M59/85スチールヘルメット+VRSヘルメットデカール
・セルビアリザードカモジャケット+パンツ
・M89カモTシャツ
・SMBトランクス
・M77バックルブーツ
・M75コンバットバックパック+MOL M75テントシート
・レザーウェビング
・KSC トカレフTT-33
・LCT 電動M70
・ゾ―リャM80対戦車ロケットランチャー(実物無稼動)

ちなみにヒゲは一週間ほど伸ばしました。
このご面相で< ミールノ!(気をつけ!) > なんて分隊長面で号令飛ばしてたんですからお恥ずかしい話です。
あ、画像は<ヴォーリ ノ!(やすめ)>の姿勢です念のため。
ユーゴ内戦でも珍奇な髪型・髭面の民兵は大勢いましたが、殆どの軍人はきれいに鬚を剃りあげていました。
ましてや一定以上の階級・役職にある者は滅多な格好はしませんでした。
これも念のため。
もっとも、一般に髪型に関しては我々が考えるよりずっと長い毛足が許容されていましたので、ぜひ写真や動画等で確かめてみてください。
ゲームの様子については楽天ブログの方に投稿しましたので、こちらをご参照下さい。
http://plaza.rakuten.co.jp/kalashnikov/diary/201512080000/
当日のセルビやんは・・・セルビやんなので、当然セルビア人勢力(VRS)のチェトニクとして参戦しました。

装備リストです。
93年頃のVRS歩兵、小銃手
・M59/85スチールヘルメット+VRSヘルメットデカール
・セルビアリザードカモジャケット+パンツ
・M89カモTシャツ
・SMBトランクス
・M77バックルブーツ
・M75コンバットバックパック+MOL M75テントシート
・レザーウェビング
・KSC トカレフTT-33
・LCT 電動M70
・ゾ―リャM80対戦車ロケットランチャー(実物無稼動)

ちなみにヒゲは一週間ほど伸ばしました。
このご面相で< ミールノ!(気をつけ!) > なんて分隊長面で号令飛ばしてたんですからお恥ずかしい話です。
あ、画像は<ヴォーリ ノ!(やすめ)>の姿勢です念のため。
ユーゴ内戦でも珍奇な髪型・髭面の民兵は大勢いましたが、殆どの軍人はきれいに鬚を剃りあげていました。
ましてや一定以上の階級・役職にある者は滅多な格好はしませんでした。
これも念のため。
もっとも、一般に髪型に関しては我々が考えるよりずっと長い毛足が許容されていましたので、ぜひ写真や動画等で確かめてみてください。