2015年12月11日
クロアチア軍装基本のキ!(一)戦闘服
■前文
地球上にかつて数多巻き起こった内戦のご多分に漏れず、ユーゴスラヴィア崩壊後の破壊的な局面にあっては正確には把握できないほど多様な軍服と個人装備が混用されました。
僅か20数年前の出来事であるにも関わらず、ユーゴ紛争における英語ベースの軍装知識は常に不完全なものにとどまり、戦場を写した記録映像も不鮮明で、世界中の軍装マニアの大半は一体何が何であるのか明確に知ることのできないまま今日に至ります。
ユーゴスラヴィアにおける軍服・個人装備は西側とも東側とも異なる特徴を持ち、或いはどちらの特徴をも兼ね備えた独特のものです。
この章に於いては、クロアチア国民防衛隊(ZNG RH)~クロアチア軍(OSRHまたはHV)、クロアチア防衛評議会(HVO)及びクロアチア防衛軍(HOS)などクロアチア系軍事組織の将兵が広く使用していた軍服と装備の代表例を紹介し、彼らがそうした軍装品をどのように組み合わせて着装していたのかについて読者の皆さんにわかりやすく説明していきたいと思います。
なお当ブログは様々な民族と政治の対立が巻き起こした地域紛争を言及の対象とはしていますが、政治的な動機には基づかず、あくまで純粋にユーゴスラヴィア内戦の軍装についての学習を目的とします。
*******************
ふだん当ブログをお読みになっている方でしたら耳にタコができるような話とは思いますが、念のため。
ユーゴスラヴィア紛争における軍装を理解するためには、内戦につきものの極めて混沌とした状況について頭に入れておく必要があります。
敵同士がお互いにそっくりの軍服を身にまとい、一方で同じ友軍同士、同じ旅団や民兵部隊内部でも不揃いな格好をするということが当たり前に存在したわけです。
同様に、どの交戦勢力においても外国製の兵器・個人装備・軍服が決して珍しいものではありませんでした。
殆どの場合軍服規定が意味を成さない紛争にあっては、実際の戦場写真や記録映像を観察する以外に学習の手立てはありません。
これから書く内容は以前投稿したARBIHに関する項目と多くの部分が重複しています。
90年代内戦中、ときに手を組み時に相争う仲にあったボスニアとクロアチアの関係に思いを馳せて頂けたら幸いです。
********************
さて前置きはこのへんで。
■目次
前文
1. クロアチア人勢力の軍服
2. クロアチア人勢力の個人装備
3.クロアチア人勢力の個人携行火器
-----------------------------------------
1.クロアチア人勢力の軍服
クロアチア系の各武装勢力において最も普及していた野戦服は、ウッドランド迷彩戦闘服です。
内戦中のクロアチア及びヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国では数限りない縫製工場・職人・個人が密輸された米軍用あるいは民生品のウッドランド戦闘服を参考に、様々な裁断の迷彩戦闘服を製造していました。
・M65型ハーフコート・・・基本は冬季戦闘服の外被にあたりますが、個癖によりライナーを取り外した上でジャケットとして使用する場合もあります。
・MA-1型ジャケット・・・冬季戦闘服上衣。旧人民軍で言うジャケットに相当します。上にM65を羽織る場合もあります。
・4ポケットBDUジャケット・・・夏季戦闘服上衣。多くは輸入品です。
シャツとして機能する場合が多く、4ポケットでも構わずタックインする場合もありました。
・2ポケットシャツ・・・夏季戦闘服上衣。国内で独自に製造したものを中心に複数種類が確認されています。
・カーゴパンツ・・・夏季/冬季戦闘服下衣。冬は米軍や独軍と同等のキルティングライナーやパッチと併用される場合もありました。
他にも東ドイツのレインドロップカモや英国の旧式DPMカモ、ブルガリア軍スプリンターカモ、そしてオーストリアのピーカモなどの迷彩服が確認されています。米国人傭兵ロブ・クロットは自著のなかで、英国人傭兵は特に好んでDPMを身に着けていたと書いています。
内戦初期、まだクロアチアとボスニアにおける迷彩服製造が本格化する以前には、西ドイツや米国製の単色戦闘服も広く着用されていました。
雪中戦闘には冬季迷彩が必要です。
主にユーゴ国産のMOZ M69/M75迷彩戦闘服や西ドイツ製のシュネーターン迷彩服の使用が確認されています。
戦闘帽も実に雑多なものでした。
米国製のウッドランド迷彩戦闘帽やそのレプリカには八角帽と丸帽のどちらも存在します。
民兵の中にはクロアチアの伝統的な帽子を被る者もありました。
他の交戦勢力と同様ニット帽やバンダナなども好まれていました。
軍靴も民生品や外国製のミリタリーブーツまでなんでも使われていました。
詳細については当ブログ「ザスタヴァ通信」ARBiHの項目をご参照下さい。
高部正樹氏等複数の関係者によりハイキングブーツなど民生品の使用が報告されています。
ロブ・クロットは自身が訓練を担当していたとあるHVの歩兵部隊について「より偵察任務に向いた灰色のハイカットスニーカーが支給されていたが、軍隊らしくないという理由で上官から使用を禁じられ、兵は皆ユーゴ軍の旧式バックルブーツを履かされ足を血だらけにしていた」というエピソードを紹介しています。
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
地球上にかつて数多巻き起こった内戦のご多分に漏れず、ユーゴスラヴィア崩壊後の破壊的な局面にあっては正確には把握できないほど多様な軍服と個人装備が混用されました。
僅か20数年前の出来事であるにも関わらず、ユーゴ紛争における英語ベースの軍装知識は常に不完全なものにとどまり、戦場を写した記録映像も不鮮明で、世界中の軍装マニアの大半は一体何が何であるのか明確に知ることのできないまま今日に至ります。
ユーゴスラヴィアにおける軍服・個人装備は西側とも東側とも異なる特徴を持ち、或いはどちらの特徴をも兼ね備えた独特のものです。
この章に於いては、クロアチア国民防衛隊(ZNG RH)~クロアチア軍(OSRHまたはHV)、クロアチア防衛評議会(HVO)及びクロアチア防衛軍(HOS)などクロアチア系軍事組織の将兵が広く使用していた軍服と装備の代表例を紹介し、彼らがそうした軍装品をどのように組み合わせて着装していたのかについて読者の皆さんにわかりやすく説明していきたいと思います。
なお当ブログは様々な民族と政治の対立が巻き起こした地域紛争を言及の対象とはしていますが、政治的な動機には基づかず、あくまで純粋にユーゴスラヴィア内戦の軍装についての学習を目的とします。
*******************
ふだん当ブログをお読みになっている方でしたら耳にタコができるような話とは思いますが、念のため。
ユーゴスラヴィア紛争における軍装を理解するためには、内戦につきものの極めて混沌とした状況について頭に入れておく必要があります。
敵同士がお互いにそっくりの軍服を身にまとい、一方で同じ友軍同士、同じ旅団や民兵部隊内部でも不揃いな格好をするということが当たり前に存在したわけです。
同様に、どの交戦勢力においても外国製の兵器・個人装備・軍服が決して珍しいものではありませんでした。
殆どの場合軍服規定が意味を成さない紛争にあっては、実際の戦場写真や記録映像を観察する以外に学習の手立てはありません。
これから書く内容は以前投稿したARBIHに関する項目と多くの部分が重複しています。
90年代内戦中、ときに手を組み時に相争う仲にあったボスニアとクロアチアの関係に思いを馳せて頂けたら幸いです。
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さて前置きはこのへんで。
■目次
前文
1. クロアチア人勢力の軍服
2. クロアチア人勢力の個人装備
3.クロアチア人勢力の個人携行火器
-----------------------------------------
1.クロアチア人勢力の軍服
クロアチア系の各武装勢力において最も普及していた野戦服は、ウッドランド迷彩戦闘服です。
内戦中のクロアチア及びヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国では数限りない縫製工場・職人・個人が密輸された米軍用あるいは民生品のウッドランド戦闘服を参考に、様々な裁断の迷彩戦闘服を製造していました。
・M65型ハーフコート・・・基本は冬季戦闘服の外被にあたりますが、個癖によりライナーを取り外した上でジャケットとして使用する場合もあります。
・MA-1型ジャケット・・・冬季戦闘服上衣。旧人民軍で言うジャケットに相当します。上にM65を羽織る場合もあります。
・4ポケットBDUジャケット・・・夏季戦闘服上衣。多くは輸入品です。
シャツとして機能する場合が多く、4ポケットでも構わずタックインする場合もありました。
・2ポケットシャツ・・・夏季戦闘服上衣。国内で独自に製造したものを中心に複数種類が確認されています。
・カーゴパンツ・・・夏季/冬季戦闘服下衣。冬は米軍や独軍と同等のキルティングライナーやパッチと併用される場合もありました。
他にも東ドイツのレインドロップカモや英国の旧式DPMカモ、ブルガリア軍スプリンターカモ、そしてオーストリアのピーカモなどの迷彩服が確認されています。米国人傭兵ロブ・クロットは自著のなかで、英国人傭兵は特に好んでDPMを身に着けていたと書いています。
内戦初期、まだクロアチアとボスニアにおける迷彩服製造が本格化する以前には、西ドイツや米国製の単色戦闘服も広く着用されていました。
雪中戦闘には冬季迷彩が必要です。
主にユーゴ国産のMOZ M69/M75迷彩戦闘服や西ドイツ製のシュネーターン迷彩服の使用が確認されています。
戦闘帽も実に雑多なものでした。
米国製のウッドランド迷彩戦闘帽やそのレプリカには八角帽と丸帽のどちらも存在します。
民兵の中にはクロアチアの伝統的な帽子を被る者もありました。
他の交戦勢力と同様ニット帽やバンダナなども好まれていました。
軍靴も民生品や外国製のミリタリーブーツまでなんでも使われていました。
詳細については当ブログ「ザスタヴァ通信」ARBiHの項目をご参照下さい。
高部正樹氏等複数の関係者によりハイキングブーツなど民生品の使用が報告されています。
ロブ・クロットは自身が訓練を担当していたとあるHVの歩兵部隊について「より偵察任務に向いた灰色のハイカットスニーカーが支給されていたが、軍隊らしくないという理由で上官から使用を禁じられ、兵は皆ユーゴ軍の旧式バックルブーツを履かされ足を血だらけにしていた」というエピソードを紹介しています。
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。