2015年12月11日
クロアチア軍装基本のキ!(二)個人装備
(二)個人装備
個人装備もまた軍服と同様さまざまな種類が使われていました。
1992年頃まではユーゴ製の各種装備が最も一般的でしたが、米国や東西ドイツ製サープラス品も普及していました。
ローカルメイドのアサルトベストが登場し始めたのはモスタル包囲戦(92年4月~93年12月)の頃からです(※画像は95年のもの)。
優秀なV-1コピーのアサルトベストが一般に普及する94年頃までは、自動小銃の弾倉を持ち運べるようポケットを拡張した中綿ベストが使われていました。
中国製の五六式弾帯も時折戦場写真に登場します。
一般に内戦初期の軍装を再現するのであればベルトにポーチといったクラシックなスタイルを選ぶのが無難と言えるでしょう。
サスペンダーは邪魔とばかりに省略されることが多かったようです。
ヘルメットはユーゴ製M59/85、東ドイツM56、フランス製M1951ヘルメットなどのモデルがありました。
最も一般的だったのは米国製M1及びM2ヘルメットであったとされています。
WW2~ヴェトナム戦争と様々な年代の個体が使用されていましたが、ヘルメットカバーもミッチェルパターンからオリーブドラブにウッドランドと多彩でした。
ボディアーマーはユーゴ製やアメリカ製が主体だったようです。
背嚢については旧ユーゴスラビア人民軍のものに加え、迷彩柄のコピー品、その他外国製品が混用されているのが各種資料で見て取れます。
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
個人装備もまた軍服と同様さまざまな種類が使われていました。
1992年頃まではユーゴ製の各種装備が最も一般的でしたが、米国や東西ドイツ製サープラス品も普及していました。
ローカルメイドのアサルトベストが登場し始めたのはモスタル包囲戦(92年4月~93年12月)の頃からです(※画像は95年のもの)。
優秀なV-1コピーのアサルトベストが一般に普及する94年頃までは、自動小銃の弾倉を持ち運べるようポケットを拡張した中綿ベストが使われていました。
中国製の五六式弾帯も時折戦場写真に登場します。
一般に内戦初期の軍装を再現するのであればベルトにポーチといったクラシックなスタイルを選ぶのが無難と言えるでしょう。
サスペンダーは邪魔とばかりに省略されることが多かったようです。
ヘルメットはユーゴ製M59/85、東ドイツM56、フランス製M1951ヘルメットなどのモデルがありました。
最も一般的だったのは米国製M1及びM2ヘルメットであったとされています。
WW2~ヴェトナム戦争と様々な年代の個体が使用されていましたが、ヘルメットカバーもミッチェルパターンからオリーブドラブにウッドランドと多彩でした。
ボディアーマーはユーゴ製やアメリカ製が主体だったようです。
背嚢については旧ユーゴスラビア人民軍のものに加え、迷彩柄のコピー品、その他外国製品が混用されているのが各種資料で見て取れます。
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。