2020年08月29日
セルビア警察装備合わせ:8月12日F2プラント定例会参加
栃木県の大規模インドアフィールド、F2プラントの平日定例会に参加してきました。
元工場で特撮やドラマの撮影にも使われているというだけあって、雰囲気のよいフィールドですね!
勢いゲームも盛り上がりました。
メンバーは90年代セルビア警察3名、コソヴォ解放軍1名です。
コソヴォ解放軍を演じてくれた鉄分不足さんは、今回も貴重な無可動MGV-176短機関銃を持ち込んでくれました。
押収物品撮影の良い花になってくれました。
セルビア警察に扮して轡を並べたwreathlit・noelさんやシーモンキーさんの戦闘技術は眼福ものでした・・・というかシーモンキーさんエラく腕を上げましたね・・・。
フィールドのスタッフさんにも、よい写真をたくさん撮って頂き大満足です。
ありがとうございました。
今回とくにキットリストは掲載しません。
前回投稿したセルビア警察関連の日記と、大して内容が変わらないからです。
せいぜい賑やかしに無可動ゾ-リャM80対戦車ロケットを背負ってみたくらいでしょうか?
気になる方は、そちらも是非参考にしていただければと思います。
オマケ:10式戦車の映画撮影用モック前でおふざけ写真
90年代セルビア警察MD94デューティーベルト 120cm *コソヴォ紛争
1994年製 セルビア警察MD94ブラックナイロンホルスター CZ99用 中古 エクステンダー付
90年代 セルビア警察袖章 *コソヴォ紛争 治安部隊 ユーゴスラヴィア
2020年08月04日
コソヴォ紛争時セルビア警察夏季服装再現例
■セルビア警察コソヴォ派遣時(1998)夏季野戦装備(小銃手)キットリスト:
セルビア警察夏季制帽
ブルータイガー/ブルーオークリーフ迷彩戦闘服シャツ、ズボン
ブルータイガー迷彩Tシャツ
77年式戦闘靴
94年式ナイロン装備一式
M70自動小銃4連弾のう
LCT M70AB2電動ガン
CZ88/CZ99は任意のSIG拳銃で代用
■画像は2019年6月及び2020年3月、シーモンキー氏との装備合わせ。
ノンバリ、いたってシンプルなものです。
1998年の段階では一般の警察派遣部隊に標準のタクティカルベストやチェストリグなどの戦術個人装備は支給されず、JSO等の一部特殊部隊がイスラエル式アサルトハーネスを使用していたほかは専ら部隊購入の雑多なベストが混用されていました。
野戦天幕の生地などを素材とし品質は劣悪、3年前に終結したボスニア紛争の民兵装備か?とも見紛う有り様となっていた模様です。
中には敵コソヴォ分離独立派テロリストから鹵獲(押収)したアルバニア軍官給チェストリグを着用する例すらありました。
画像は当方の所有するJSO専用イスラエル式アサルトハーネスです。
紛争初期から姿を見せる古顔ですが、このハーネスは例外的にデザイン・品質ともに前線でも評価が高く、紛争末期まで継続使用されました。
■94年式装備に吊るポーチ配置は担任兵器や個癖でかなり差異があり、人民軍用のプラ製角型水筒を専用ポーチで吊るか(←これが酷くタイトで使いにくいのです・・・)金属製の丸型水筒をベルトのD環にフックで吊ってもよい。
革製のふるい軍用アモポーチを追加するのも悪くない応用例です。
■警察なので、軍の兵隊と違って一番下の階級の巡査クラスでも拳銃は必ず吊っているあたりが特徴でしょうか。
もちろん手錠も。
中身まで無理に集める必要はありませんが、ホルスターと手錠ポーチを省略するとサマにならずただの黒サバゲ装備になるので注意が必要です。私はあまり拳銃にこだわりがないのでいつもマルイのエアコキSIG P226かP228をアンコに入れてます。
弱点の安全装置がすぐ破損するので、毎年とっかえひっかえです。
■青系の警察用迷彩服はブルータイガー(リザード)とブルーオークリーフの2種がありますが、後者のほうがより「老害臭」が出るでしょうか。
ついでに階級章も「警察(ポリツィヤ)」に改組する前の古い民警階級章を使っていると更に雰囲気が出ますね。
■靴は地上軍や警察短靴、白バイ・・・ではないですがオートバイ用のナイフポケット付警察長靴、サイドジッパー付き警察長靴など様々ですが、実物のユーゴ製でないと目ざとい人にはアイレット数や裁断でバレますね。
まあ適当に黒いレザーの戦闘靴で誤魔化してもその場ではどうせわかりませんから、それも一つの手かとは思います。
装備を長いこと塩漬けにしておくとやる気もなくなってきます。
アイテムが全部揃わなくても、遊べるときに遊んでおきましょう。
■帽子はなければ無帽、寂しければ汗止めとしてスポーツ用のスウェットバンドなり鉢巻なり巻いておけば十分です。
ただし90年代のデザインに限ります。
検索しましょう。写真を探しましょう。答えはそこいらに無料で転がってます。
2020年08月04日
8/12(水)コソヴォ紛争合わせのお誘い
8/12(水) Rock254平日定例会に参加します。
Rock254はコソヴォ紛争装備で遊ぶには最高のロケーションです(※主に眺望が)。是非
・セルビア警察
・ユーゴスラヴィア連邦軍
・コソヴォ解放軍
・KFOR…独伊米ほか
現在セルビア警察3名参加確定です。
予備役・民兵OK!
単に定例会に一般参加するだけなので、装備や徽章が足りない・わからない・何も持っていないという方もお気軽にどうぞ。
申込みや表明等も特に不要です。
参考:カタヤMAXさん主催「セルビア警察24時」フォトアルバム
Posted by セルビやん at
10:27
│Comments(0)
2020年08月04日
ツイッターアカウント移行のおしらせ
2009年から運用してきた@narod47凍結のため、@yugowar2に当面のあいだ移行します。
先月Twitterジャパン本社のある東京スクエアガーデンまで異議申し立てに行ったものの、コロナを理由に門前払いを食らった上、一時制限解除どころか逆に凍結へと事態を悪化させられてしまいました。
当ブログは長年放置状態にありましたが、主な理由は「だいたいみんなツイッターにいるし、ツイッターで発信してれば済んだから」なのですが、もう今後はそういうわけにもいかなくなって参りましたね。
最も惜しむべきは2009年から延々と積み上げてきたユーゴ軍装に関する画像つきツイートの類で、これには今まで参加してきた軍装イベントの思い出はもちろん、教本などの紙資料や海外掲示板の翻訳から内戦経験者の伝聞、セルビア旅行の記録、それらを元にした考察などが含まれます。
現在でも過去ツイートの閲覧自体は可能ですが、凍結に伴う制限で応用検索が機能しないため、蔵書検索が機能しない図書館のような状態ですね。延々スクロールしなければ何も掘り出せないというわけです。
バックアップを取っていなかった自分の不注意を呪うばかりです。
以上愚痴でした。
先月Twitterジャパン本社のある東京スクエアガーデンまで異議申し立てに行ったものの、コロナを理由に門前払いを食らった上、一時制限解除どころか逆に凍結へと事態を悪化させられてしまいました。
当ブログは長年放置状態にありましたが、主な理由は「だいたいみんなツイッターにいるし、ツイッターで発信してれば済んだから」なのですが、もう今後はそういうわけにもいかなくなって参りましたね。
最も惜しむべきは2009年から延々と積み上げてきたユーゴ軍装に関する画像つきツイートの類で、これには今まで参加してきた軍装イベントの思い出はもちろん、教本などの紙資料や海外掲示板の翻訳から内戦経験者の伝聞、セルビア旅行の記録、それらを元にした考察などが含まれます。
現在でも過去ツイートの閲覧自体は可能ですが、凍結に伴う制限で応用検索が機能しないため、蔵書検索が機能しない図書館のような状態ですね。延々スクロールしなければ何も掘り出せないというわけです。
バックアップを取っていなかった自分の不注意を呪うばかりです。
以上愚痴でした。
Posted by セルビやん at
09:16
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2020年05月27日
2013年撮影会 スルプスカ共和国軍 着装例
過去の撮影会より(2013年)
・M59/85ヘルメット + M68ヘルメットカバー
・M93迷彩戦闘服上下(※スルプスカ共和国軍ローカルメイド4ポケット迷彩戦闘服代用)
・M77戦闘靴
・ユーゴ軍レザーベルトキット+アモポーチ
・ユーゴ軍ザスタヴァM70自動小銃4連マガジンポーチ
・ユーゴ軍SMBマウンテンラックサック
恥知らずなことにAKMにソ連軍のスリングを付けています(※いずれも明確に誤りまたはレアケース)。
使用例がないではないですが・・・。
実は正規のザスタヴァM70用スリングが手に入らない、またはザスタヴァM70自体を持っていない場合、M75戦闘背嚢の負い紐を使うという裏技があるのですが、当時はそういう小知恵がありませんでした。
まあLCTからザスタヴァM70完成品がリリースされる前としては頑張った方かと思いますが、戦闘服のチョイス自体も不適切でしたね。
これでも、ボスニア199Xであれば規定を余裕でクリアできるラインとは思います。
Posted by セルビやん at
15:05
│Comments(0)
2020年03月19日
柏EASY COMPANY:2月スルプスカ共和国軍装合わせ
2020年2月11日、柏市のサバイバルゲームフィールドEASY COMPANY定例会に参加してきました。
カタヤMAXさん、シーモンキーさん、鉄分不足さん、ぼいてく曹長氏とボスニア199X勢がズラリといった顔ぶれです。
2月時点で既にコロナ騒ぎの影響が出ていたのか、参加者は少なめでした。
現在は寧ろ野外活動は推奨されておりますので、健康維持のためにもサバイバルゲームで遊ぶのは悪くない休日の過ごし方だと思うのですが。
COVID-19はさておき、EASY COMPANYには初参加でしたのでフィールドの特徴について軍装者としての感想。
まず公式サイトでもアピールされているように、約6000坪と面積が広い。
そこかしこに塹壕があり、深さも種類も様々でシチュエーション撮影の大きな助けとなります。
またMAP左半面を縁取る大きな堀は、内部に構築された障害物を避ければ良い撮影ポイントとなり得ます。
特筆すべきはフィールド全体の地形そのものでしょう。
中央がなだらかに隆起した丘陵状であるため、ほかのフィールドではどうしても写り込みボツ写真を大量生産する悩みの種、フェンスやネットの類が殆ど視界にすら入らないのです。
これは大きな利点と言えます。
この地形的特徴こそが、EASY COMPANYを軍装撮影に適したフィールドとしている主な要因です。
初参加でしたが、今後も利用したいお気に入りのスポットとなりました。
ゲーム内容的にも足を使い、障害物を使い初戦の初キルからタナカKar98K Airで所謂「ゴーグルブレーカー」、相手プレーヤーのゴーグルど真ん中にクリーンヒットでき、全体的にも悪くないスコアを稼げて気持ちよく汗を掻けた次第です。
写真撮影時は電動ザスタヴァM70AB2を持っていますが、大半のゲームはボルトアクションで済ませました。
いつかユーゴパルチザン軍装で遊ぶときに備えて慣れておきたいのもありますが、なにより運動不足の身には軽量なタナカのエアコキはありがたい得物です。
このところ、ついついこのエアガンばかり使ってしまいます・・・さて、今回のキットリストです。
・スルプスカ共和国軍M89迷彩ベレー(※実物三色旗円章元付)
・セルビアリザード迷彩夏季戦闘服上下、ユーゴ内務省グレイリザード系初期型
・セルビアリザード迷彩冬季戦闘服上衣
・ユーゴスラヴィア人民軍兵用レザーベルトキット
・ユーゴスラヴィア人民軍M77戦闘靴
・ユーゴスラヴィア人民軍M75戦闘背嚢
・LCT 電動M70AB2+実物専用スリング
・タナカkar98K Air
その他、いつもの不活性化ゾーリャM80ロケットランチャーやブローニングM2弾薬箱など。
こちらは今回、主に貸し出し用です。
このところ野外フィールドではあまりセカンダリを持ち歩きません。
ユーゴ内戦軍装なら、べつに兵階級が持っていても構わないものではあるのですが。
それでもやはり時々腰が寂しく感じる瞬間がありますので、腕が鈍り切る前に拳銃も時々使ってあげたいと思っています。
今回は、とあるマニア様よりお譲り頂いた往年の名作戦場写真集「FLASHPOINT!」に霊感を受け・・・というかそのパロディを試みてみました。
都合上、ゲーム中の写真でもマーカーやゴーグルを一部CG加工で消してありますが、実際には全て装着しています。
雑な素人加工でモアレが残っているので、指摘だいすき人間の皆様ならおわかりとは思いますが、念の為。
カタヤMAXさん、シーモンキーさん、鉄分不足さん、ぼいてく曹長氏とボスニア199X勢がズラリといった顔ぶれです。
2月時点で既にコロナ騒ぎの影響が出ていたのか、参加者は少なめでした。
現在は寧ろ野外活動は推奨されておりますので、健康維持のためにもサバイバルゲームで遊ぶのは悪くない休日の過ごし方だと思うのですが。
COVID-19はさておき、EASY COMPANYには初参加でしたのでフィールドの特徴について軍装者としての感想。
まず公式サイトでもアピールされているように、約6000坪と面積が広い。
そこかしこに塹壕があり、深さも種類も様々でシチュエーション撮影の大きな助けとなります。
またMAP左半面を縁取る大きな堀は、内部に構築された障害物を避ければ良い撮影ポイントとなり得ます。
特筆すべきはフィールド全体の地形そのものでしょう。
中央がなだらかに隆起した丘陵状であるため、ほかのフィールドではどうしても写り込みボツ写真を大量生産する悩みの種、フェンスやネットの類が殆ど視界にすら入らないのです。
これは大きな利点と言えます。
この地形的特徴こそが、EASY COMPANYを軍装撮影に適したフィールドとしている主な要因です。
初参加でしたが、今後も利用したいお気に入りのスポットとなりました。
ゲーム内容的にも足を使い、障害物を使い初戦の初キルからタナカKar98K Airで所謂「ゴーグルブレーカー」、相手プレーヤーのゴーグルど真ん中にクリーンヒットでき、全体的にも悪くないスコアを稼げて気持ちよく汗を掻けた次第です。
写真撮影時は電動ザスタヴァM70AB2を持っていますが、大半のゲームはボルトアクションで済ませました。
いつかユーゴパルチザン軍装で遊ぶときに備えて慣れておきたいのもありますが、なにより運動不足の身には軽量なタナカのエアコキはありがたい得物です。
このところ、ついついこのエアガンばかり使ってしまいます・・・さて、今回のキットリストです。
・スルプスカ共和国軍M89迷彩ベレー(※実物三色旗円章元付)
・セルビアリザード迷彩夏季戦闘服上下、ユーゴ内務省グレイリザード系初期型
・セルビアリザード迷彩冬季戦闘服上衣
・ユーゴスラヴィア人民軍兵用レザーベルトキット
・ユーゴスラヴィア人民軍M77戦闘靴
・ユーゴスラヴィア人民軍M75戦闘背嚢
・LCT 電動M70AB2+実物専用スリング
・タナカkar98K Air
その他、いつもの不活性化ゾーリャM80ロケットランチャーやブローニングM2弾薬箱など。
こちらは今回、主に貸し出し用です。
このところ野外フィールドではあまりセカンダリを持ち歩きません。
ユーゴ内戦軍装なら、べつに兵階級が持っていても構わないものではあるのですが。
それでもやはり時々腰が寂しく感じる瞬間がありますので、腕が鈍り切る前に拳銃も時々使ってあげたいと思っています。
今回は、とあるマニア様よりお譲り頂いた往年の名作戦場写真集「FLASHPOINT!」に霊感を受け・・・というかそのパロディを試みてみました。
都合上、ゲーム中の写真でもマーカーやゴーグルを一部CG加工で消してありますが、実際には全て装着しています。
雑な素人加工でモアレが残っているので、指摘だいすき人間の皆様ならおわかりとは思いますが、念の為。
2020年03月18日
3/11サバっちゃアウトドア平日定例会/ボスニア軍装合わせ
震災から9年目にあたる3月11日、軍装仲間のシーモンキーさんからお誘いがあり、サバっちゃ平日定例会に行ってきました。
5000平方の広さと高低差が楽しめる上に、かなりの荒天でもそう簡単にはゲームを中止しない豪胆さがお気に入りのフィールドです。
折からのコロナ騒動もあり、この日の参加者は少なめ。ゆっくり午後からの参戦となりました。
それでもサバゲは初めてという初心者の方から見るからに老練なベテランの方まで個性豊かなプレーヤー様方が集り、程よくフレンドリーで程よく没交渉な空気の中、白熱したゲームを楽しめました。
セイフティでは特にスタッフさん達と我々の持つエアガンやロケットランチャーの話題で盛り上がりました。
芋洗いの大混戦も悪くはないですが、やはり森林フィールドでは距離の取り方や身の隠し方に応用を利かせやすい少人数でのプレイが個人的には好みです。
Twitter辺りではよく「サバゲとは一体」とか「サバゲの定義」なんてイシューがタイムラインを騒がせますが、空論というか・・・少なくとも本質としては極々シンプルに、こういうものだろ?と思っています。
さて、この日の軍装解説です。
1993年頃のボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍歩兵ということでざっくり装備を組んでみました。
■キットリスト:
・ボスニア内戦時ローカルメイドMOL迷彩戦闘帽
・クロアチア軍ウッドランド迷彩夏季戦闘服上衣
・ユーゴスラヴィア人民軍M89迷彩戦闘服下衣
・ボスニア内戦時ローカルメイドMOL迷彩ベスト
・M77戦闘靴
・ユーゴスラヴィア人民軍レザーベルトキット(Yサス省略)
・M70自動小銃用4連マガジンポーチ
・M75戦闘背嚢(画面外)
・M59/85鉄帽(画面外)
・M80ゾーリャ64mm対戦車ロケットランチャー(無可動実物)
・LCT M70AB2電動ガン +実物スリング、AK
・同 銃剣(銃剣本体全ゴム、鞘及び剣吊りのみ実物)
・M79P1手榴弾x2(※中国製85式手榴弾ゴム製訓練用モデルにて代用)
ほか、ブローニングM2用のユーゴスラヴィア軍弾薬箱など。
本来は写ルンですやフィルムカメラを使った方が雰囲気が出るとは思うのですが、あいにくカメラの方には全く教養がないため、ガラケーで撮った低解像度写真にシネマスコープフィルタをかけてフィルムグレイン効果を追加、かんたんに粗悪な印刷の雑誌掲載写真か個人写真らしくしてみた・・・つもりです。いかがでしたでしょうか。
2020年03月16日
AK祭り2020参加:クライナ軍装
毎年恒例のAK祭りに参加してきました。
とはいっても物販のみでBB弾を撃ち合ったりはしていないのですが。
せっかくなので軍装撮影で遊んでみました。
1992年初め頃のSVK(クライナ・セルビア人軍)歩兵部隊、予備役下級軍曹という設定です。
・スイス軍M1948/62モーターサイクルヘルメット(※'92回廊作戦時ユーゴスラヴィア人民軍鹵獲品)
・M70AB2自動小銃+小銃てき弾(※M60P1対人破片弾頭、訓練用)
・同 銃剣(銃剣本体全ゴム、鞘及び剣吊りのみ実物)
・M79P1手榴弾x2(※中国製85式手榴弾ゴム製訓練用モデルにて代用)
・M77野戦服上下+民生品セーター
・M77戦闘靴
革帯は当然Yサス略。
冷戦後期人民軍地上軍歩兵野戦装を少し崩したカンジ・・・ということが一見してわかりますね。
武器類は全て訓練用/模型です。貸し切りゲーム主催者及びフィールド管理者の許可の下、電動ガンからバッテリーを抜いた上で空マガジンを装着、ゴーグルを外した状態でフィールドインして撮影しています。
↑ こんな注意書き、いちいち付け加えること自体が本来バカバカしいのですが。
昔から「指摘」ばかりに精を出す陰険な安全管理「警察」気取りがこの世には多いらしいので、一応念の為。
軍装上の指摘だったら大歓迎なのですが、未だに5Chノリでブチブチやってる連中のどうでもいい鬱憤晴らしに付き合う義理は毛頭ありません、ハイ。
2020年02月22日
第6回 灰の会 ユーゴ軍装資料コレクション無料公開
日時:2020年3月8日(日)午後13:00〜17:00
会場:RENGAコレクション(ベーカリーカフェレンガ隣)
〒376-0053 群馬県桐生市東久方1-1-55
■最寄駅 JR両毛線 桐生駅
駐車場あり
東欧のうしなわれた社会主義国、旧ユーゴスラヴィア及び後継諸国の軍装について語る自由形式の交流会です。
旧ユーゴのミリタリー雑誌・教本・軍装品など当方が蒐集したコレクション300点余りを展示します。撮影、記録自由。
参加者様向けのフリースペースを設けます。
軍装品や東欧関連の品、書籍など歓談の材料となるものがありましたら自由にお持ち寄り下さい。
入場無料、入退場自由。
事前申込不要、どなたでもご参加可能です(お差し支えなくば記帳をお願いいたします。
隣接の「ベーカリーカフェレンガ」にて購入した食品であれば、会場内への持込・飲食可能です。是非御利用下さい。
ボスニア199X参加者の皆様、ミリタリーや東欧、社会主義国の文物がお好きな方など、どなたさまも御来場をお待ち致しております。
■禁止事項:
※資料の持ち出し・破損/汚損
※完全軍装/仮装での入退場
※店外にて購入した食品の持ち込み
※エアガンの持ち込み
※違法な物品の持ち込み
※引火性のあるもの、危険物の持ち込み
Posted by セルビやん at
17:52
│Comments(0)
2017年10月30日
今年もボスニア199Xが開催されます
ユーゴ紛争ヒストリカルゲーム・第三回「ボスニア199X」
日時:平成29年11月26日(日)10:00-17:00
場所:オペレーションフリーダム(千葉県)
会費:4,000円(BB弾、マーカー代含む 昼食別)
公式blog:http://yugowar199x.militaryblog.jp/
公式twitter:https://twitter.com/bosnia199x:
募集:ボスニア・セルビア・クロアチア各勢力及び国連防護軍・民間人等
詳細は下記公式サイトまで。
ブログ主も参戦予定です。
http://yugowar199x.militaryblog.jp/e851343.html
2017年03月25日
ユーゴスラビア人民軍内務細則(1)君の名は
Yahoo!知恵袋 - 旧日本軍の上官の呼び方について
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1273286422
はあはあ、ナルホド。
■ということで本日はユーゴスラビア人民軍において軍人がとるべきと定められた数々のマナーの中から基本中の基本、お互いの呼び方についてかんたんなメモを記して参りたいと思います。
サバゲ畑(私もですが)の方には少々退屈かもしれませんが、これがわかるとボスニア199Xもぐっと幅のあるロールプレイを楽しめるようになってきます。
暫くの間お付き合いください。
**************************************
「諸君らはいま同志ヨシップ・ブロズ・ティトーに献花を行うため墓所にいるとしよう。ご存知だろうか、軍人はたとえ何の用事でそこにいようが、基本的に市民からは歓迎されないものなのだ・・・」
こんな書き出しで始まる人民軍歩兵科向け野戦教本(1990年度版)の内務細則。
「パレードのためだろうが、車両移動中だろうが、補給のために立ち寄ったのであろうが、保養のために束の間の休暇を満喫している間であろうがetc,etc.」だいたい兵隊というものは「市民から見れば日常生活を脅かすもの」だとはっきり書いてあります。
国民の大半が兵役を経験する旧ユーゴスラビアのような国であっても、ひとたび軍人となって制服に袖を通した者はそれをかさに着て尊大に振る舞うことがあります。
たまにツイッターで炎上する現職とか元の人みたいなカンジでしょうか。
おそらく実態としてはもう少し可愛げがないものであったろうと思いますが。
かつての古き良き「豊かなユーゴスラビア」の時代を経て1970年代から1990年代にはティトーの死と75年憲法の制定、経済や政治の混乱により大規模な暴動が頻発するようになっていました。
内戦前夜の1990年、執筆者の論旨はおそらくそれを読む新兵たちにも自然と納得のいくものだったのではないでしょうか。
「諸君らが街や村で剃髪や買い物(略)何をしているときでも、ただ歩いていてすら通りの窓から、道の向かい側から市民らは諸君らの一挙手一投足を常に注視している。したがって我々は常に油断せず礼儀正しく振る舞い、これにより彼等を『社会主義化』しなければならない」
さて、そのように振る舞うにはどうすべきだと書かれているでしょうか。
■まずお互いの呼び方。
<隊友に対して>
階級が同格または下級の軍人に対しては「ティ(きみ、おまえ、貴様)」を用いてよい。
上官、上司、古兵など上位者に対しては「ヴィ(あなた)」を用いなくてはならない。
おそらくともに兵舎を同じくする班員に限られる話と思われます。
隊外の軍人に対しては「同志(ドゥルージェ)」と呼びかけるべきであると定められています。
複数形は「同志たち(ドゥルガリツェ)」です。
「同志」はとても便利なことばです。
相手が下位・上位・階級不明者、民間人、誰であっても使えます。
自衛隊式の「ハンチョー」とくらべても汎用性がジャパリパ●ク並の広大さを誇る敬称ですね!
以下はその応用となります。
<士官/下士官に対して>
「同志マルコ・マクシモヴィッチ(姓名)」・・・・・かならず姓名を揃えて呼びます。
「同志少佐(階級名)」・・・・・・日本語の「~殿」のような敬称は特にありません。
姓名と併用可能です。
<兵卒に対して>
「同志コスチティッチ(姓)」 ・・・・・言うなれば呼び捨てですね。
「同志ダルコ(名)」・・・・・よりフランクです。
「同志兵士(階級名)」・・・・・ドゥルージェ・ヴォイニチェ。いちばんカンタンですね。
<上官に出頭する>
上官の求めに応じて出頭する際は以下のように申請します。
「同志大尉、兵卒スティッペ・ユリッチ!(=です、出頭しました)」・・・・・同志+階級名(=呼びかけ)+自分の官姓名
「同志少佐、伍長ペタル・マクシモヴィッチ、第1分隊長!」・・・・・相手への呼びかけ + 自分の階級・姓名・職名
軍隊には領土防衛隊や内務省などの政府関係機関、民間業者などさまざまな関係者が出入りしますので、人民軍軍装の再現者は上記の原則を適宜応用して失礼のないようにしましょう。
なおなんらかの理由により降格、懲戒処分を受けたのち原隊に復帰、または軍刑務所での刑期、軍病院での長期入院等を終えて戻ってきた上司や上官、また軍籍を剥奪され既に民間人となったものに会ったときも、以前と同様失礼のないよう接するように・・・などとも書かれています。
誰でもよけいな厄介事はごめんですものね。
<ちなみに>
少なくともスルプスカ共和国軍やクライナ・セルビア人軍では(しばしばジョークの種にもなりますが)人民軍式の規則を継承していました。
母体が同じなのだから当たり前といえば当たり前ですね。
これはボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍でも元人民軍の将軍が率いる軍団では建軍後暫くの間は遵守されたようですが、ある元サラエヴォ警察署特殊部隊員の証言によると「誰がいつ始めたのか定かではないが」自然とお互いに友達か仕事仲間のように呼び捨ての口語で話し合うようになり、人民軍式の礼儀作法は守られないようになっていった・・・まるで羽根が生えたかのような自由を感じた、といいます。
クロアチア等ではどうだったのでしょうか?
ロブ・クロット「傭兵 狼たちの戦場」を読むと、外国人傭兵が率いた部隊でも指揮官によって大変な差があったことがわかります。
おそらく他の旧ユーゴ諸国の武装組織でも部隊によって大きく異なる規則・習慣が守られていた(and破られまくっていた)のではないでしょうか。
本日はここまでです・・・
***********************
明日は浅草の軍装品物販イベント「バラホルカ」に出席いたします。
手持ちのため些少ですが、ユーゴスラビアの品を中心にお持ちする予定です。
クロアチア防衛評議会軍の袖章や、帽章つきのベレー帽もあります。
ぜひご来場下さいませ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1273286422
はあはあ、ナルホド。
■ということで本日はユーゴスラビア人民軍において軍人がとるべきと定められた数々のマナーの中から基本中の基本、お互いの呼び方についてかんたんなメモを記して参りたいと思います。
サバゲ畑(私もですが)の方には少々退屈かもしれませんが、これがわかるとボスニア199Xもぐっと幅のあるロールプレイを楽しめるようになってきます。
暫くの間お付き合いください。
**************************************
「諸君らはいま同志ヨシップ・ブロズ・ティトーに献花を行うため墓所にいるとしよう。ご存知だろうか、軍人はたとえ何の用事でそこにいようが、基本的に市民からは歓迎されないものなのだ・・・」
こんな書き出しで始まる人民軍歩兵科向け野戦教本(1990年度版)の内務細則。
「パレードのためだろうが、車両移動中だろうが、補給のために立ち寄ったのであろうが、保養のために束の間の休暇を満喫している間であろうがetc,etc.」だいたい兵隊というものは「市民から見れば日常生活を脅かすもの」だとはっきり書いてあります。
国民の大半が兵役を経験する旧ユーゴスラビアのような国であっても、ひとたび軍人となって制服に袖を通した者はそれをかさに着て尊大に振る舞うことがあります。
たまにツイッターで炎上する現職とか元の人みたいなカンジでしょうか。
おそらく実態としてはもう少し可愛げがないものであったろうと思いますが。
かつての古き良き「豊かなユーゴスラビア」の時代を経て1970年代から1990年代にはティトーの死と75年憲法の制定、経済や政治の混乱により大規模な暴動が頻発するようになっていました。
内戦前夜の1990年、執筆者の論旨はおそらくそれを読む新兵たちにも自然と納得のいくものだったのではないでしょうか。
「諸君らが街や村で剃髪や買い物(略)何をしているときでも、ただ歩いていてすら通りの窓から、道の向かい側から市民らは諸君らの一挙手一投足を常に注視している。したがって我々は常に油断せず礼儀正しく振る舞い、これにより彼等を『社会主義化』しなければならない」
さて、そのように振る舞うにはどうすべきだと書かれているでしょうか。
■まずお互いの呼び方。
<隊友に対して>
階級が同格または下級の軍人に対しては「ティ(きみ、おまえ、貴様)」を用いてよい。
上官、上司、古兵など上位者に対しては「ヴィ(あなた)」を用いなくてはならない。
おそらくともに兵舎を同じくする班員に限られる話と思われます。
隊外の軍人に対しては「同志(ドゥルージェ)」と呼びかけるべきであると定められています。
複数形は「同志たち(ドゥルガリツェ)」です。
「同志」はとても便利なことばです。
相手が下位・上位・階級不明者、民間人、誰であっても使えます。
自衛隊式の「ハンチョー」とくらべても汎用性がジャパリパ●ク並の広大さを誇る敬称ですね!
以下はその応用となります。
<士官/下士官に対して>
「同志マルコ・マクシモヴィッチ(姓名)」・・・・・かならず姓名を揃えて呼びます。
「同志少佐(階級名)」・・・・・・日本語の「~殿」のような敬称は特にありません。
姓名と併用可能です。
<兵卒に対して>
「同志コスチティッチ(姓)」 ・・・・・言うなれば呼び捨てですね。
「同志ダルコ(名)」・・・・・よりフランクです。
「同志兵士(階級名)」・・・・・ドゥルージェ・ヴォイニチェ。いちばんカンタンですね。
<上官に出頭する>
上官の求めに応じて出頭する際は以下のように申請します。
「同志大尉、兵卒スティッペ・ユリッチ!(=です、出頭しました)」・・・・・同志+階級名(=呼びかけ)+自分の官姓名
「同志少佐、伍長ペタル・マクシモヴィッチ、第1分隊長!」・・・・・相手への呼びかけ + 自分の階級・姓名・職名
軍隊には領土防衛隊や内務省などの政府関係機関、民間業者などさまざまな関係者が出入りしますので、人民軍軍装の再現者は上記の原則を適宜応用して失礼のないようにしましょう。
なおなんらかの理由により降格、懲戒処分を受けたのち原隊に復帰、または軍刑務所での刑期、軍病院での長期入院等を終えて戻ってきた上司や上官、また軍籍を剥奪され既に民間人となったものに会ったときも、以前と同様失礼のないよう接するように・・・などとも書かれています。
誰でもよけいな厄介事はごめんですものね。
<ちなみに>
少なくともスルプスカ共和国軍やクライナ・セルビア人軍では(しばしばジョークの種にもなりますが)人民軍式の規則を継承していました。
母体が同じなのだから当たり前といえば当たり前ですね。
これはボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍でも元人民軍の将軍が率いる軍団では建軍後暫くの間は遵守されたようですが、ある元サラエヴォ警察署特殊部隊員の証言によると「誰がいつ始めたのか定かではないが」自然とお互いに友達か仕事仲間のように呼び捨ての口語で話し合うようになり、人民軍式の礼儀作法は守られないようになっていった・・・まるで羽根が生えたかのような自由を感じた、といいます。
クロアチア等ではどうだったのでしょうか?
ロブ・クロット「傭兵 狼たちの戦場」を読むと、外国人傭兵が率いた部隊でも指揮官によって大変な差があったことがわかります。
おそらく他の旧ユーゴ諸国の武装組織でも部隊によって大きく異なる規則・習慣が守られていた(and破られまくっていた)のではないでしょうか。
本日はここまでです・・・
***********************
明日は浅草の軍装品物販イベント「バラホルカ」に出席いたします。
手持ちのため些少ですが、ユーゴスラビアの品を中心にお持ちする予定です。
クロアチア防衛評議会軍の袖章や、帽章つきのベレー帽もあります。
ぜひご来場下さいませ。
2017年02月25日
第2回 灰の会
去年の夏、当方主催「第2回 灰の会」および腹黒会様貸し切りゲームにてボスニア199Xの予行ゲームを実施しました。
その中から何枚か写真を抜粋。
1993年頃、ARBiH第2軍団小銃手をイメージして組んでみた装備です。
・東独VM56スチールヘルメット
・ユーゴ民警用V-K/Pボディーアーマー
・適当な白Tシャツ
・適当なフィンガーレスグローブ
・ユーゴスラビア人民軍MOL(分結夏季迷彩)スーツ下衣
・ユーゴスラビア人民軍M77ブーツ
・LCT 電動ザスタヴァM70
V-K/Pボディアーマーはユーゴ内戦で陣営問わず多用されている装備のひとつで、軍警問わず91年~99年(または01年)まで兎に角極めて多岐にわたる装備再現に活用できるアイテムです。
見つけ次第入手されることをお勧めします。
こちらはワコチョフさん達と撮った80年代ユーゴ地上軍偵察部隊のインプレッションです。
元ネタの写真と並べるとこんなかんじ・・・人数が足らない!(
装備も色々足りていなかったりします。
↑ 御存じの方には無用な補足ですが、MOL(※=分結夏季迷彩服の略称)スーツは砲兵隊管理の兵器という扱いで、下に別途M55(のちM77)単色野戦服の着用が必須となります。
SAVASさん名物BRDM-2とともに。
チトー帽も夏季用です。
鉄帽をかぶるとこんなカンジ。
地図で遊んでみたりとか
集合写真。
他にも沢山のユーゴ軍装趣味者さまにお越し頂きました。
楽しかった!
<追録>第二回灰の会終了直後Twitterに投稿された関連ツイートの一部を御紹介します。
参加者の皆様、ありがとうございました。
本日、第二回灰の会に参加された皆様大変お疲れ様でした。
生憎の雨ではございましたが、とても楽しいゲームができました。
誠にありがとうございました。
ちなみに本日私はユーゴスラビア海軍歩兵装備やなんちゃってARBiH装備をしました。 pic.twitter.com/z5nd4Gc6NV
— Ивица Косовић (@PiperH40826) 2016年8月20日
土曜の第二回 灰の会、待ち伏せを食って散開するボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍部隊。
思いっきり撮影失敗してますけどw
定例終了後、ヤネックスさんの御厚意でフィールドを撮影に使わせて頂きました。 pic.twitter.com/eUmhQAPpe6
— レッドアフガン@冷サバ (@narod47) 2016年8月22日
灰の会&SAVAS貸切お疲れ様でした!
ユーゴ漬けの濃い2日間で非常に有意義でした。
ボスニア199Xがいまから楽しみですねぇ… pic.twitter.com/ilAwdQq70q
— サカ熊 (@VCU64chun) 2016年8月21日
その中から何枚か写真を抜粋。
1993年頃、ARBiH第2軍団小銃手をイメージして組んでみた装備です。
・東独VM56スチールヘルメット
・ユーゴ民警用V-K/Pボディーアーマー
・適当な白Tシャツ
・適当なフィンガーレスグローブ
・ユーゴスラビア人民軍MOL(分結夏季迷彩)スーツ下衣
・ユーゴスラビア人民軍M77ブーツ
・LCT 電動ザスタヴァM70
V-K/Pボディアーマーはユーゴ内戦で陣営問わず多用されている装備のひとつで、軍警問わず91年~99年(または01年)まで兎に角極めて多岐にわたる装備再現に活用できるアイテムです。
見つけ次第入手されることをお勧めします。
こちらはワコチョフさん達と撮った80年代ユーゴ地上軍偵察部隊のインプレッションです。
元ネタの写真と並べるとこんなかんじ・・・人数が足らない!(
装備も色々足りていなかったりします。
↑ 御存じの方には無用な補足ですが、MOL(※=分結夏季迷彩服の略称)スーツは砲兵隊管理の兵器という扱いで、下に別途M55(のちM77)単色野戦服の着用が必須となります。
SAVASさん名物BRDM-2とともに。
チトー帽も夏季用です。
鉄帽をかぶるとこんなカンジ。
地図で遊んでみたりとか
集合写真。
他にも沢山のユーゴ軍装趣味者さまにお越し頂きました。
楽しかった!
<追録>第二回灰の会終了直後Twitterに投稿された関連ツイートの一部を御紹介します。
参加者の皆様、ありがとうございました。
本日、第二回灰の会に参加された皆様大変お疲れ様でした。
生憎の雨ではございましたが、とても楽しいゲームができました。
誠にありがとうございました。
ちなみに本日私はユーゴスラビア海軍歩兵装備やなんちゃってARBiH装備をしました。 pic.twitter.com/z5nd4Gc6NV
— Ивица Косовић (@PiperH40826) 2016年8月20日
土曜の第二回 灰の会、待ち伏せを食って散開するボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍部隊。
思いっきり撮影失敗してますけどw
定例終了後、ヤネックスさんの御厚意でフィールドを撮影に使わせて頂きました。 pic.twitter.com/eUmhQAPpe6
— レッドアフガン@冷サバ (@narod47) 2016年8月22日
灰の会&SAVAS貸切お疲れ様でした!
ユーゴ漬けの濃い2日間で非常に有意義でした。
ボスニア199Xがいまから楽しみですねぇ… pic.twitter.com/ilAwdQq70q
— サカ熊 (@VCU64chun) 2016年8月21日
2016年08月26日
第1回 灰の会
年に一度開催される「ボスニア199X」。
参加予定者、希望者で集まって予行を行う機会を増やしたいと考えて「灰の会」という企画をでっち上げてみました。
単にユーゴ軍装者で集まってサバイバルゲームの定例会に参加しようというだけの集まりなのですが。
■灰の会 第1話「ヴコヴァルに手紙は届かない」
無駄な中二病を発症して思いつきで丸パクリの副題までつけた割には、梅雨ということもあり自分も含めて参加者が2人しか集まらなかった第一回。
しかし今になって写真を見返してみると、撮影地に「ワンダーフォーゲル」を選んだ事自体は正解だったと思っています。
■副題のとおり、ヴコヴァル包囲戦時のユーゴスラビア人民軍M70射手を想定した扮装を試みてみました。
CGで顔をいじりすぎて鼻がモズグズ様みたいになってますね。
セイフティで撮影したところ電子レンジやポット、ポスターが写り込んでしまったので、加工で消しました。
代わりに足した壁面の血文字は、当時の大セルビア主義者が用いたスローガン「セルビアを東京へ拡大せよ」です。
CGですよ、念のため。
サバゲフィールドの施設にラクガキなんて、そんなDQN行為できません。
【装備リスト】
M85スチールヘルメット
M55ウールコート
M75フィールドシャツ
M77フィールドトラウザーズ
M77バックルブーツ
LCT 電動M70
■正規兵だけでなく、領土防衛軍の民兵コスも試してみました。
といっても、コートの下に着る野戦服を旧式のM55ウール服に、被り物を鉄帽からシャイカチャ帽に替えただけですが。
正規兵コスのときは顔にうっすらと生えた無精髭をブラシで消しましたが、民兵コスでは逆に強調して髭面にしました。
こんな風にコスプレ撮影会に興じたのはほんの一瞬で、当日は定例会にごく普通に参加して、ごく普通に雨でずぶ濡れになり、ごく普通に楽しみました。
打ちっぱなしのコンクリート壁が続く廃墟フィールドはSF的とも言える独特の雰囲気があり、おりからの暴風雨も気にせずゲームに没頭できました。
マガジンポーチも使わずウールコートのポケットが唯一の予備マガジン携行手段という格好はサバゲ的にどうなのかと若干心配でしたが、かえってスッキリするので悪くありませんね。
フィールド所在地の標高が高いこともあり、コートを着て走り回っても暑苦しさは全く感じませんでした。
私の気まぐれな思いつきにお付き合い頂いたИвица Косовић氏に改めて感謝を。
参加予定者、希望者で集まって予行を行う機会を増やしたいと考えて「灰の会」という企画をでっち上げてみました。
単にユーゴ軍装者で集まってサバイバルゲームの定例会に参加しようというだけの集まりなのですが。
■灰の会 第1話「ヴコヴァルに手紙は届かない」
無駄な中二病を発症して思いつきで丸パクリの副題までつけた割には、梅雨ということもあり自分も含めて参加者が2人しか集まらなかった第一回。
しかし今になって写真を見返してみると、撮影地に「ワンダーフォーゲル」を選んだ事自体は正解だったと思っています。
■副題のとおり、ヴコヴァル包囲戦時のユーゴスラビア人民軍M70射手を想定した扮装を試みてみました。
CGで顔をいじりすぎて鼻がモズグズ様みたいになってますね。
セイフティで撮影したところ電子レンジやポット、ポスターが写り込んでしまったので、加工で消しました。
代わりに足した壁面の血文字は、当時の大セルビア主義者が用いたスローガン「セルビアを東京へ拡大せよ」です。
CGですよ、念のため。
サバゲフィールドの施設にラクガキなんて、そんなDQN行為できません。
【装備リスト】
M85スチールヘルメット
M55ウールコート
M75フィールドシャツ
M77フィールドトラウザーズ
M77バックルブーツ
LCT 電動M70
■正規兵だけでなく、領土防衛軍の民兵コスも試してみました。
といっても、コートの下に着る野戦服を旧式のM55ウール服に、被り物を鉄帽からシャイカチャ帽に替えただけですが。
正規兵コスのときは顔にうっすらと生えた無精髭をブラシで消しましたが、民兵コスでは逆に強調して髭面にしました。
こんな風にコスプレ撮影会に興じたのはほんの一瞬で、当日は定例会にごく普通に参加して、ごく普通に雨でずぶ濡れになり、ごく普通に楽しみました。
打ちっぱなしのコンクリート壁が続く廃墟フィールドはSF的とも言える独特の雰囲気があり、おりからの暴風雨も気にせずゲームに没頭できました。
マガジンポーチも使わずウールコートのポケットが唯一の予備マガジン携行手段という格好はサバゲ的にどうなのかと若干心配でしたが、かえってスッキリするので悪くありませんね。
フィールド所在地の標高が高いこともあり、コートを着て走り回っても暑苦しさは全く感じませんでした。
私の気まぐれな思いつきにお付き合い頂いたИвица Косовић氏に改めて感謝を。
2016年05月07日
ユーゴ軍装着装例@バナナマガジン祭り
前回の更新から随分間が空いてしまいました。
今更新年の挨拶を申し述べるのも間が抜けた話ですので、そこは省略します。
さて本題。
今まで何となく思いついた時に受け売りのウンチクのみ並べ立てるという事を繰り返して参りましたが、それだけでは一寸物足りない。
需要とかそういうものはとりあえず置くとして、ミリブロらしく筆者本人のサバイバルゲームやミリタリーイベントでの着装例もご紹介して参りたいと思います。
まずは去る1月、埼玉県のサバゲフィールドOASISで開催されました「バナナマガジン祭り」より。
っていきなり他人の写真です。
自己評価が低い人間はこういう事をするから信用なりません。
M77軍装でお越しの某大統領閣下()に、うろ覚えでユーゴスラビア人民軍の野戦教本にあったM72軽機関銃手の坐射姿勢を再現して貰いました。
まあ、ご覧のとおりお持ちのエアーガンはRPKじゃなくてAK、M70AB2自動小銃なんですが・・・
そうです!
この日はひいふう・・・・・えっと こんなにもいっぱい沢山の(日本語)LCT製M70AB2電動ガンが集まりました!
よく見て下さい、通常のM70に混じって自作M76半自動狙撃銃やM80対戦車ロケットランチャーまであります。
壮観ですねー。
後半は自画自賛です(私物)。
第一回ボスニア199Xから僅か二ヶ月後、またしてもこのような美しい光景を目にしようとは誰が想像出来たでしょうか。
美しいといえばこの方です。
主にTwitter等で内戦中のスルプスカ共和国軍及び内戦以前のユーゴスラヴィア人民軍等について情報発信をしておられるИвица氏ですね。
このブログを御覧になっている皆様であれば、既に御存知の方もおられるのではないでしょうか。
此処では1994年前後、クライナ・セルビア人軍の将校と兵士、という設定で2ショットを頂きました。
ちなみに右のほうでしゃがんでいる醜い生き物が着用しておりますのは英語での俗称「ファイアサラマンダーカモ」というユーゴ内戦特有の迷彩服です。
まあ特有と言っても誰がどう見てもただのソ連製ブタン迷彩なんですが。
この迷彩服には旧ソ連及びロシア純正の供与生地とそのコピーが何種類か存在することが知られていますが、本品の布地は経年による黄ばみ方から判断するにまず間違いなくソ連乃至ロシア製オリジナルであると思われます。
集合写真です。
所謂「岩迷彩」、M69書きピース迷彩戦闘服を着ているスナイパーの方がおられますね。
彼もサラマンダー迷彩の保有者です。
このときは不覚にも同じ迷彩服で合わせて写真を撮るのをすっかり忘れていました。
ちなみに此処では私は撮影に回りましたので、写っておりません。
僕だけがいない街(言ってみたかっただけ)。
実際には僕だけどころか当日ユーゴ軍装以外の格好で来た人全員をハブにしているのですが。
軍装者は非情であります。
いやまあ彼らとの集合写真も当然別途撮影はしましたが。
フィールド内の塹壕を利用した撮影です。
ちょっとお互いにくっつきすぎですね。
右奥でタバコを口にする(※もちろん吸うフリだけですよ、念のため)カタヤマッチさんがシブいです。
左手前でカッコつけてるバカは無視しましょう。
それが本人のためです。
ボスニア199X主催者というだけあって、カタヤマッチさんは毎回何度も着替えて色々な軍装をアピールするスタイルを得意としています。
粋ですね。
此処でも2、3パターンの七変化(※筆者はさんすうができません)を魅せてくれたカタヤマッチさんですが、筆者は気が利かないバカなので単独写真はこの一枚しか撮影していませんでした。
許せませんね。
青い空と雄々しいポージング、M68ヘルメットカバーの独特なシルエット、暗いグリーン系リザード迷彩の異様なオーラ。
それにしてもステキです。
いかがでしたでしょうか。
いかがも何も、特段このとおり役に立つ装備解説もなしにただ思い出の写真を貼っていくだけという趣向なのですが。
もっと解説的なブログがいい!それならまた読んでやる!
という方もおられるでしょう。
気が向いたらそういうのも書きますハイ。
それではまた。
クニンジャーズ!!
今更新年の挨拶を申し述べるのも間が抜けた話ですので、そこは省略します。
さて本題。
今まで何となく思いついた時に受け売りのウンチクのみ並べ立てるという事を繰り返して参りましたが、それだけでは一寸物足りない。
需要とかそういうものはとりあえず置くとして、ミリブロらしく筆者本人のサバイバルゲームやミリタリーイベントでの着装例もご紹介して参りたいと思います。
まずは去る1月、埼玉県のサバゲフィールドOASISで開催されました「バナナマガジン祭り」より。
っていきなり他人の写真です。
自己評価が低い人間はこういう事をするから信用なりません。
M77軍装でお越しの某大統領閣下()に、うろ覚えでユーゴスラビア人民軍の野戦教本にあったM72軽機関銃手の坐射姿勢を再現して貰いました。
まあ、ご覧のとおりお持ちのエアーガンはRPKじゃなくてAK、M70AB2自動小銃なんですが・・・
そうです!
この日はひいふう・・・・・えっと こんなにもいっぱい沢山の(日本語)LCT製M70AB2電動ガンが集まりました!
よく見て下さい、通常のM70に混じって自作M76半自動狙撃銃やM80対戦車ロケットランチャーまであります。
壮観ですねー。
後半は自画自賛です(私物)。
第一回ボスニア199Xから僅か二ヶ月後、またしてもこのような美しい光景を目にしようとは誰が想像出来たでしょうか。
美しいといえばこの方です。
主にTwitter等で内戦中のスルプスカ共和国軍及び内戦以前のユーゴスラヴィア人民軍等について情報発信をしておられるИвица氏ですね。
このブログを御覧になっている皆様であれば、既に御存知の方もおられるのではないでしょうか。
此処では1994年前後、クライナ・セルビア人軍の将校と兵士、という設定で2ショットを頂きました。
ちなみに右のほうでしゃがんでいる醜い生き物が着用しておりますのは英語での俗称「ファイアサラマンダーカモ」というユーゴ内戦特有の迷彩服です。
まあ特有と言っても誰がどう見てもただのソ連製ブタン迷彩なんですが。
この迷彩服には旧ソ連及びロシア純正の供与生地とそのコピーが何種類か存在することが知られていますが、本品の布地は経年による黄ばみ方から判断するにまず間違いなくソ連乃至ロシア製オリジナルであると思われます。
集合写真です。
所謂「岩迷彩」、M69書きピース迷彩戦闘服を着ているスナイパーの方がおられますね。
彼もサラマンダー迷彩の保有者です。
このときは不覚にも同じ迷彩服で合わせて写真を撮るのをすっかり忘れていました。
ちなみに此処では私は撮影に回りましたので、写っておりません。
僕だけがいない街(言ってみたかっただけ)。
実際には僕だけどころか当日ユーゴ軍装以外の格好で来た人全員をハブにしているのですが。
軍装者は非情であります。
いやまあ彼らとの集合写真も当然別途撮影はしましたが。
フィールド内の塹壕を利用した撮影です。
ちょっとお互いにくっつきすぎですね。
右奥でタバコを口にする(※もちろん吸うフリだけですよ、念のため)カタヤマッチさんがシブいです。
左手前でカッコつけてるバカは無視しましょう。
それが本人のためです。
ボスニア199X主催者というだけあって、カタヤマッチさんは毎回何度も着替えて色々な軍装をアピールするスタイルを得意としています。
粋ですね。
此処でも2、3パターンの七変化(※筆者はさんすうができません)を魅せてくれたカタヤマッチさんですが、筆者は気が利かないバカなので単独写真はこの一枚しか撮影していませんでした。
許せませんね。
青い空と雄々しいポージング、M68ヘルメットカバーの独特なシルエット、暗いグリーン系リザード迷彩の異様なオーラ。
それにしてもステキです。
いかがでしたでしょうか。
いかがも何も、特段このとおり役に立つ装備解説もなしにただ思い出の写真を貼っていくだけという趣向なのですが。
もっと解説的なブログがいい!それならまた読んでやる!
という方もおられるでしょう。
気が向いたらそういうのも書きますハイ。
それではまた。
クニンジャーズ!!
2015年12月11日
クロアチア軍装基本のキ!(三)個人携行火器
3.クロアチア人勢力の個人携行火器
軍服・装具類よりも更に複雑怪奇を極めたのが銃器類です。
7.62X39弾を使用するありとあらゆるAK系自動小銃が投入されました。
国産のM70自動小銃、ルーマニア製PM md. 63/65、そして中国製の56式小銃がその代表例です。
M70は「ライフルグレネードの発射機構が弾道に干渉するため命中率が悪い(高部正樹氏、ツイッターでの発言、2015)」、ルーマニア製AKMは「弾倉数個分を続けて撃つとバレるが溶ける傾向にあった(ロブ・クロット「傭兵 狼たちの戦場」)、2011」などそれぞれに悪評があったようです。
M70の他にも様々な小火器が古い兵器庫から持ちだされました。
モーゼル系のボルトアクションライフルでは旧王制時代の制式小銃M24/47、その後継の人民軍戦後最初期制式小銃M48が大半でしたが、 中にはWW2当時ドイツから鹵獲した本物のKar98すらあったということです。
ロブ・クロット氏はM48の命中精度を激賞しています。
短機関銃としてはトンプソン、PPSh-41、MP40、ユーゴ国産のM49、M57。
機関銃としてはM2HB重機関銃、M1919、ZB26、MG42やそのユーゴ版のM53シャラツが一般的でした。
ダブルバレルやポンプアクションのショットガン、ハンティングライフルといった多様な猟銃が投入されました。
市街戦では消音銃も使われています。
これらについても詳細はARBiHの項目をご参照下さい。
言うまでもないことですが、短機関銃や散弾銃はあくまで限定した都市戦闘に用いられるのでなければせいぜいが護身用火器といった扱いでした。
半自動小銃M59/66と同様にこれらの二線級兵器は射撃の下手な予備役の老人達に回されがちだったという証言もあります。
高部正樹氏もロブ・クロット氏もこうした小火器については射程の不足から評価に値しないものと捉えていたようです。
後者はVz61やソウドオフショットガンの部類を、飲み屋で粋がった憲兵が振り回す定番の危ないおもちゃだったとしています。
同じくただのお飾り・お守り・物騒な喧嘩の道具として語られているのが拳銃です。
ユーゴ製M57をはじめとする各国製トカレフ、チェコスロバキア製Cz52、Cz50、スペイン製スター9mmなど・・・ロブ・クロット氏は入手出来る中では最良の拳銃としてCz75を褒め称えています。
画像のように各種の回転式拳銃もありました。
ロブに言わせれば「ここの男たちは本当にピストルとナイフがすきだ」。
実用面はともかくとして、文化的な要素もあったようです。
外国製小火器は主にスロヴェニアを経由して輸入されていました(※画像は十日戦争時のスロヴェニア)。
自動小銃としてはH&K G3、FAL、軽機関銃ではRPD、RPKなど・・・、
わけてもアルゼンチン製FALは命中精度がよいと評判で、米国人傭兵ロブ・クロットはユーゴでの活動中常に機会があれば入手したいと願っていたものの、一度FALを手にしたクロアチア兵は絶対に手放さないためついに叶わなかったと語っています。
少数ではありますがM16A2やUZI、ウルティマックス軽機関銃やSAR80自動小銃といったシンガポール製銃器、そしてヴェクターR4もよく知られている例です。
SAR-80は、射撃性能は優秀だが地面に落としただけでもストックが壊れるほど脆いと不評だったようです。
対戦車火器としてはスロヴェニアから提供された人民軍の各種兵器に加え、外国製RPG-7やアームブラスト・・・RPG-22も戦場写真によく登場します。
ロブ・クロットはボスニアでAK74を鹵獲した際「これこそロシアのスペツナズが関与している証拠だ」と感動したそうですが、ではクロアチアのソ連製火器はどうなのか?と考えると疑問符のつくコメントではあります。
まあ実際ロシア人義勇兵は沢山いた訳ですが。
参考文献
並木書房刊 高部正樹著 「戦争志願 アフガン・カレン・ボスニア最前線」
原書房刊 ロブ・クロット著「傭兵 狼たちの戦場」
ほか
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
軍服・装具類よりも更に複雑怪奇を極めたのが銃器類です。
7.62X39弾を使用するありとあらゆるAK系自動小銃が投入されました。
国産のM70自動小銃、ルーマニア製PM md. 63/65、そして中国製の56式小銃がその代表例です。
M70は「ライフルグレネードの発射機構が弾道に干渉するため命中率が悪い(高部正樹氏、ツイッターでの発言、2015)」、ルーマニア製AKMは「弾倉数個分を続けて撃つとバレるが溶ける傾向にあった(ロブ・クロット「傭兵 狼たちの戦場」)、2011」などそれぞれに悪評があったようです。
M70の他にも様々な小火器が古い兵器庫から持ちだされました。
モーゼル系のボルトアクションライフルでは旧王制時代の制式小銃M24/47、その後継の人民軍戦後最初期制式小銃M48が大半でしたが、 中にはWW2当時ドイツから鹵獲した本物のKar98すらあったということです。
ロブ・クロット氏はM48の命中精度を激賞しています。
短機関銃としてはトンプソン、PPSh-41、MP40、ユーゴ国産のM49、M57。
機関銃としてはM2HB重機関銃、M1919、ZB26、MG42やそのユーゴ版のM53シャラツが一般的でした。
ダブルバレルやポンプアクションのショットガン、ハンティングライフルといった多様な猟銃が投入されました。
市街戦では消音銃も使われています。
これらについても詳細はARBiHの項目をご参照下さい。
言うまでもないことですが、短機関銃や散弾銃はあくまで限定した都市戦闘に用いられるのでなければせいぜいが護身用火器といった扱いでした。
半自動小銃M59/66と同様にこれらの二線級兵器は射撃の下手な予備役の老人達に回されがちだったという証言もあります。
高部正樹氏もロブ・クロット氏もこうした小火器については射程の不足から評価に値しないものと捉えていたようです。
後者はVz61やソウドオフショットガンの部類を、飲み屋で粋がった憲兵が振り回す定番の危ないおもちゃだったとしています。
同じくただのお飾り・お守り・物騒な喧嘩の道具として語られているのが拳銃です。
ユーゴ製M57をはじめとする各国製トカレフ、チェコスロバキア製Cz52、Cz50、スペイン製スター9mmなど・・・ロブ・クロット氏は入手出来る中では最良の拳銃としてCz75を褒め称えています。
画像のように各種の回転式拳銃もありました。
ロブに言わせれば「ここの男たちは本当にピストルとナイフがすきだ」。
実用面はともかくとして、文化的な要素もあったようです。
外国製小火器は主にスロヴェニアを経由して輸入されていました(※画像は十日戦争時のスロヴェニア)。
自動小銃としてはH&K G3、FAL、軽機関銃ではRPD、RPKなど・・・、
わけてもアルゼンチン製FALは命中精度がよいと評判で、米国人傭兵ロブ・クロットはユーゴでの活動中常に機会があれば入手したいと願っていたものの、一度FALを手にしたクロアチア兵は絶対に手放さないためついに叶わなかったと語っています。
少数ではありますがM16A2やUZI、ウルティマックス軽機関銃やSAR80自動小銃といったシンガポール製銃器、そしてヴェクターR4もよく知られている例です。
SAR-80は、射撃性能は優秀だが地面に落としただけでもストックが壊れるほど脆いと不評だったようです。
対戦車火器としてはスロヴェニアから提供された人民軍の各種兵器に加え、外国製RPG-7やアームブラスト・・・RPG-22も戦場写真によく登場します。
ロブ・クロットはボスニアでAK74を鹵獲した際「これこそロシアのスペツナズが関与している証拠だ」と感動したそうですが、ではクロアチアのソ連製火器はどうなのか?と考えると疑問符のつくコメントではあります。
まあ実際ロシア人義勇兵は沢山いた訳ですが。
参考文献
並木書房刊 高部正樹著 「戦争志願 アフガン・カレン・ボスニア最前線」
原書房刊 ロブ・クロット著「傭兵 狼たちの戦場」
ほか
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
2015年12月11日
クロアチア軍装基本のキ!(二)個人装備
(二)個人装備
個人装備もまた軍服と同様さまざまな種類が使われていました。
1992年頃まではユーゴ製の各種装備が最も一般的でしたが、米国や東西ドイツ製サープラス品も普及していました。
ローカルメイドのアサルトベストが登場し始めたのはモスタル包囲戦(92年4月~93年12月)の頃からです(※画像は95年のもの)。
優秀なV-1コピーのアサルトベストが一般に普及する94年頃までは、自動小銃の弾倉を持ち運べるようポケットを拡張した中綿ベストが使われていました。
中国製の五六式弾帯も時折戦場写真に登場します。
一般に内戦初期の軍装を再現するのであればベルトにポーチといったクラシックなスタイルを選ぶのが無難と言えるでしょう。
サスペンダーは邪魔とばかりに省略されることが多かったようです。
ヘルメットはユーゴ製M59/85、東ドイツM56、フランス製M1951ヘルメットなどのモデルがありました。
最も一般的だったのは米国製M1及びM2ヘルメットであったとされています。
WW2~ヴェトナム戦争と様々な年代の個体が使用されていましたが、ヘルメットカバーもミッチェルパターンからオリーブドラブにウッドランドと多彩でした。
ボディアーマーはユーゴ製やアメリカ製が主体だったようです。
背嚢については旧ユーゴスラビア人民軍のものに加え、迷彩柄のコピー品、その他外国製品が混用されているのが各種資料で見て取れます。
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
個人装備もまた軍服と同様さまざまな種類が使われていました。
1992年頃まではユーゴ製の各種装備が最も一般的でしたが、米国や東西ドイツ製サープラス品も普及していました。
ローカルメイドのアサルトベストが登場し始めたのはモスタル包囲戦(92年4月~93年12月)の頃からです(※画像は95年のもの)。
優秀なV-1コピーのアサルトベストが一般に普及する94年頃までは、自動小銃の弾倉を持ち運べるようポケットを拡張した中綿ベストが使われていました。
中国製の五六式弾帯も時折戦場写真に登場します。
一般に内戦初期の軍装を再現するのであればベルトにポーチといったクラシックなスタイルを選ぶのが無難と言えるでしょう。
サスペンダーは邪魔とばかりに省略されることが多かったようです。
ヘルメットはユーゴ製M59/85、東ドイツM56、フランス製M1951ヘルメットなどのモデルがありました。
最も一般的だったのは米国製M1及びM2ヘルメットであったとされています。
WW2~ヴェトナム戦争と様々な年代の個体が使用されていましたが、ヘルメットカバーもミッチェルパターンからオリーブドラブにウッドランドと多彩でした。
ボディアーマーはユーゴ製やアメリカ製が主体だったようです。
背嚢については旧ユーゴスラビア人民軍のものに加え、迷彩柄のコピー品、その他外国製品が混用されているのが各種資料で見て取れます。
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
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2015年12月11日
クロアチア軍装基本のキ!(一)戦闘服
■前文
地球上にかつて数多巻き起こった内戦のご多分に漏れず、ユーゴスラヴィア崩壊後の破壊的な局面にあっては正確には把握できないほど多様な軍服と個人装備が混用されました。
僅か20数年前の出来事であるにも関わらず、ユーゴ紛争における英語ベースの軍装知識は常に不完全なものにとどまり、戦場を写した記録映像も不鮮明で、世界中の軍装マニアの大半は一体何が何であるのか明確に知ることのできないまま今日に至ります。
ユーゴスラヴィアにおける軍服・個人装備は西側とも東側とも異なる特徴を持ち、或いはどちらの特徴をも兼ね備えた独特のものです。
この章に於いては、クロアチア国民防衛隊(ZNG RH)~クロアチア軍(OSRHまたはHV)、クロアチア防衛評議会(HVO)及びクロアチア防衛軍(HOS)などクロアチア系軍事組織の将兵が広く使用していた軍服と装備の代表例を紹介し、彼らがそうした軍装品をどのように組み合わせて着装していたのかについて読者の皆さんにわかりやすく説明していきたいと思います。
なお当ブログは様々な民族と政治の対立が巻き起こした地域紛争を言及の対象とはしていますが、政治的な動機には基づかず、あくまで純粋にユーゴスラヴィア内戦の軍装についての学習を目的とします。
*******************
ふだん当ブログをお読みになっている方でしたら耳にタコができるような話とは思いますが、念のため。
ユーゴスラヴィア紛争における軍装を理解するためには、内戦につきものの極めて混沌とした状況について頭に入れておく必要があります。
敵同士がお互いにそっくりの軍服を身にまとい、一方で同じ友軍同士、同じ旅団や民兵部隊内部でも不揃いな格好をするということが当たり前に存在したわけです。
同様に、どの交戦勢力においても外国製の兵器・個人装備・軍服が決して珍しいものではありませんでした。
殆どの場合軍服規定が意味を成さない紛争にあっては、実際の戦場写真や記録映像を観察する以外に学習の手立てはありません。
これから書く内容は以前投稿したARBIHに関する項目と多くの部分が重複しています。
90年代内戦中、ときに手を組み時に相争う仲にあったボスニアとクロアチアの関係に思いを馳せて頂けたら幸いです。
********************
さて前置きはこのへんで。
■目次
前文
1. クロアチア人勢力の軍服
2. クロアチア人勢力の個人装備
3.クロアチア人勢力の個人携行火器
-----------------------------------------
1.クロアチア人勢力の軍服
クロアチア系の各武装勢力において最も普及していた野戦服は、ウッドランド迷彩戦闘服です。
内戦中のクロアチア及びヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国では数限りない縫製工場・職人・個人が密輸された米軍用あるいは民生品のウッドランド戦闘服を参考に、様々な裁断の迷彩戦闘服を製造していました。
・M65型ハーフコート・・・基本は冬季戦闘服の外被にあたりますが、個癖によりライナーを取り外した上でジャケットとして使用する場合もあります。
・MA-1型ジャケット・・・冬季戦闘服上衣。旧人民軍で言うジャケットに相当します。上にM65を羽織る場合もあります。
・4ポケットBDUジャケット・・・夏季戦闘服上衣。多くは輸入品です。
シャツとして機能する場合が多く、4ポケットでも構わずタックインする場合もありました。
・2ポケットシャツ・・・夏季戦闘服上衣。国内で独自に製造したものを中心に複数種類が確認されています。
・カーゴパンツ・・・夏季/冬季戦闘服下衣。冬は米軍や独軍と同等のキルティングライナーやパッチと併用される場合もありました。
他にも東ドイツのレインドロップカモや英国の旧式DPMカモ、ブルガリア軍スプリンターカモ、そしてオーストリアのピーカモなどの迷彩服が確認されています。米国人傭兵ロブ・クロットは自著のなかで、英国人傭兵は特に好んでDPMを身に着けていたと書いています。
内戦初期、まだクロアチアとボスニアにおける迷彩服製造が本格化する以前には、西ドイツや米国製の単色戦闘服も広く着用されていました。
雪中戦闘には冬季迷彩が必要です。
主にユーゴ国産のMOZ M69/M75迷彩戦闘服や西ドイツ製のシュネーターン迷彩服の使用が確認されています。
戦闘帽も実に雑多なものでした。
米国製のウッドランド迷彩戦闘帽やそのレプリカには八角帽と丸帽のどちらも存在します。
民兵の中にはクロアチアの伝統的な帽子を被る者もありました。
他の交戦勢力と同様ニット帽やバンダナなども好まれていました。
軍靴も民生品や外国製のミリタリーブーツまでなんでも使われていました。
詳細については当ブログ「ザスタヴァ通信」ARBiHの項目をご参照下さい。
高部正樹氏等複数の関係者によりハイキングブーツなど民生品の使用が報告されています。
ロブ・クロットは自身が訓練を担当していたとあるHVの歩兵部隊について「より偵察任務に向いた灰色のハイカットスニーカーが支給されていたが、軍隊らしくないという理由で上官から使用を禁じられ、兵は皆ユーゴ軍の旧式バックルブーツを履かされ足を血だらけにしていた」というエピソードを紹介しています。
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
地球上にかつて数多巻き起こった内戦のご多分に漏れず、ユーゴスラヴィア崩壊後の破壊的な局面にあっては正確には把握できないほど多様な軍服と個人装備が混用されました。
僅か20数年前の出来事であるにも関わらず、ユーゴ紛争における英語ベースの軍装知識は常に不完全なものにとどまり、戦場を写した記録映像も不鮮明で、世界中の軍装マニアの大半は一体何が何であるのか明確に知ることのできないまま今日に至ります。
ユーゴスラヴィアにおける軍服・個人装備は西側とも東側とも異なる特徴を持ち、或いはどちらの特徴をも兼ね備えた独特のものです。
この章に於いては、クロアチア国民防衛隊(ZNG RH)~クロアチア軍(OSRHまたはHV)、クロアチア防衛評議会(HVO)及びクロアチア防衛軍(HOS)などクロアチア系軍事組織の将兵が広く使用していた軍服と装備の代表例を紹介し、彼らがそうした軍装品をどのように組み合わせて着装していたのかについて読者の皆さんにわかりやすく説明していきたいと思います。
なお当ブログは様々な民族と政治の対立が巻き起こした地域紛争を言及の対象とはしていますが、政治的な動機には基づかず、あくまで純粋にユーゴスラヴィア内戦の軍装についての学習を目的とします。
*******************
ふだん当ブログをお読みになっている方でしたら耳にタコができるような話とは思いますが、念のため。
ユーゴスラヴィア紛争における軍装を理解するためには、内戦につきものの極めて混沌とした状況について頭に入れておく必要があります。
敵同士がお互いにそっくりの軍服を身にまとい、一方で同じ友軍同士、同じ旅団や民兵部隊内部でも不揃いな格好をするということが当たり前に存在したわけです。
同様に、どの交戦勢力においても外国製の兵器・個人装備・軍服が決して珍しいものではありませんでした。
殆どの場合軍服規定が意味を成さない紛争にあっては、実際の戦場写真や記録映像を観察する以外に学習の手立てはありません。
これから書く内容は以前投稿したARBIHに関する項目と多くの部分が重複しています。
90年代内戦中、ときに手を組み時に相争う仲にあったボスニアとクロアチアの関係に思いを馳せて頂けたら幸いです。
********************
さて前置きはこのへんで。
■目次
前文
1. クロアチア人勢力の軍服
2. クロアチア人勢力の個人装備
3.クロアチア人勢力の個人携行火器
-----------------------------------------
1.クロアチア人勢力の軍服
クロアチア系の各武装勢力において最も普及していた野戦服は、ウッドランド迷彩戦闘服です。
内戦中のクロアチア及びヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国では数限りない縫製工場・職人・個人が密輸された米軍用あるいは民生品のウッドランド戦闘服を参考に、様々な裁断の迷彩戦闘服を製造していました。
・M65型ハーフコート・・・基本は冬季戦闘服の外被にあたりますが、個癖によりライナーを取り外した上でジャケットとして使用する場合もあります。
・MA-1型ジャケット・・・冬季戦闘服上衣。旧人民軍で言うジャケットに相当します。上にM65を羽織る場合もあります。
・4ポケットBDUジャケット・・・夏季戦闘服上衣。多くは輸入品です。
シャツとして機能する場合が多く、4ポケットでも構わずタックインする場合もありました。
・2ポケットシャツ・・・夏季戦闘服上衣。国内で独自に製造したものを中心に複数種類が確認されています。
・カーゴパンツ・・・夏季/冬季戦闘服下衣。冬は米軍や独軍と同等のキルティングライナーやパッチと併用される場合もありました。
他にも東ドイツのレインドロップカモや英国の旧式DPMカモ、ブルガリア軍スプリンターカモ、そしてオーストリアのピーカモなどの迷彩服が確認されています。米国人傭兵ロブ・クロットは自著のなかで、英国人傭兵は特に好んでDPMを身に着けていたと書いています。
内戦初期、まだクロアチアとボスニアにおける迷彩服製造が本格化する以前には、西ドイツや米国製の単色戦闘服も広く着用されていました。
雪中戦闘には冬季迷彩が必要です。
主にユーゴ国産のMOZ M69/M75迷彩戦闘服や西ドイツ製のシュネーターン迷彩服の使用が確認されています。
戦闘帽も実に雑多なものでした。
米国製のウッドランド迷彩戦闘帽やそのレプリカには八角帽と丸帽のどちらも存在します。
民兵の中にはクロアチアの伝統的な帽子を被る者もありました。
他の交戦勢力と同様ニット帽やバンダナなども好まれていました。
軍靴も民生品や外国製のミリタリーブーツまでなんでも使われていました。
詳細については当ブログ「ザスタヴァ通信」ARBiHの項目をご参照下さい。
高部正樹氏等複数の関係者によりハイキングブーツなど民生品の使用が報告されています。
ロブ・クロットは自身が訓練を担当していたとあるHVの歩兵部隊について「より偵察任務に向いた灰色のハイカットスニーカーが支給されていたが、軍隊らしくないという理由で上官から使用を禁じられ、兵は皆ユーゴ軍の旧式バックルブーツを履かされ足を血だらけにしていた」というエピソードを紹介しています。
Special thanks to Balkan Wars Living History Group
セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補
■ちなみに
今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
2015年12月09日
第一回ボスニア199X
ボスニア199Xおつかれさまでした。
ゲームの様子については楽天ブログの方に投稿しましたので、こちらをご参照下さい。
http://plaza.rakuten.co.jp/kalashnikov/diary/201512080000/
当日のセルビやんは・・・セルビやんなので、当然セルビア人勢力(VRS)のチェトニクとして参戦しました。
装備リストです。
93年頃のVRS歩兵、小銃手
・M59/85スチールヘルメット+VRSヘルメットデカール
・セルビアリザードカモジャケット+パンツ
・M89カモTシャツ
・SMBトランクス
・M77バックルブーツ
・M75コンバットバックパック+MOL M75テントシート
・レザーウェビング
・KSC トカレフTT-33
・LCT 電動M70
・ゾ―リャM80対戦車ロケットランチャー(実物無稼動)
ちなみにヒゲは一週間ほど伸ばしました。
このご面相で< ミールノ!(気をつけ!) > なんて分隊長面で号令飛ばしてたんですからお恥ずかしい話です。
あ、画像は<ヴォーリ ノ!(やすめ)>の姿勢です念のため。
ユーゴ内戦でも珍奇な髪型・髭面の民兵は大勢いましたが、殆どの軍人はきれいに鬚を剃りあげていました。
ましてや一定以上の階級・役職にある者は滅多な格好はしませんでした。
これも念のため。
もっとも、一般に髪型に関しては我々が考えるよりずっと長い毛足が許容されていましたので、ぜひ写真や動画等で確かめてみてください。
ゲームの様子については楽天ブログの方に投稿しましたので、こちらをご参照下さい。
http://plaza.rakuten.co.jp/kalashnikov/diary/201512080000/
当日のセルビやんは・・・セルビやんなので、当然セルビア人勢力(VRS)のチェトニクとして参戦しました。
装備リストです。
93年頃のVRS歩兵、小銃手
・M59/85スチールヘルメット+VRSヘルメットデカール
・セルビアリザードカモジャケット+パンツ
・M89カモTシャツ
・SMBトランクス
・M77バックルブーツ
・M75コンバットバックパック+MOL M75テントシート
・レザーウェビング
・KSC トカレフTT-33
・LCT 電動M70
・ゾ―リャM80対戦車ロケットランチャー(実物無稼動)
ちなみにヒゲは一週間ほど伸ばしました。
このご面相で< ミールノ!(気をつけ!) > なんて分隊長面で号令飛ばしてたんですからお恥ずかしい話です。
あ、画像は<ヴォーリ ノ!(やすめ)>の姿勢です念のため。
ユーゴ内戦でも珍奇な髪型・髭面の民兵は大勢いましたが、殆どの軍人はきれいに鬚を剃りあげていました。
ましてや一定以上の階級・役職にある者は滅多な格好はしませんでした。
これも念のため。
もっとも、一般に髪型に関しては我々が考えるよりずっと長い毛足が許容されていましたので、ぜひ写真や動画等で確かめてみてください。
2015年10月17日
スルプスカ共和国軍部隊名一覧(二)VRS総参謀本部
■スルプスカ共和国軍参謀本部
■成立
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦勃発直後の1992年5月12日、ラトコ・ムラディッチの指導の下スルプスカ領土防衛軍が創設された。
僅か数日後の同月20日にはユーゴスラヴィア人民軍がボスニア・ヘルツェゴヴィナからの撤退を完了。
戦火は既にボスニア・ヘルツェゴヴィナ各地に広がり、戦闘地域では無法な民兵集団が跳梁跋扈しており、これらの雑多な武装集団を統一した軍事指揮系統の下に置くことは極めて困難な状況となっていた。
領土防衛軍総参謀本部はクロアチア戦線から撤退した旧人民軍第2軍管区クニン第9軍団の将兵を基幹人員として、ほぼ軍事経験皆無または不十分なセルビア人一般市民を動員し、新たに旅団を編成した。
■スルプスカ共和国軍総参謀本部部局一覧
スルプスカ共和国軍総参謀本部の長、軍最高司令官はラトコ・ムラディッチ将軍であった。
司令本部は5つの独立した局と1つの課で構成されていた。
(※画像はマノイロ・ミロヴァノヴィチ少将)
作戦訓練本部-マノイロ・ミロヴァノヴィチ少将 (参謀本部副司令官兼任)
動員人事管理局-ミーチョ・グルーボル大佐
倫理宗教法務局-ミラン・グヴェーロ少将
情報保安局-ズドラヴコ・トーリミル大佐
空軍防空局-ヨヴォ・マーリチ大佐
開発財務課-ステヴァン・トミッチ大佐
後方業務局-ジョルジェ・ジューキッチ少将
■スルプスカ共和国軍総司令部隷下部隊一覧
ライコ・バラチ訓練センター
情報-広報活動センター
第65自動車化歩兵連隊
第67通信連隊
第40工兵連隊
VRS総司令部第1親衛自動車化歩兵旅団
第89ロケット砲兵旅団
第1スルプスカ混成旅団(臨時編成)
第2スルプスカ混成旅団(臨時編成)
第3スルプスカ混成旅団(臨時編成)
第14スルプスカ旅団(臨時編成)
第10破壊工作支隊
第10情報センター
第14兵站基地
第27兵站基地
第30兵站基地
第35兵站基地
第63自動車大隊
スルプスカ共和国軍総司令部軍病院
スルプスカ共和国軍医療センター
オラオ航空学校
コスモス兵器修理工場
ヴルバース後方勤務兵舎
■成立
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦勃発直後の1992年5月12日、ラトコ・ムラディッチの指導の下スルプスカ領土防衛軍が創設された。
僅か数日後の同月20日にはユーゴスラヴィア人民軍がボスニア・ヘルツェゴヴィナからの撤退を完了。
戦火は既にボスニア・ヘルツェゴヴィナ各地に広がり、戦闘地域では無法な民兵集団が跳梁跋扈しており、これらの雑多な武装集団を統一した軍事指揮系統の下に置くことは極めて困難な状況となっていた。
領土防衛軍総参謀本部はクロアチア戦線から撤退した旧人民軍第2軍管区クニン第9軍団の将兵を基幹人員として、ほぼ軍事経験皆無または不十分なセルビア人一般市民を動員し、新たに旅団を編成した。
■スルプスカ共和国軍総参謀本部部局一覧
スルプスカ共和国軍総参謀本部の長、軍最高司令官はラトコ・ムラディッチ将軍であった。
司令本部は5つの独立した局と1つの課で構成されていた。
(※画像はマノイロ・ミロヴァノヴィチ少将)
作戦訓練本部-マノイロ・ミロヴァノヴィチ少将 (参謀本部副司令官兼任)
動員人事管理局-ミーチョ・グルーボル大佐
倫理宗教法務局-ミラン・グヴェーロ少将
情報保安局-ズドラヴコ・トーリミル大佐
空軍防空局-ヨヴォ・マーリチ大佐
開発財務課-ステヴァン・トミッチ大佐
後方業務局-ジョルジェ・ジューキッチ少将
■スルプスカ共和国軍総司令部隷下部隊一覧
ライコ・バラチ訓練センター
情報-広報活動センター
第65自動車化歩兵連隊
第67通信連隊
第40工兵連隊
VRS総司令部第1親衛自動車化歩兵旅団
第89ロケット砲兵旅団
第1スルプスカ混成旅団(臨時編成)
第2スルプスカ混成旅団(臨時編成)
第3スルプスカ混成旅団(臨時編成)
第14スルプスカ旅団(臨時編成)
第10破壊工作支隊
第10情報センター
第14兵站基地
第27兵站基地
第30兵站基地
第35兵站基地
第63自動車大隊
スルプスカ共和国軍総司令部軍病院
スルプスカ共和国軍医療センター
オラオ航空学校
コスモス兵器修理工場
ヴルバース後方勤務兵舎
2015年09月19日
私家版・ユーゴスラビア地上軍歩兵装備図説(一)再販のおしらせ
告知です。
9/21(月)第78回ビクトリーショー並びに9/26(土)ミリGEN祭に以前小部数発行しました「私家版・ユーゴスラビア地上軍歩兵装備図説(一)」を20部ほど増刷してお持ちします。
わずか十数ページの拙いコピー本ですが、ユーゴスラビア人民軍の教本に基づき歩兵装備の物品リスト及びパッキングの要領を解説してあります。
このブログをご覧のコレクター様なら前者の「何を集めればよいか」については既にご存知の方も多いと思われますが、後者についてはまだという方もおられるのではないでしょうか。
ミリGEN祭には、間に合えば長らく出す出す詐欺になっている第(二)巻もお持ちする予定です。
こちらでは(一)巻よりも軍装やサバイバルゲームにすぐ役立つ情報を掲載したいと考えております。
第(一)巻は一部300円、第(二)巻は1部500円です。
宜しくお願い致します。
Posted by セルビやん at
23:37
│Comments(0)