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Posted by ミリタリーブログ at

2017年03月25日

ユーゴスラビア人民軍内務細則(1)君の名は

Yahoo!知恵袋 - 旧日本軍の上官の呼び方について
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1273286422

はあはあ、ナルホド。

■ということで本日はユーゴスラビア人民軍において軍人がとるべきと定められた数々のマナーの中から基本中の基本、お互いの呼び方についてかんたんなメモを記して参りたいと思います。

サバゲ畑(私もですが)の方には少々退屈かもしれませんが、これがわかるとボスニア199Xもぐっと幅のあるロールプレイを楽しめるようになってきます。
暫くの間お付き合いください。

**************************************

「諸君らはいま同志ヨシップ・ブロズ・ティトーに献花を行うため墓所にいるとしよう。ご存知だろうか、軍人はたとえ何の用事でそこにいようが、基本的に市民からは歓迎されないものなのだ・・・」


jiji
こんな書き出しで始まる人民軍歩兵科向け野戦教本(1990年度版)の内務細則。

「パレードのためだろうが、車両移動中だろうが、補給のために立ち寄ったのであろうが、保養のために束の間の休暇を満喫している間であろうがetc,etc.」だいたい兵隊というものは「市民から見れば日常生活を脅かすもの」だとはっきり書いてあります。

baba

国民の大半が兵役を経験する旧ユーゴスラビアのような国であっても、ひとたび軍人となって制服に袖を通した者はそれをかさに着て尊大に振る舞うことがあります。
たまにツイッターで炎上する現職とか元の人みたいなカンジでしょうか。
おそらく実態としてはもう少し可愛げがないものであったろうと思いますが。

かつての古き良き「豊かなユーゴスラビア」の時代を経て1970年代から1990年代にはティトーの死と75年憲法の制定、経済や政治の混乱により大規模な暴動が頻発するようになっていました。


内戦前夜の1990年、執筆者の論旨はおそらくそれを読む新兵たちにも自然と納得のいくものだったのではないでしょうか。

oppai
「諸君らが街や村で剃髪や買い物(略)何をしているときでも、ただ歩いていてすら通りの窓から、道の向かい側から市民らは諸君らの一挙手一投足を常に注視している。したがって我々は常に油断せず礼儀正しく振る舞い、これにより彼等を『社会主義化』しなければならない」

さて、そのように振る舞うにはどうすべきだと書かれているでしょうか。


■まずお互いの呼び方。

friends
<隊友に対して>

階級が同格または下級の軍人に対しては「ティ(きみ、おまえ、貴様)」を用いてよい。

上官、上司、古兵など上位者に対しては「ヴィ(あなた)」を用いなくてはならない。

おそらくともに兵舎を同じくする班員に限られる話と思われます。

隊外の軍人に対しては「同志(ドゥルージェ)」と呼びかけるべきであると定められています。
複数形は「同志たち(ドゥルガリツェ)」です。

「同志」はとても便利なことばです。
相手が下位・上位・階級不明者、民間人、誰であっても使えます。

自衛隊式の「ハンチョー」とくらべても汎用性がジャパリパ●ク並の広大さを誇る敬称ですね!
以下はその応用となります。

<士官/下士官に対して>

「同志マルコ・マクシモヴィッチ(姓名)」・・・・・かならず姓名を揃えて呼びます。

「同志少佐(階級名)」・・・・・・日本語の「~殿」のような敬称は特にありません。
姓名と併用可能です。

<兵卒に対して>

「同志コスチティッチ(姓)」 ・・・・・言うなれば呼び捨てですね。

「同志ダルコ(名)」・・・・・よりフランクです。

「同志兵士(階級名)」・・・・・ドゥルージェ・ヴォイニチェ。いちばんカンタンですね。


megane

<上官に出頭する>

上官の求めに応じて出頭する際は以下のように申請します。

「同志大尉、兵卒スティッペ・ユリッチ!(=です、出頭しました)」・・・・・同志+階級名(=呼びかけ)+自分の官姓名

「同志少佐、伍長ペタル・マクシモヴィッチ、第1分隊長!」・・・・・相手への呼びかけ + 自分の階級・姓名・職名


軍隊には領土防衛隊内務省などの政府関係機関、民間業者などさまざまな関係者が出入りしますので、人民軍軍装の再現者は上記の原則を適宜応用して失礼のないようにしましょう。

なおなんらかの理由により降格、懲戒処分を受けたのち原隊に復帰、または軍刑務所での刑期、軍病院での長期入院等を終えて戻ってきた上司や上官、また軍籍を剥奪され既に民間人となったものに会ったときも、以前と同様失礼のないよう接するように・・・などとも書かれています。
誰でもよけいな厄介事はごめんですものね。

<ちなみに>
少なくともスルプスカ共和国軍やクライナ・セルビア人軍では(しばしばジョークの種にもなりますが)人民軍式の規則を継承していました。
母体が同じなのだから当たり前といえば当たり前ですね。

これはボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍でも元人民軍の将軍が率いる軍団では建軍後暫くの間は遵守されたようですが、ある元サラエヴォ警察署特殊部隊員の証言によると「誰がいつ始めたのか定かではないが」自然とお互いに友達か仕事仲間のように呼び捨ての口語で話し合うようになり、人民軍式の礼儀作法は守られないようになっていった・・・まるで羽根が生えたかのような自由を感じた、といいます。

クロアチア等ではどうだったのでしょうか?
ロブ・クロット「傭兵 狼たちの戦場」を読むと、外国人傭兵が率いた部隊でも指揮官によって大変な差があったことがわかります。
おそらく他の旧ユーゴ諸国の武装組織でも部隊によって大きく異なる規則・習慣が守られていた(and破られまくっていた)のではないでしょうか。

本日はここまでです・・・


***********************

明日は浅草の軍装品物販イベント「バラホルカ」に出席いたします。
手持ちのため些少ですが、ユーゴスラビアの品を中心にお持ちする予定です。

クロアチア防衛評議会軍の袖章や、帽章つきのベレー帽もあります。
ぜひご来場下さいませ。  

2017年02月25日

第2回 灰の会

去年の夏、当方主催「第2回 灰の会」および腹黒会様貸し切りゲームにてボスニア199Xの予行ゲームを実施しました。
その中から何枚か写真を抜粋。

arbih

1993年頃、ARBiH第2軍団小銃手をイメージして組んでみた装備です。

・東独VM56スチールヘルメット
・ユーゴ民警用V-K/Pボディーアーマー
・適当な白Tシャツ
・適当なフィンガーレスグローブ
・ユーゴスラビア人民軍MOL(分結夏季迷彩)スーツ下衣
・ユーゴスラビア人民軍M77ブーツ
・LCT 電動ザスタヴァM70

V-K/Pボディアーマーはユーゴ内戦で陣営問わず多用されている装備のひとつで、軍警問わず91年~99年(または01年)まで兎に角極めて多岐にわたる装備再現に活用できるアイテムです。
見つけ次第入手されることをお勧めします。

mol

こちらはワコチョフさん達と撮った80年代ユーゴ地上軍偵察部隊のインプレッションです。

元ネタの写真と並べるとこんなかんじ・・・人数が足らない!(
装備も色々足りていなかったりします。



↑ 御存じの方には無用な補足ですが、MOL(※=分結夏季迷彩服の略称)スーツは砲兵隊管理の兵器という扱いで、下に別途M55(のちM77)単色野戦服の着用が必須となります。


SAVASさん名物BRDM-2とともに。
チトー帽も夏季用です。

jna

鉄帽をかぶるとこんなカンジ。

Gp.Ivica
地図で遊んでみたりとか

jna2
集合写真。
他にも沢山のユーゴ軍装趣味者さまにお越し頂きました。
楽しかった!

<追録>第二回灰の会終了直後Twitterに投稿された関連ツイートの一部を御紹介します。
参加者の皆様、ありがとうございました。


本日、第二回灰の会に参加された皆様大変お疲れ様でした。
生憎の雨ではございましたが、とても楽しいゲームができました。
誠にありがとうございました。
ちなみに本日私はユーゴスラビア海軍歩兵装備やなんちゃってARBiH装備をしました。 pic.twitter.com/z5nd4Gc6NV
— Ивица Косовић (@PiperH40826) 2016年8月20日




土曜の第二回 灰の会、待ち伏せを食って散開するボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国軍部隊。

思いっきり撮影失敗してますけどw

定例終了後、ヤネックスさんの御厚意でフィールドを撮影に使わせて頂きました。 pic.twitter.com/eUmhQAPpe6
— レッドアフガン@冷サバ (@narod47) 2016年8月22日




灰の会&SAVAS貸切お疲れ様でした!
ユーゴ漬けの濃い2日間で非常に有意義でした。
ボスニア199Xがいまから楽しみですねぇ… pic.twitter.com/ilAwdQq70q
— サカ熊 (@VCU64chun) 2016年8月21日  

Posted by セルビやん at 23:53Comments(0)サバゲ

2016年08月26日

第1回 灰の会

年に一度開催される「ボスニア199X」。
参加予定者、希望者で集まって予行を行う機会を増やしたいと考えて「灰の会」という企画をでっち上げてみました。
単にユーゴ軍装者で集まってサバイバルゲームの定例会に参加しようというだけの集まりなのですが。

wggg

■灰の会 第1話「ヴコヴァルに手紙は届かない」

無駄な中二病を発症して思いつきで丸パクリの副題までつけた割には、梅雨ということもあり自分も含めて参加者が2人しか集まらなかった第一回。
しかし今になって写真を見返してみると、撮影地に「ワンダーフォーゲル」を選んだ事自体は正解だったと思っています。

wg

■副題のとおり、ヴコヴァル包囲戦時のユーゴスラビア人民軍M70射手を想定した扮装を試みてみました。
CGで顔をいじりすぎて鼻がモズグズ様みたいになってますね。

セイフティで撮影したところ電子レンジやポット、ポスターが写り込んでしまったので、加工で消しました。
代わりに足した壁面の血文字は、当時の大セルビア主義者が用いたスローガン「セルビアを東京へ拡大せよ」です。
CGですよ、念のため。
サバゲフィールドの施設にラクガキなんて、そんなDQN行為できません。

【装備リスト】
M85スチールヘルメット
M55ウールコート
M75フィールドシャツ
M77フィールドトラウザーズ
M77バックルブーツ

LCT 電動M70

wgg

■正規兵だけでなく、領土防衛軍の民兵コスも試してみました。

といっても、コートの下に着る野戦服を旧式のM55ウール服に、被り物を鉄帽からシャイカチャ帽に替えただけですが。
正規兵コスのときは顔にうっすらと生えた無精髭をブラシで消しましたが、民兵コスでは逆に強調して髭面にしました。

こんな風にコスプレ撮影会に興じたのはほんの一瞬で、当日は定例会にごく普通に参加して、ごく普通に雨でずぶ濡れになり、ごく普通に楽しみました。
打ちっぱなしのコンクリート壁が続く廃墟フィールドはSF的とも言える独特の雰囲気があり、おりからの暴風雨も気にせずゲームに没頭できました。

wgggggg

マガジンポーチも使わずウールコートのポケットが唯一の予備マガジン携行手段という格好はサバゲ的にどうなのかと若干心配でしたが、かえってスッキリするので悪くありませんね。
フィールド所在地の標高が高いこともあり、コートを着て走り回っても暑苦しさは全く感じませんでした。

oficirTO

私の気まぐれな思いつきにお付き合い頂いたИвица Косовић氏に改めて感謝を。  

Posted by セルビやん at 14:07Comments(0)サバゲ

2016年05月07日

ユーゴ軍装着装例@バナナマガジン祭り

前回の更新から随分間が空いてしまいました。
今更新年の挨拶を申し述べるのも間が抜けた話ですので、そこは省略します。
さて本題。

今まで何となく思いついた時に受け売りのウンチクのみ並べ立てるという事を繰り返して参りましたが、それだけでは一寸物足りない。
需要とかそういうものはとりあえず置くとして、ミリブロらしく筆者本人のサバイバルゲームやミリタリーイベントでの着装例もご紹介して参りたいと思います。

まずは去る1月、埼玉県のサバゲフィールドOASISで開催されました「バナナマガジン祭り」より。


っていきなり他人の写真です。
自己評価が低い人間はこういう事をするから信用なりません。
M77軍装でお越しの某大統領閣下()に、うろ覚えでユーゴスラビア人民軍の野戦教本にあったM72軽機関銃手の坐射姿勢を再現して貰いました。
まあ、ご覧のとおりお持ちのエアーガンはRPKじゃなくてAK、M70AB2自動小銃なんですが・・・

sugee
そうです!
この日はひいふう・・・・・えっと こんなにもいっぱい沢山の(日本語)LCT製M70AB2電動ガンが集まりました!
よく見て下さい、通常のM70に混じって自作M76半自動狙撃銃M80対戦車ロケットランチャーまであります。
壮観ですねー。
後半は自画自賛です(私物)。
第一回ボスニア199Xから僅か二ヶ月後、またしてもこのような美しい光景を目にしようとは誰が想像出来たでしょうか。

brotherhood
美しいといえばこの方です。
主にTwitter等で内戦中のスルプスカ共和国軍及び内戦以前のユーゴスラヴィア人民軍等について情報発信をしておられるИвица氏ですね。
このブログを御覧になっている皆様であれば、既に御存知の方もおられるのではないでしょうか。
此処では1994年前後、クライナ・セルビア人軍の将校と兵士、という設定で2ショットを頂きました。
ちなみに右のほうでしゃがんでいる醜い生き物が着用しておりますのは英語での俗称「ファイアサラマンダーカモ」というユーゴ内戦特有の迷彩服です。
まあ特有と言っても誰がどう見てもただのソ連製ブタン迷彩なんですが。
この迷彩服には旧ソ連及びロシア純正の供与生地とそのコピーが何種類か存在することが知られていますが、本品の布地は経年による黄ばみ方から判断するにまず間違いなくソ連乃至ロシア製オリジナルであると思われます。

bokudake
集合写真です。
所謂「岩迷彩」、M69書きピース迷彩戦闘服を着ているスナイパーの方がおられますね。
彼もサラマンダー迷彩の保有者です。
このときは不覚にも同じ迷彩服で合わせて写真を撮るのをすっかり忘れていました。
ちなみに此処では私は撮影に回りましたので、写っておりません。
僕だけがいない街(言ってみたかっただけ)。

実際には僕だけどころか当日ユーゴ軍装以外の格好で来た人全員をハブにしているのですが。
軍装者は非情であります。
いやまあ彼らとの集合写真も当然別途撮影はしましたが。


trench

フィールド内の塹壕を利用した撮影です。
ちょっとお互いにくっつきすぎですね。

右奥でタバコを口にする(※もちろん吸うフリだけですよ、念のため)カタヤマッチさんがシブいです。
左手前でカッコつけてるバカは無視しましょう。
それが本人のためです。

kakkee

ボスニア199X主催者というだけあって、カタヤマッチさんは毎回何度も着替えて色々な軍装をアピールするスタイルを得意としています。
粋ですね。
此処でも2、3パターンの七変化(※筆者はさんすうができません)を魅せてくれたカタヤマッチさんですが、筆者は気が利かないバカなので単独写真はこの一枚しか撮影していませんでした。
許せませんね。

青い空と雄々しいポージング、M68ヘルメットカバーの独特なシルエット、暗いグリーン系リザード迷彩の異様なオーラ。
それにしてもステキです。

いかがでしたでしょうか。
いかがも何も、特段このとおり役に立つ装備解説もなしにただ思い出の写真を貼っていくだけという趣向なのですが。

もっと解説的なブログがいい!それならまた読んでやる!

という方もおられるでしょう。
気が向いたらそういうのも書きますハイ。

それではまた。



クニンジャーズ!!  

Posted by セルビやん at 02:59Comments(0)サバゲ

2015年12月11日

クロアチア軍装基本のキ!(三)個人携行火器

3.クロアチア人勢力の個人携行火器

軍服・装具類よりも更に複雑怪奇を極めたのが銃器類です。

ak
7.62X39弾を使用するありとあらゆるAK系自動小銃が投入されました。

death
国産のM70自動小銃、ルーマニア製PM md. 63/65、そして中国製の56式小銃がその代表例です。
M70は「ライフルグレネードの発射機構が弾道に干渉するため命中率が悪い(高部正樹氏、ツイッターでの発言、2015)」、ルーマニア製AKMは「弾倉数個分を続けて撃つとバレるが溶ける傾向にあった(ロブ・クロット「傭兵 狼たちの戦場」)、2011」などそれぞれに悪評があったようです。


M70の他にも様々な小火器が古い兵器庫から持ちだされました。

M24
モーゼル系のボルトアクションライフルでは旧王制時代の制式小銃M24/47、その後継の人民軍戦後最初期制式小銃M48が大半でしたが、 中にはWW2当時ドイツから鹵獲した本物のKar98すらあったということです。
ロブ・クロット氏はM48の命中精度を激賞しています。

PPSh
短機関銃としてはトンプソン、PPSh-41、MP40、ユーゴ国産のM49、M57。

sarac
機関銃としてはM2HB重機関銃、M1919、ZB26、MG42やそのユーゴ版のM53シャラツが一般的でした。

rifles
ダブルバレルやポンプアクションのショットガン、ハンティングライフルといった多様な猟銃が投入されました。
市街戦では消音銃も使われています。

これらについても詳細はARBiHの項目をご参照下さい。
言うまでもないことですが、短機関銃や散弾銃はあくまで限定した都市戦闘に用いられるのでなければせいぜいが護身用火器といった扱いでした。
半自動小銃M59/66と同様にこれらの二線級兵器は射撃の下手な予備役の老人達に回されがちだったという証言もあります。

高部正樹氏もロブ・クロット氏もこうした小火器については射程の不足から評価に値しないものと捉えていたようです。
後者はVz61やソウドオフショットガンの部類を、飲み屋で粋がった憲兵が振り回す定番の危ないおもちゃだったとしています。

pistol
同じくただのお飾り・お守り・物騒な喧嘩の道具として語られているのが拳銃です。
ユーゴ製M57をはじめとする各国製トカレフ、チェコスロバキア製Cz52、Cz50、スペイン製スター9mmなど・・・ロブ・クロット氏は入手出来る中では最良の拳銃としてCz75を褒め称えています。
画像のように各種の回転式拳銃もありました。
ロブに言わせれば「ここの男たちは本当にピストルとナイフがすきだ」。
実用面はともかくとして、文化的な要素もあったようです。

SAR
外国製小火器は主にスロヴェニアを経由して輸入されていました(※画像は十日戦争時のスロヴェニア)。

G3
自動小銃としてはH&K G3、FAL、軽機関銃ではRPD、RPKなど・・・、

FAL
わけてもアルゼンチン製FALは命中精度がよいと評判で、米国人傭兵ロブ・クロットはユーゴでの活動中常に機会があれば入手したいと願っていたものの、一度FALを手にしたクロアチア兵は絶対に手放さないためついに叶わなかったと語っています。

SAR80a
少数ではありますがM16A2やUZI、ウルティマックス軽機関銃やSAR80自動小銃といったシンガポール製銃器、そしてヴェクターR4もよく知られている例です。
SAR-80は、射撃性能は優秀だが地面に落としただけでもストックが壊れるほど脆いと不評だったようです。

22
対戦車火器としてはスロヴェニアから提供された人民軍の各種兵器に加え、外国製RPG-7やアームブラスト・・・RPG-22も戦場写真によく登場します。

ロブ・クロットはボスニアでAK74を鹵獲した際「これこそロシアのスペツナズが関与している証拠だ」と感動したそうですが、ではクロアチアのソ連製火器はどうなのか?と考えると疑問符のつくコメントではあります。
まあ実際ロシア人義勇兵は沢山いた訳ですが。


参考文献
並木書房刊 高部正樹著 「戦争志願 アフガン・カレン・ボスニア最前線」
原書房刊 ロブ・クロット著「傭兵 狼たちの戦場」
ほか

Special thanks to Balkan Wars Living History Group

セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補 


■ちなみに

今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。
  

Posted by セルビやん at 23:01Comments(0)クロアチア兵器

2015年12月11日

クロアチア軍装基本のキ!(二)個人装備

(二)個人装備


mixed
個人装備もまた軍服と同様さまざまな種類が使われていました。

belt
1992年頃まではユーゴ製の各種装備が最も一般的でしたが、米国や東西ドイツ製サープラス品も普及していました。

95
ローカルメイドのアサルトベストが登場し始めたのはモスタル包囲戦(92年4月~93年12月)の頃からです(※画像は95年のもの)。


優秀なV-1コピーのアサルトベストが一般に普及する94年頃までは、自動小銃の弾倉を持ち運べるようポケットを拡張した中綿ベストが使われていました。


中国製の五六式弾帯も時折戦場写真に登場します。

91
一般に内戦初期の軍装を再現するのであればベルトにポーチといったクラシックなスタイルを選ぶのが無難と言えるでしょう。

pistol
サスペンダーは邪魔とばかりに省略されることが多かったようです。

germs
ヘルメットはユーゴ製M59/85、東ドイツM56、フランス製M1951ヘルメットなどのモデルがありました。

ped
最も一般的だったのは米国製M1及びM2ヘルメットであったとされています。


WW2~ヴェトナム戦争と様々な年代の個体が使用されていましたが、ヘルメットカバーもミッチェルパターンからオリーブドラブにウッドランドと多彩でした。


ボディアーマーはユーゴ製やアメリカ製が主体だったようです。

pack
背嚢については旧ユーゴスラビア人民軍のものに加え、迷彩柄のコピー品、その他外国製品が混用されているのが各種資料で見て取れます。


Special thanks to Balkan Wars Living History Group

セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補 


■ちなみに

今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。  

Posted by セルビやん at 17:50Comments(0)クロアチア個人装備

2015年12月11日

クロアチア軍装基本のキ!(一)戦闘服

■前文

地球上にかつて数多巻き起こった内戦のご多分に漏れず、ユーゴスラヴィア崩壊後の破壊的な局面にあっては正確には把握できないほど多様な軍服と個人装備が混用されました。

僅か20数年前の出来事であるにも関わらず、ユーゴ紛争における英語ベースの軍装知識は常に不完全なものにとどまり、戦場を写した記録映像も不鮮明で、世界中の軍装マニアの大半は一体何が何であるのか明確に知ることのできないまま今日に至ります。
ユーゴスラヴィアにおける軍服・個人装備は西側とも東側とも異なる特徴を持ち、或いはどちらの特徴をも兼ね備えた独特のものです。

この章に於いては、クロアチア国民防衛隊(ZNG RH)~クロアチア軍(OSRHまたはHV)、クロアチア防衛評議会(HVO)及びクロアチア防衛軍(HOS)などクロアチア系軍事組織の将兵が広く使用していた軍服と装備の代表例を紹介し、彼らがそうした軍装品をどのように組み合わせて着装していたのかについて読者の皆さんにわかりやすく説明していきたいと思います。

なお当ブログは様々な民族と政治の対立が巻き起こした地域紛争を言及の対象とはしていますが、政治的な動機には基づかず、あくまで純粋にユーゴスラヴィア内戦の軍装についての学習を目的とします。

*******************

ふだん当ブログをお読みになっている方でしたら耳にタコができるような話とは思いますが、念のため。
ユーゴスラヴィア紛争における軍装を理解するためには、内戦につきものの極めて混沌とした状況について頭に入れておく必要があります。

敵同士がお互いにそっくりの軍服を身にまとい、一方で同じ友軍同士、同じ旅団や民兵部隊内部でも不揃いな格好をするということが当たり前に存在したわけです。

同様に、どの交戦勢力においても外国製の兵器・個人装備・軍服が決して珍しいものではありませんでした。

殆どの場合軍服規定が意味を成さない紛争にあっては、実際の戦場写真や記録映像を観察する以外に学習の手立てはありません。

これから書く内容は以前投稿したARBIHに関する項目と多くの部分が重複しています。
90年代内戦中、ときに手を組み時に相争う仲にあったボスニアとクロアチアの関係に思いを馳せて頂けたら幸いです。

********************

さて前置きはこのへんで。

■目次

前文

1. クロアチア人勢力の軍服

2. クロアチア人勢力の個人装備

3.クロアチア人勢力の個人携行火器

-----------------------------------------

1.クロアチア人勢力の軍服


クロアチア系の各武装勢力において最も普及していた野戦服は、ウッドランド迷彩戦闘服です。


内戦中のクロアチア及びヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国では数限りない縫製工場・職人・個人が密輸された米軍用あるいは民生品のウッドランド戦闘服を参考に、様々な裁断の迷彩戦闘服を製造していました。


・M65型ハーフコート・・・基本は冬季戦闘服の外被にあたりますが、個癖によりライナーを取り外した上でジャケットとして使用する場合もあります。


・MA-1型ジャケット・・・冬季戦闘服上衣。旧人民軍で言うジャケットに相当します。上にM65を羽織る場合もあります。


・4ポケットBDUジャケット・・・夏季戦闘服上衣。多くは輸入品です。
シャツとして機能する場合が多く、4ポケットでも構わずタックインする場合もありました。


・2ポケットシャツ・・・夏季戦闘服上衣。国内で独自に製造したものを中心に複数種類が確認されています。

trousers
・カーゴパンツ・・・夏季/冬季戦闘服下衣。冬は米軍や独軍と同等のキルティングライナーやパッチと併用される場合もありました。


他にも東ドイツのレインドロップカモや英国の旧式DPMカモ、ブルガリア軍スプリンターカモ、そしてオーストリアのピーカモなどの迷彩服が確認されています。米国人傭兵ロブ・クロットは自著のなかで、英国人傭兵は特に好んでDPMを身に着けていたと書いています。

ODs
内戦初期、まだクロアチアとボスニアにおける迷彩服製造が本格化する以前には、西ドイツや米国製の単色戦闘服も広く着用されていました。

snow
雪中戦闘には冬季迷彩が必要です。
主にユーゴ国産のMOZ M69/M75迷彩戦闘服や西ドイツ製のシュネーターン迷彩服の使用が確認されています。

SAR80
戦闘帽も実に雑多なものでした。

hrvat
米国製のウッドランド迷彩戦闘帽やそのレプリカには八角帽と丸帽のどちらも存在します。
民兵の中にはクロアチアの伝統的な帽子を被る者もありました。

watchcapwitch
他の交戦勢力と同様ニット帽やバンダナなども好まれていました。


jirai
軍靴も民生品や外国製のミリタリーブーツまでなんでも使われていました。
詳細については当ブログ「ザスタヴァ通信」ARBiHの項目をご参照下さい。

commando
高部正樹氏等複数の関係者によりハイキングブーツなど民生品の使用が報告されています。
ロブ・クロットは自身が訓練を担当していたとあるHVの歩兵部隊について「より偵察任務に向いた灰色のハイカットスニーカーが支給されていたが、軍隊らしくないという理由で上官から使用を禁じられ、兵は皆ユーゴ軍の旧式バックルブーツを履かされ足を血だらけにしていた」というエピソードを紹介しています。


Special thanks to Balkan Wars Living History Group

セルビやんこと林鳥巣 編訳・追補 


■ちなみに

今年2015年11月に開催されたヒストリカルゲーム「ボスニア199X」。
2016年に第二回開催を予定しています(日時未定)。
お問い合わせは以下メールアドレスまで。
yugowar199xアットマークgmail.com ※アットマークを@に変えて送信お願いします。
タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。  

Posted by セルビやん at 15:39Comments(0)クロアチア被服

2015年12月09日

第一回ボスニア199X

ボスニア199Xおつかれさまでした。
ゲームの様子については楽天ブログの方に投稿しましたので、こちらをご参照下さい。
http://plaza.rakuten.co.jp/kalashnikov/diary/201512080000/

当日のセルビやんは・・・セルビやんなので、当然セルビア人勢力(VRS)のチェトニクとして参戦しました。

Torisu

装備リストです。
93年頃のVRS歩兵、小銃手

・M59/85スチールヘルメット+VRSヘルメットデカール
・セルビアリザードカモジャケット+パンツ
・M89カモTシャツ
・SMBトランクス
・M77バックルブーツ
・M75コンバットバックパック+MOL M75テントシート
・レザーウェビング
・KSC トカレフTT-33
・LCT 電動M70
・ゾ―リャM80対戦車ロケットランチャー(実物無稼動)

Voljno
ちなみにヒゲは一週間ほど伸ばしました。
このご面相で< ミールノ!(気をつけ!) > なんて分隊長面で号令飛ばしてたんですからお恥ずかしい話です。
あ、画像は<ヴォーリ ノ!(やすめ)>の姿勢です念のため。

ユーゴ内戦でも珍奇な髪型・髭面の民兵は大勢いましたが、殆どの軍人はきれいに鬚を剃りあげていました。
ましてや一定以上の階級・役職にある者は滅多な格好はしませんでした。
これも念のため。

もっとも、一般に髪型に関しては我々が考えるよりずっと長い毛足が許容されていましたので、ぜひ写真や動画等で確かめてみてください。
  

Posted by セルビやん at 01:30Comments(0)サバゲスルプスカ共和国

2015年10月17日

スルプスカ共和国軍部隊名一覧(二)VRS総参謀本部

■スルプスカ共和国軍参謀本部



■成立

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦勃発直後の1992年5月12日、ラトコ・ムラディッチの指導の下スルプスカ領土防衛軍が創設された。

僅か数日後の同月20日にはユーゴスラヴィア人民軍がボスニア・ヘルツェゴヴィナからの撤退を完了。
戦火は既にボスニア・ヘルツェゴヴィナ各地に広がり、戦闘地域では無法な民兵集団が跳梁跋扈しており、これらの雑多な武装集団を統一した軍事指揮系統の下に置くことは極めて困難な状況となっていた。
領土防衛軍総参謀本部はクロアチア戦線から撤退した旧人民軍第2軍管区クニン第9軍団の将兵を基幹人員として、ほぼ軍事経験皆無または不十分なセルビア人一般市民を動員し、新たに旅団を編成した。

■スルプスカ共和国軍総参謀本部部局一覧

スルプスカ共和国軍総参謀本部の長、軍最高司令官はラトコ・ムラディッチ将軍であった。
司令本部は5つの独立した局と1つの課で構成されていた。

ManojloMilovanovic
(※画像はマノイロ・ミロヴァノヴィチ少将)

作戦訓練本部-マノイロ・ミロヴァノヴィチ少将 (参謀本部副司令官兼任)
動員人事管理局-ミーチョ・グルーボル大佐
倫理宗教法務局-ミラン・グヴェーロ少将
情報保安局-ズドラヴコ・トーリミル大佐
空軍防空局-ヨヴォ・マーリチ大佐
開発財務課-ステヴァン・トミッチ大佐
後方業務局-ジョルジェ・ジューキッチ少将


■スルプスカ共和国軍総司令部隷下部隊一覧


ライコ・バラチ訓練センター
情報-広報活動センター
第65自動車化歩兵連隊
第67通信連隊
第40工兵連隊
VRS総司令部第1親衛自動車化歩兵旅団
第89ロケット砲兵旅団
第1スルプスカ混成旅団(臨時編成)
第2スルプスカ混成旅団(臨時編成)
第3スルプスカ混成旅団(臨時編成)
第14スルプスカ旅団(臨時編成)
第10破壊工作支隊
第10情報センター
第14兵站基地
第27兵站基地
第30兵站基地
第35兵站基地
第63自動車大隊
スルプスカ共和国軍総司令部軍病院
スルプスカ共和国軍医療センター
オラオ航空学校
コスモス兵器修理工場
ヴルバース後方勤務兵舎



  

Posted by セルビやん at 14:09Comments(0)スルプスカ共和国

2015年09月19日

私家版・ユーゴスラビア地上軍歩兵装備図説(一)再販のおしらせ

JNAmanual


告知です。

9/21(月)第78回ビクトリーショー並びに9/26(土)ミリGEN祭以前小部数発行しました「私家版・ユーゴスラビア地上軍歩兵装備図説(一)」を20部ほど増刷してお持ちします。

わずか十数ページの拙いコピー本ですが、ユーゴスラビア人民軍の教本に基づき歩兵装備の物品リスト及びパッキングの要領を解説してあります。
このブログをご覧のコレクター様なら前者の「何を集めればよいか」については既にご存知の方も多いと思われますが、後者についてはまだという方もおられるのではないでしょうか。

ミリGEN祭には、間に合えば長らく出す出す詐欺になっている第(二)巻もお持ちする予定です。
こちらでは(一)巻よりも軍装やサバイバルゲームにすぐ役立つ情報を掲載したいと考えております。

第(一)巻は一部300円、第(二)巻は1部500円です。
宜しくお願い致します。

  

Posted by セルビやん at 23:37Comments(0)

2015年07月19日

ストーンピット高崎定例会

群馬県のサバゲフィールド、ストーンピット高崎定例会に行ってきました。


debu

【装備リスト】
PX 「ファントムカ」メッシュマスク ウッドランドカモVer.
ユーゴ連邦軍官給M93カモシャツ
ユーゴ連邦軍PX M93カモTシャツ
ユーゴ連邦軍官給M93カモパンツ
ユーゴ連邦軍官給M77レザーバックルブーツ
ユーゴ連邦軍官給アクリルソックス
ユーゴ連邦軍MD97タクティカルベスト+水筒ポーチ
LCT M70AB2電動ガン

シャツのロールアップが半端すぎて非常にダメですね。
格好悪いです。

ゲームの方は連れが完全にバテた(※私も熱中症で頭痛が・・・)上に空模様も怪しくなったのを受けて途中で帰りましたが、そこそこヒットも取れて楽しめました。実際すっかり帰り支度が済んだ頃にはポツポツと雨粒も落ちてきていましたが、もっとサバゲしたかったな・・・

それにしてもストーンピット、障害物が増えました。
オープン当初とは見違えるようです。
熱中症のへっぴり腰がまぐれ当たりのヒットを取れたのも、きっとフィールド改善のおかげですね。

また遊びに行きたいと思います。



  

2015年06月19日

セルビア軍装基本のキ!追補(二)VRSの軍靴

■追補(二)VRSの軍靴

gottago
ボスニア内戦の全期間を通じて、スルプスカ共和国軍の将兵は様々な軍靴を履いて戦場を駆け抜けました。

sneak
大多数が入手の容易な旧いユーゴスラヴィア人民軍官給品を使い続ける一方で、外国製品や民生品を選ぶ者も少なくなかったようです。


最も広汎に使用されたのは1970年代にJNAへ導入されたダブルバックルブーツです。

日本で入手しやすい代用品としてはフランス軍のダブルバックルブーツか、ミドリ安全などの安全靴を選ぶとよいでしょう。

boots77

バックルベルトのハトメの有無や基本構造・靴底のパターンなど形状の違いを挙げればキリがありませんが、一応は黒い革製の長靴で二本のバックルベルトがついている・・・という最低限の条件は満たしてくれています。

55
より旧型のM55ブーツも極めてよく見られる軍靴のひとつです。

boots
経済的に余裕のある軍人は、競って外国製の軍靴を求めました。

tigrovi
いちばん人気が高かったのは、言うまでもなくアメリカ製のミリタリーブーツです。


他にも殆ど全ての欧州諸国からサープラス品が流入していました。


履きやすく質の高い民生品のレザーブーツ、それにハイキングブーツの類いも好んで選ばれていたようです。

クロアチア側の義勇兵であった邦人の著書にも同様の記述があり、事実HVOやARBiHでも同様の例が写真や動画で確認できます。
足元事情については、ボスニア内戦3勢力全て概ね似通った状況にあったと言えるでしょう。




Balkan Wars Living History Group 著

セルビやんこと林鳥巣 編訳 


■ちなみに

今年2015年11月に開催予定のヒストリカルゲームボスニア199X、参加者募集中です。
お問い合わせ・参加のお申込は以下メールアドレスまで。
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タイトルは「ボスニア199X:参加希望」とお書きください。  

Posted by セルビやん at 03:21Comments(0)スルプスカ共和国個人装備

2015年06月18日

セルビア軍装基本のキ!追補(一)外国人義勇兵の軍装

以前UPしたセルビア軍装基本のキ!ですが、いくつか抜けている箇所がありましたので、これから追加の説明を行ってゆきたいと思います。

■追補(一)外国人義勇兵の軍装

2rdo2

・ロシア人義勇兵

2rdo

ボスニア紛争では、ロシア人を中心とした旧ソ連出身者によるロシア義勇兵団(РДО)が活動していました。
РДОについては以前ミリブロでも簡単に触れましたので、覚えておいでの方もいらっしゃるかと存じます。

rdo

一部にはVSR迷彩、KKO迷彩、時にはKLMK迷彩など、自国から持ち込んだ旧ソ連/ロシア軍の戦闘服を着用する義勇コサックもいました。

dobrovijci

現地調達されたユーゴ/スルプスカ製戦闘服にマブタ戦闘帽やパパーハなどの自国の帽子や小物を組み合わせる例もしばしば確認されています。



彼らの写真集や記録映像を眺めてみると、現在80年代ソ連~90年代ロシア軍装を楽しんでいるマニアの皆さんがあまり費用をかけず、気軽にスルプスカ軍装を楽しむにはうってつけの軍装例がいくつか見つかるはずです。
各自、収集活動の困難さを乗り越える鍵を探してみてください。

3rdo

РДОそのものは1993年後半~1994年初め頃に解散しましたが、その後もボスニアに残留し、個人レベルでスラブ同胞のため戦い続けたコサック達も少なくなかったようです。


・ギリシャ人義勇兵

greek

セルビア同様正教徒が多く、ロシアよりずっと地理的に近いバルカン諸国の一員、ギリシャ。
ギリシャ人義勇兵が1991~1999年に渡ったユーゴ内戦のあらゆる局面で姿を現すのはごく自然な事と言えるでしょう。

heil

ギリシャ正教を信仰する大勢の男達がキリスト教世界の同胞を守るため行動に出ました。
所謂「ギリシャ義勇親衛隊(ГДГ)」です。

gdg

多くのギリシャ義勇親衛隊員は自国のギリシャリザード迷彩を身にまとう一方で、野戦装備類は現地調達したものを混用しました。

gvg

戦場においては粘り強く戦い、現地のセルビア人達ともよく連携し固い団結を誇ったとされています。



ロシア人とは対照的に、ギリシャ人義勇兵は基本的にセルビア人達に混じって任務に当たり、1994年戦争終盤まで独立したギリシャ人部隊を結成することはありませんでした。



Balkan Wars Living History Group 著

セルビやんこと林鳥巣 編訳 


■ちなみに

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2015年06月15日

ボスニア軍装基本のキ!(九)ARBiHの個人携行火器

21.ARBiHの個人携行火器



兵器供給源を外部に依存していたARBiHは、その武装もまた極めて雑多で混乱した体系を持っていました。


敵対勢力とは異なり、主力小銃すら必ずしもユーゴ製M70AB2に統一されているとは言えない状況で、多種多様なAK系統の自動小銃が混用されていました。ルーマニア製が最も普及しており、次いでブルガリア製、ハンガリー製が多く見られます。

cetme
東欧以外の、特にイスラム諸国からもたらされた小火器としてはH&K G3やセトメなどのバトルライフル、RPDやRPKといった各種機関銃が挙げられます。

56
勿論ここでもAK系統の自動小銃は無視できない存在で、特にイランが供給した中国製56式自動小銃はその筆頭と言えましょう。

hqx
他の勢力と同様、M53シャラツ、MG42、MG34、M84、M72といったユーゴ製またはユーゴ国内で予備兵器として備蓄されていた機関銃も多用されました。
少数ながらZB26やDP28軽機関銃の存在も確認されています。

ultima
M16A1/A2、ガリルといった5.56mm自動小銃、ウルティマックス軽機関銃も戦場写真や映像記録には一応登場しますが、余り一般的とは言えません。
実戦でどの程度活躍したのかについては少々疑問符の残るところです。

MP5

ボスニア各地では多くの市街戦が繰り広げられ、ARBiHはその度に夥しい犠牲を強いられました。
あらゆる短機関銃と散弾銃がこの鉄と血の地獄に投入されましたが、主だったものとしてはサラエボの警察署から持ち出されたMP5、二線級兵器であったソ連製PPSh41、米国製トンプソンM1A1、ドイツ製MP40、その他M56やM49といったユーゴ製の短機関銃が挙げられます。
また深刻な武器不足に悩まされていた開戦初期のサラエボでは止むを得ず粗雑な簡易製造SMGで急場を凌いでいたようです。

shot
散弾銃は各種猟銃の他、警察用のモスバーグM500やレミントン870コピーが用いられていました。

sniper
狙撃銃としては22口径を中心に各種の猟銃、またスコープの有無を問わずモーゼル系統の軍用小銃やユーゴ版SKSであるM59/66半自動小銃が、またマークスマンライフルとしてM76半自動狙撃銃がありました。



強大な機甲戦力を持つクロアチア防衛評議会やスルプスカ共和国軍に対抗するため、ARBiHはユーゴ製の豊富な対戦車火器を備えていました。
M57、M79、またM80使い捨てロケットランチャーが都市と郊外を問わず拠点防衛や陣地攻略に活用されています。
諸外国からは9K111のようなソ連製対戦車ミサイル、また少数ながらカール・グスタフ無反動砲も供与されていたようです。


おなじみのRPG-7は主に中国製の69式やイラン製DIO RPG-7コマンドーが多用されました。

grenade
対戦車火器ではないものの、榴弾の投射手段としてはM59/66半自動小銃やM70自動小銃から発射可能なM68ライフルグレネードを中心に南アフリカ製のミルコ―MGLグレネードランチャーなどが実戦に投入されていました。



重機関銃はM2ブローニング、DShK、より旧式のブローニング1919、そしてユーゴ製の各種20mm対空機関砲が対地目標に対して恐るべき制圧火力を誇っていた事は有名です。



爆発物は手榴弾、成形爆薬、対人・対戦車地雷ともにユーゴ製が大半でしたが、中には諸外国のものも含まれていました。
こちらは国連の武器回収プログラム関連資料を当たれば詳しい情報に触れる事が可能です。


b1
長距離火力支援にはやはりユーゴ製を中心に各種60mm迫撃砲、連装ロケットランチャー、榴弾砲、対戦車砲などが用いられていました。

Balkan Wars Living History Group 著

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2015年06月15日

ボスニア軍装基本のキ!(八)ARBiHの個人装備

■17 ARBiHの個人装備



被服と同様、野戦装備もボスニア兵は手に入る物なら何でも構わず利用していました。
こと予備弾薬運搬手段の多様さには、他の2勢力と比べても目を見張るものがあります。

M68
旧ユーゴ、アメリカ製、ヨーロッパ周辺諸国からの輸入品・・・チェストリグは自作することもあれば既成品を購入することもありました。

zatta
ブーツも軍用のみならずスニーカーや軽登山靴、ウエスタンブーツなどの多種多様な民生品が混用されていました。


武器については言うまでもありません。

さて、それでは各項目について簡単に触れてゆきたいと思います。




18.ベストと野戦装備

wl1

中国軍の五六式弾帯からアメリカ軍のフラックベスト、奇妙なかたちをした現地での戦時急造品に至るまで、ARBiHの用いたアサルトベストとチェストリグの多様さは恐るべきものでした。

下記の画像を御覧下さい。

v

此処に見られる何種類ものベストやチェストリグは、ほんの一部の例に過ぎません。

ウェビング類もユーゴ国産・米国製・欧州各国問わず多種多様なサスペンダーキットが使用されていました。
ベストやチェストリグが常に不足しがちだった一方、流石にピストルベルトにまで事欠くような有り様はそうそうなかったようです。



特にユーゴスラヴィア人民軍官給レザーピストルベルトは、全軍共通の最も一般的なアイテムであったと言えます。

19.ヘッドギア

beheaded
ヘルメットも複数種類が使用されていました。

steelpot
米軍M-1ヘルメット、東ドイツM56/76ヘルメット、ユーゴ製M59/85ヘルメットの3種類がその代表例ですが、他にもヨーロッパ各国の多種多様なヘルメット着用例が知られています。

fluffy
旧ユーゴ製のヘルメットは、多くの場合人民軍の赤い星をボスニアの国章に置き換えたり、ヘルメットカバーで覆ってしまったり、あるいは迷彩塗装で塗り潰して敵味方の識別に努めていたようです。

caps
帽子についても、民生品やベレー帽、ウッドランド迷彩のフィールドキャップなど様々な種類が用いられていました。

head1
スウェットバンド、鉢巻も多くの兵士達に好まれました。

rambo
着用する理由としては、ただ単純に「ランボーみたいに見えて格好良いから」という元兵士による複数の証言が確認されています。

head
部隊単位で色や図柄が統一されている場合は、識別章や団結の印としての意味合いが強かったのでしょう。

heads
イスラム教特有の信仰告白の誓句や、政治的なスローガンを書きつけることも一般的に行われていました。


20.ブーツ他靴類



市街戦においては静かで動きやすいランニングシューズやスニーカーが好まれました。
それ以外の戦場ではブーツを履いて戦いに臨んでいたようです。

boots
旧ユーゴ製軍靴、民生品ハイキングブーツ、外国軍の放出品・・・ボスニア軍の戦場写真を眺めていると、時には東ドイツ製のジャックブーツやゴム長にまで出くわすことがあります。

480

そうした靴が何故選ばれたかについて、事細かに考察することには殆どの場合何の意味もありません。
手に入る物を使っていた、ただそれだけのことなのです。


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2015年06月14日

ボスニア軍装基本のキ!(七)JNA各種野戦服

■ユーゴスラヴィア人民軍の遺産

M89

ARBiHでは内務省リザード迷彩以外にも、旧体制下で製作された被服が使用されていました。

M77

しかしM55ウール野戦服やM77コットン野戦服、M87迷彩、M89迷彩をボスニア紛争テーマのヒストリカルゲームで着用する際には、敵味方の識別が可能なように極力コーディネートを工夫する必要があります。



例えばこの部隊は全員がM77野戦服を着用していますが、大きな部隊章を腕や胸に縫い付けていることがわかります。

エポレットにイスラム教で礼拝に用いる数珠「タスビーフ」を提げる、ヘルメットにボスニアの国章や部隊章を大きくペイントする、ウッドランド迷彩などより「ボスニア軍らしい」迷彩の被服とミックスするのも良いでしょう。

16.MOZ冬季迷彩服



そうした旧ユーゴ製の軍服の中で、一風変わった地位を占めているのがMOZ冬季迷彩戦闘服です。



ボスニア内戦における交戦3勢力すべて、そしてクロアチア紛争やコソボ紛争においても雪中戦闘時の偽装目的で多用されていた被服ですが、ARBiHにおいてはやや異なる役割も担っていました。
プロパガンダです。

MOZahideen

民族融和を強調した欧米先進諸国向けの宣伝とは裏腹に、ボシュニャク人のアイデンティティーを強化しイスラム諸国からの支援を取り付けるためボスニア政府はイスラム化政策を推進しました。


第1ムスリム歩兵旅団、第4ムスリム・スラブ旅団、第7ムスリム旅団、第737ムスリム旅団などイスラム教徒だけで構成された(※実際にはそうとも限らなかったようですが)ムスリム部隊を創設するなど「聖戦」イメージを利用していく中で、また「エル・ムジャヒッド」と呼ばれたイスラム諸国からの義勇兵達からの文化的影響を受け、パーカーのフードを鉢巻で留めて「イスラム聖戦士」風に装う軍人達が登場します。



フードつきで白い色、おまけに冬季以外は無用の長物であったMOZ冬季迷彩服は、スカーフを垂らし長衣を身に纏った英雄的なムジャヒディーンの「コスプレ」にはうってつけの手軽な衣装でした。

こうした「ムジャヒディーン」達の雄姿はTV番組などのメディアを通じてしきりに喧伝されていたため、今でも写真や録画映像で容易にその様子を知ることができます。



Balkan Wars Living History Group 著

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2015年06月14日

ボスニア軍装基本のキ!(六)その他諸外国の軍服

■その他諸外国の軍服

米国製ウッドランド迷彩については既に述べました
これからARBiHが使用したその他諸外国の戦闘服について紹介したいと思います。

ARBiHにおいては、非正規の民兵部隊と正規軍であるとを問わず、手に入る被服なら何でも使用されていたのが実情だったと言えます。
これらの非殺傷性軍需物資は、国連の禁輸措置下においても殆ど実効性のある制限を受けずに流入していました。
あまつさえ、一部は中立であるべき国連防護軍の現地部隊からもたらされたものさえあったとされています。

9 ブルガリア「スプリンター」迷彩



ブルガリア軍の迷彩服は、ボスニア紛争においては殆どARBiHでしか使用例が確認されていません。
ズボンの他、ジャケットを分解して製作されたチェストリグなどが記録に残っています。

このブルガリアスプリンター迷彩チェストリグは、のちにコソボ紛争においてもコソボ解放軍などの反乱勢力によって使用されたことがわかっています(※混同を避けるため、此処では画像を省略します)。
ボスニア内戦には、ムスリムの同胞を救うためコソボ自治州やアルバニア本国から多数のアルバニア人が義勇兵として参戦していました。
他にもボスニア内戦に特有の特徴を備えたローカルメイドのチェストリグやアサルトベストがコソボにおいても頻繁に登場していることから、現地製造の他、ボスニア政府や民間の支援団体からコソボの反乱勢力に対する軍需物資の支援があったと見るのが自然と思われます。

10 東独レインドロップ迷彩

raindrop

ドイツ統一により不要となった旧東ドイツの軍服や装備品は、世界の他の紛争地域と同様90年代のボスニアでも使用されていました。
東ドイツ製レインドロップ迷彩服は紛争初期のクロアチア国民防衛隊同様、ARBiHでも主に防寒衣として利用されていたものと思われます。

11 西ドイツOD野戦服




迷彩服ではありませんが、西ドイツ製の単色野戦服も利用されていました。
主にセーターなどの着用例が確認されています。

12 オーストリア軍ピーカモ

aus

余り一般的とは言えませんが、一応は着用例が記録に残っています。
この写真ではカモパーカーの裾を切除してあるようです。

13 スロベニアM91迷彩

M91

これもレアケースです。
それなりに着用例はあるものの、やはり一般的とは言えません。

14 ドイツ連邦軍フレクターン迷彩

wg


迷彩カバーオールなどの着用がごく稀に見られます。
紛争のごく終盤から登場する被服であるため、雰囲気を重視するならばヒストリカルゲームなどでの着用は余り推奨できません。

15 ギリシャリザード迷彩

g

レアケースです。
ギリシャ国家情報庁の支援を受けていたスルプスカ共和国軍からの鹵獲品である可能性が高いと推測されます。




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2015年06月14日

ボスニア軍装基本のキ!(五) ボスニア独自の迷彩パターン

■ボスニア独自の迷彩パターン

ボスニア紛争期、ARBiHでは数種類の独自にデザイン・製造された迷彩服が使用されていました。
これらの多くは外国製サープラス品に比べると供給数が少なく、局地的にしか着用例が認められないものが多い傾向にあります。


5. ビハチ「フロッグスキン」迷彩

bihac1

VRS包囲下のビハチにおいて、ARBiH側で多く見られた迷彩服です。


6.フロッグスキン迷彩派生型



ビハチのものと似てはいますが、別の地域でも使用が見られる迷彩服です。
テクスチャー同士の重なりがないのが特徴です。


7.ローカルメイド「ブロット」迷彩

blot


いつ何処からもたらされたものか、この迷彩については殆ど何もわかっていません。
シャツの他、同柄のコンバットパンツも製造されていたようです。





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2015年06月14日

ボスニア軍装基本のキ!(四)社会主義ユーゴ及び鹵獲セルビアリザード迷彩

4. 社会主義ユーゴ及びセルビアリザード迷彩

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ARBiHも主敵・スルプスカ共和国軍(VRS)と同様にリザード迷彩柄の戦闘服を着用していました。

内戦勃発以前のボスニア・ヘルツェゴヴィナ社会主義共和国では各地の警察署や内務省関連の私設でリザード迷彩を対テロ部隊の迷彩服として備蓄していましたから、何ら不思議はありません。

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また社会主義時代のものに比べれば少数ではありますが、VRSからの鹵獲品を着用している例も戦場写真や映像で確認されています。



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2015年06月13日

ボスニア軍装基本のキ!(三)MOL 「枝」迷彩

MOL


3.MOL 「枝」迷彩

MOL1

本来は迷彩服でない素材・・・特にMOL迷彩柄の野戦天幕などを転用した戦時急造迷彩服は、ボスニア軍においては塹壕や前線基地での個人制作品から工場生産品に至るまで、既成品の迷彩服が極端に不足していた紛争初期には非常に多用される被服でした。



ジャケットやズボンは勿論、派手派手しい迷彩ベレーや迷彩テンガロンハット、ヘルメットカバー、ゲットーベストのような一風変わったアイテムまでもがMOL迷彩柄のテント生地で製作されていたのです。

chest

紛争中盤以後、迷彩服の供給が改善するとこれらの迷彩天幕はチェストリグ、アサルトベスト、マガジンポーチ、背嚢など他の野戦装備を製造するための素材へと転用されていきます。

また、迷彩天幕そのものを簡易的な迷彩服として用いることも紛争の全期間を通して行われました。
内戦勃発前、かつて単色戦闘服が主流だった時代のユーゴスラヴィア人民軍教本にも偽装要領のひとつとして紹介されている方法です。
このスタイルはクロアチアの戦争映画「沈黙の戦場(※原題:Živi i mrtvi, 『生者と死者』)」終盤でも見ることができます。





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